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2013年4月25日 (木)

アジアで地震が続く

このところアジアで地震が続いている。イラン、パキスタンの地震はアラビアプレートがユーラシアプレートを押し込んでいる地点で起こっているし、四川の地震はインドオーストラリアプレートがユーラシアプレートを押して圧力がチベットの反対側に伝わって生じたようにみえPureto る、三宅島の地震はフィリピンプレートが北米プレートを押し込むあたりだし、東日本大震災とそれに続く地震は太平洋プレートが北米プレートを押し込んだところで起こっている、なんとはなしに海側のプレートが押す圧力を強めて地殻がパリパリと割れていっているように感じる。ユーラシアプレートや北米プレートという陸のプレートがこうも押し込まれている理由は何なのだろうか。普通に考えればマントル対流が活発化していることになる。それはなぜか、少し調べてみる。マントルは上部と下部に660km深さ辺りを境にして物理的に分かれており、流動性がより高い上部マントルがプレートの運動を支配しているようだ、マントルが上昇してくる中心は太平洋とアフリカの2カ所で柱状に上がってきているらしい。
イラン、パキスタンの地震はアフリカのマントル上昇が関係しているようであり日本、中国四川省の地震は太平洋のマントル上昇がもたらしているようにみえる。しかし同時期に2つのマントル上昇が同期するというより、これはユーラシアプレートの沈降が引き金となっているとすると考えやすい。調べていくとどうやらプレートの沈み込みで生ずる冷たいスラブが深さ660kmのマントル境界に相当溜まっているようだ、これがそろそろ一杯になってきたのかもしれない。4400万年前に起こったらしいマントル境界を突き抜けての沈下、上昇であるスーパープリュームが今おこりかけているというのは大げさかもしれないがミニサイズの類似のマントル変動が始まろうとMantoru しているような気がする。4400万年前はブレートの移動方向が大きく変わる、一部のプレートの消失する、などの大きな異変が起こっているようだ。時間スケールが途方もない現象だから今それが始まるというのも何だか軽薄な感じがするが、冷たいスラブがユーラシアプレートの下に相当溜まっているのは事実だから(添付図は深尾良夫氏による)そこらあたりが何かを引き起こし始めると考えるのはおかしくはない気がする。
しばらくは陸のプレートの縁で大きな地震が繰返されそうだ。あきらめて身構えるほかない、数万年はそんな時代が続くのだろうか、もっとだろうか。なんとかならないかと思うが、マントルのこの大きな運動は人間の手に負えるものではない。地球に付着している人類というカビのような存在はとても地球の物理学を変えることなどできないだろう。一方でマントル対流によってプレートが移動し大陸が分散し変化に富んだ地表の環境が生まれたともいえる。地殻の変形による地震におびえ続ける、こんなどうしようもない不安はこの緑の地表、宇宙に浮かぶ奇跡のような星地球に住む代償のようにも思えてくる。全てを受け入れる心が大事なのだろう。

 

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2013年4月24日 (水)

電子ピアノを買う

ネットで発注していた電子ピアノがやっと届いた。引越しで昔買って子供が弾いていたヤマハピアノは売却してきたので何かその代わりに、といくつか資料を取り寄せたり聞いてみたりして考えていたが、ヤマハが昨年末出したP105というキーボードスタイルの電子ピアノがPhoto どうやら最も適していると思われてそれをオーダーしていた。電子製品は新しいものほど性能がいいのはここでも同じで、スペックを見る限り音やタッチの性能上は上位機種と遜色ない、機能が多くて遊べる分楽しい機種となっている、おまけに軽いと今から買って家の中であちこち移動して楽しむには丁度いいように思えて、これこれという感じだ。価格も随分割安でピアノを売った代金をあてても十分なお釣がくる。ネットで発注したところその日は休業日だったとかで足掛け5日もしてやっと届いた。スタンドは汎用のキーボード用のものを別途頼んでおいたらそれは直ぐ来て手持ちぶたさに玄関ホールに置かれていた、ピアノのほうには遅かったからかヘッドフォンがおまけについてきて遅いと文句を言うほどのことでもない、こんなものかと思ってしまう。ともかく揃った。
弾いてみると、勿論まともな指使いはできないのだけれども、タッチは売却したピアノと大差ない(目をつぶると解らない)、音も本物のピアノのようだ、充分だ。音色が色々あるほかに不思議な機能がついていて、左手で和音を弾くと勝手にアルペジオに分解して伴奏を弾き続けてくれ右手でメロディーを弾けばいいという仕掛けもある、試してみるとどうにも伴奏が同じテンポで機械的で面白くない、演奏は簡単には機械化できないようだ。プロが弾いたデモ曲が50曲も入っていて、一種のプレーヤーのように曲を自動演奏してくれる。デモ曲のテンポの変化をメトロノーム機能で出してみると、勿論一定のテンポで弾いていない、随分な緩急が明瞭にわかる、こうだよな、と妙に納得する。当面これで遊べそうだ。
本物のピアノのように何十年ももつということはないだろう、使い捨てのようなものだろう、しかし充分だし気楽だ。こんな風に進化していく時代なら未来も明るいかもしれない、そんなことも思ってしまう。それにしても遊ぶ手札が増えていく、外はもう緑の5月がそこまできている。

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2013年4月18日 (木)

ふるさとに戻ってかすれた思い出と共に暮す

時間ができると天気がよければ鳥見に近くに出かけている。描きかけの絵を完成させねばと思ったり、そろそろインターネット俳句会に投稿しなければと思ったり、対馬の旅行プランを詰めなければと思ったり、いい加減電子ピアノを発注せねばと思ったり、泳ぎにも行かねば、ジョギングも始めてみなければ、写真も整理して投稿しなければ、気象のソフトももう少し手を入れなければ、家の手入れや庭の手入れもそれなりにはやらねば、etc,etc,etc、ふと書き並べただけでもやることは随分ある、何だかのんびりするようでもない。時間ができるというより時間を作って鳥見に出かけるというのがより正しい表現のようだ。
3日前はわじろ干潟へ、一昨日は油山に鳥見に出かけた。わじろは日本野鳥の会の定例観察会だ、冬鳥はもうかなり渡ってしまったのであまりいい時期ではないが、わじろの周り方のMagamo2 標準を知っておかねば、という思いがあった。集合場所の和白駅前公園に行って見るとやはり年配者が多い、栃木での野鳥の会の観察会は稀にしか行かなかったがもう少し若い人がいたように思う、何とはなしに福岡では鳥見は年配者の遊びという雰囲気が濃いような気がしている、活動的な町なのだろう。回り始める、満ちてくる干潟ではホウロクシギが3-4羽ゆったりと餌をついばんでいる、あとはマガモの群れにヨシガモやヒドリガモが混じる程度でおおっという鳥は出てこない、それでも浜辺の茂みに旅の途中のノビタキが姿を見せたり、この時期ならではの雰囲気がいい。わじろ干潟はあちこち歩き回るのが正しい見方と解った、少々疲れる、でもいいところだ。
油山に出かけたのは和白の参加者から油山でキビタキとオオルリが出始めた、と聞いたことによる。油山の名前は椿油伝来の地で日本で始めてここで椿から油をとることをはじめたことに由来しているらしい。翌日も天気はいいし近くということもあって、また出かけた。油山ネイチャーセンターは月曜は休みだったのでどこら辺で出ているのか情報が無い。この辺だろうと「水の森」まで下りて沢沿いに上がってみる。確かにオオルリの鳴き始めのような声が聞こえてくる、まだ相当に下手だ。姿は遂にみつけられなくて、こんなものかと舗装路まで上がって戻り始めると、右手の沢でコマドリが聞こえたような気がする。まさかと思うが渡りルートだから何が来てもおかしくない。脇に入って録音を始めると、寄って来る様にあちこちで鳴き声がする。少なくとも4羽いるようだ。随分と近くで鳴くのもでてきて、なんとか姿が見えないかとキョロキョロするが、見つけられない。しょうがない、コマドリはまだ1度しかその姿を見たことが無い、そんなもんだとあきらめるが、それにしてもこの油山は思っていた以上に鳥は面白いようだ。Yamagara
小さい頃に油山には何回か来たことがあるが鳥の記憶は無い、しかし街を走っていても、ここは幼い頃に自転車で下ったことがある、と記憶がふと蘇ったりすると こうして年月を経てまたふるさとに戻ってかすれた思い出と共に暮すのもいい生き方のように思えてくる。とりわけ楽なところに住み始めたからかもしれない。それにしても今日は何から順番にやっていこうか。

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2013年4月15日 (月)

インドネシアであのLion Airが事故

インドネシアでLion Airのボーイング737-800が滑走路手前で着水し機体を大破した。Lion Airは急成長のLCCでボーイングに続きエアバスにも空前の大量発注を今年行ったことでも有名だ。今回の事故は死者こそ出なかったものの胴体が折れており比較的大きな事故だ。737-800は新しい機体でメカニカルな問題は考えにくい。乗客にも前ぶれもなく突然着水している。奇妙な事故だ。気象条件が疑われるが、確かに事故当時は熱帯特有の不安定な気象状態で目撃者は豪雨を報告している。ただし衛星201304130708utc 写真で見る限り雨は局地的でそれほど強くもなく巨大な積乱雲が発生していたという状況でもない。東西に向いた3000m滑走路の西から東向きに進入して手前で着水している。風は110-270度で平均的には右横風だが背風になることもあった模様だ。しかし風速は6kt程度だからウインドシアがあったとしても航空機を失速させるほどのものでもない。この地域を始終飛行しているパイロットならいつも遭遇する気象条件だったと思われる。視程は良好でその点は問題なMap かったはずだ。事故直前にはショートすることはパイロットには解っていたはずでGo-Aroundする余裕は有ったはずなのに、という気がする。パイロットエラーがあったとしか言いようが無いが何故パイロットエラーが起こったのか、急膨張するエアラインではパイロットに問題がおきやすい、そんなことも関連しているように思える。今回のチーフパイロットは飛行時間10000時間以上のパイロットで経験は十分だ。副操縦士が操縦していたのかも知れず、もしかしたらその辺に問題があったかもしれない、わからない。アルコールや薬物は検出されていない。しかし羽田沖で昔同じような事故が起こったときは機長の精神状態に異常があった。奇妙な事故だが今回も何か異常なことが起こったことだけは間違いないと思われる。
死者のいない事故ゆえ原因は必ず明らかになろう。しかし滅多に無い珍しい事故だ、どうなるか。

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2013年4月13日 (土)

九州のタンポポやらカタクリやらツツジやら

九州の花の感じが関東とは随分違っていて戸惑っていたが次第になれてきた。タンポポはKansaitmpp 勿論カントウタンポポやエゾタンポポは無くて、小ぶりのカンサイタンポポがあちこちにはびこっているし、我が家の庭にも出てきている。カントウタンポポと似てはいるが大きさが少々小さいのが特徴のようだ。庭に生えてくる草も見知らぬ草がいくつかある、図鑑で調べても良くわからない。
北関東の山の花といえばアカヤシオが美しいが九州ではアカヤシオはなくてアケボノツツジが似ているらしい。ただ、咲いているのが宮崎の山地でここ福岡からは簡単にはいけない。桜の頃は北関東ではカタクリの花があちこちの山の斜面で見られたが、九州では自生しているものは熊本の五木村近辺の山地にあるらしいもののあとは久住の野草園のようなところに栽培しているものくらいらしい。この間阿蘇へ行った帰りやまなみハイウエイを抜けて久住にまわりこの野草園(くじゅう野の花の郷)を訪れてみた。個人的に山の斜面に植えていったKatakuri もののようで無料で見ることができる。カタクリは北関東と似た雰囲気で林の下の斜面に一面に咲いていた。丁度大分テレビが取材に来ていて、他に人もいないこともあり、見に来たところを撮るのでよろしくといって見ている風景を角度を変えて撮られた。珍しいものなのだ。斜面の隅に植えられたものが条件が良かったようで斜面を上に広がっていったということらしい。その気になれば九州でも植えれば育つものなのだろう。自生しているという五木村は平家の落人村として有名だがそういえば関東でも落人村にはカタクリが咲くようにも思える。もしかしたら平家の落人とカタクリは関係があるかもしれない、彼らが種を持ち運んで直ぐには花の咲かないカタクリを密かな目印として方々に植えたと考えると物語りを感じてくる。カタクリは食用にもなる。なんとはなしに平家の落人村はカタクリの成育に適したところを選んだようにも思える。本当に関係があるのかもしれないと思うと面白い。
桜のあとと言えばツツジだが、福岡はクルメツツジの本場になる。これは見ておかねばと昨日は久留米まで出かけた。勿論栽培種だ。久留米市内、筑後川の南岸に沿った百年公園というところでツツジ祭りが行なわれているというので訪れてみた。丁度鹿沼のさつきまつりのようだ、雰囲気が似ていて その場で即売している。さつきと違って盆栽や盆栽前提の苗はツツジでは多くは無くて手軽な地植えの苗が多い、価格も安くてあれこれ選んでネコ車にたっぷり積んKurumettj で2000円行かない。すごい。これで庭も華やかになる。関東で売っているクルメツツジは赤のモノトーンで面白味が無かったがここへ来るとその小さな花が色とりどりにあって形も繊細で大きなツツジが大味に見えてくる。所変われば花も変わる。公園にはなかなか見事なツツジが咲き誇っているし、筑後川に平行して流れる支流は護岸も土のまま残されて心地よい公園になっている。福岡市内は何か都会でせわしないがここらまでくると宇都宮の感覚に近くなる。
同じ日本の中だからもあるのか、微妙に違う花の種類や咲き方も少し花も見慣れてくるとその違いが小さな驚きから小さな楽しみに変わってきたのが感じられる。場所により時によって移ろっていくのが南北に長い日本のいいところなのだろう。グラディエーションの春はまだ続く。

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2013年4月11日 (木)

気象の予測範囲が未来に伸びていく

気象庁から毎日公表される気象予測数値データ(GPVデータ)が3月の終りから予測範囲が従来の8日後までが11日後までへと3日分先の未来まで延びた。11日先の予測が出れば何処かへ出かけようという行動予定には相当に有益だ。宿の予約も気楽に変更したりもできる。しかしどのくらいの信頼度なのか気になるところではある、しばらく眺めて実感を感じるほかない。読み出すソフトの改修も楽ではないが、このところ時間を割いてデータ切り出しソフトや表示ソフトを変更していた。データの説明文書は得られないのでこれまでのデータの組み立てから想像して変更するほかない。一昨日くらいからやっと表示できるようになって見て 264yosoku2 いる。今月の17日にちょっとした用があるのでそこを見ているが一昨日の段階の9日先のデータでは福岡は雨だったが今日見ると曇りくらいで済むと出ている。天気図でみると前線を伴った低気圧が17日に北部九州にくるはずが少し南にいくという予測に変わってきている。全体としては太平洋の高気圧が弱まる代わりに日本海に高気圧がくるという予測に変わってきているが シベリヤや中国の状況はあまり動いていない。特に太平洋の高気圧・低気圧の変化が大きい。考えてみると太平洋の高層気象予測にはその予測の基本となるバルーンによる観測データが殆どない、特に北半球でも太平洋の北側部分は皆無の状況だ。僅かな南の島と北の陸地の観測点の値から広い海洋上上層の気圧や気温、湿度を推定していることになる、ちょっとした初期条件の変化(すなわち日々の観測の変化)が9日も先の予測には大きく響いてくるのはいかにもありそうだ。夏や冬の比較的安定した時期ならば予測も当たりそうだが春や秋の動きの激しい時期は難しそうな印象がある。
思い直せば所詮未来予測だ、きっちり当たらないほうが生きていて気楽かもしれない。明日には明日の風が吹く と呑気にしているほうが 10日先までそんなことは決まっているじゃないか というより はるかに楽な人生が送れるような気がする。
きっと100年後になればそれくらいの予測は当たるのが当然の世の中になっているだろう、500年もたてばどこまでいってしまうだろうか、幸せな世の中に向かって人類は進んでいるのだろうか、そんなことも考えてしまう。

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2013年4月 6日 (土)

南阿蘇の一心行桜に向かう

九州の桜は巨木の名木が少ないように思っていたが、南阿蘇に一心行桜という樹齢400年以上の巨木があって見事だというので、幾つかの理由をくっつけて南阿蘇まで出かけた。日帰りするのも慌ただしいので南阿蘇に1泊としてしまう、次第に気ままなペースが板についてくる。

くっつけた幾つTamanaktkかの理由の一つに玉名市の旧玉名干拓施設を見に行くことがある。この間 大授がらみに行って野鳥とは別に有明海の干拓事業へ注がれている歴史的執念のようなものを感じて少し気になっていたら、たまたまネットで玉名の干拓施設遺構が重要文化財に指定されたのを知り、通りすがりにこれを見ていくのもいいのではないかと思えてきた。玉名は行ったこともない、西南の役の激戦地 田原坂の近く位しか認識が無い。

玉名インターで下りてTamanaktk2ネットで調べた地点に向かってナビで進むが干拓地に入ってくるとナビは堰の上の細い道をガイドしたりどうにもあぶなっかっしい道を示すようになる、いい道が少ないということかもしれない。ともかく到着する。万里の 長城のような石積みの壁が海岸線に平衡に視界の限り続いている。ちょっとしたものだ。勿論干拓は今は遺構を越えて広がっていて堤防の外に人家や田畑が続いているのだが災害でもあれば今でも役に立ちそうだ、どっしりしている。残っているのは明治のものだが説明版によれば加藤清正の時代から干拓事業は始まっていたらしい。思えば7世紀白村江の戦いに敗れ新羅軍の九州侵略を恐れてIsibasi 大宰府の北側に築かれた壮大な土塁である水城といい、元の侵略を防ぐために造られた元寇防塁といい、九州の地には長い堤防を築くという発想が古代から染み付いていたようにも思える。明治に入っても干拓事業に長大な堤防を築くのは当然の帰結だったのだろう。圧倒される遺構だがアプローチがしにくく余り人が訪れている風でもない、何かもったいない。
玉名から植木を抜けて菊陽や大津の石橋を幾つか探訪しながら阿蘇に至る。井口眼鏡橋、光尊寺橋と 肥後の石工によって用水路に造られた小さいが見ごたえのある石橋が次々にあらわれる、心地よく風雪に耐えている。土木の熊本だ、そんな言葉が浮かぶ。
Issinngyouskr1 さて一心行桜だ。平日だが人が多い。バスも何台も停まっている。駐車場から数分で到達する。思ったより横広い。散り始めており所々薄いだいだい色の新しい葉が出始めているが却っていろどりが複雑になり陰影があって見飽きない。エドヒガンかと思っていたらヤマザクラという、最近の調査で決着したらしい。数十年前に雷に打たれた結果 幹は根元から8つに割かれて横へ広がっているが、むしろ雷にも負けない力強さが発されている。生き物としての強い桜を感じさせる。なかなかの木だ。ここまで生きながらえたのは水も良かったせいだろうか、近くには白川水源の湧き水をはじめ湧き水が多い、そんなことも考えてしまう。

遠くから見ていれば常緑樹に覆われた陰影の薄い九州のイメージが入り込んでいくと次第に深みのあるものに思えてくる。あきない。のんびりして過ごすはずが、走り回っている。こんな生き方は簡単には変わらないのだろう、そうも思っている。

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2013年4月 2日 (火)

大授搦(だいじゅがらみ)

福岡に移り住んでみて、変だと思うこともいくつか感じる。クルマの運転がそのひとつだ。タクシー以外のクルマが妙にせかせかしていてノーマルに走るという感覚がどこか薄い。きわどいタイミングで横から出てくる。タクシーは至ってノーマルでタクシーとともに走ると走りやすい。なんだかほかの街と逆だ。バブル期の日本、日本列島改造時代の日本の雰囲気がどこか感じられる。デフレの日本ではない。活気があるといえばそうだがクルマばかりでなく一歩でも前に出ようと競う駆け引きする生き方がまだ続いているような印象を受ける。以前来たときはそうでもなかった、もしかしたらこれはアベノミクスの先取りかもしれない。昔から先走る反応が福岡の特徴だった。

少し落ち着いてきた。出かけるとやはり鳥見となる。昨日は教わって大授搦(だいじゅがらみ)という有明海の干潟に行ってみた、自宅から60km弱で行けて思いの外近い。干拓地のことを搦と呼ぶのは江戸時代杭を打ち柵をかこんで自然に土を堆積させる(絡ませる)手法で干拓を行ったことに由来しているようだ、佐賀平野は佐賀藩の搦方によって大々的に石垣を築き干拓事業が行われた。明治になっても干拓事業は続きこの大授搦は大正時代に作られている。農地を広げねばとの意気込みの持続が広い佐賀平野をもたらしているようだ。諫早干拓もこんな歴史の延長上にあるのだろう、特に長崎には平地が少ない、ここにくるとその意気込みをネガティブに捉えることはできない。
天気は1週間前の予測どおり穏やかな晴天となった、春の天気は予報も日ごと変わってくるZugurokamome2a がなぜか1週間前時点の予測計算が当たりやすい気がしている、微分的な予測よりややマクロに捉えたくらいの予測がむしろいいということだろうか。背振山の東から吉野ヶ里を抜けて佐賀平野にいたり有明海に出る。ほぼ直線だが途中のダム湖周辺はまるで五十里湖のように曲がりくねっている。おおよそナビの計算どおり1時間20分ほどで到着する。8時過ぎで満潮の10時50分頃にはまだ間があるが干潟にはハマシギの大群やホウロクシギ、クロツラヘラサギ、チドリなHamasigi8a ど色々いるのが見える。干潟の中に入れないよう柵がしてあって、三番瀬のように鳥と人が近づいてしまうということがない。遠目の観察だがこの場所を維持するにはこれがいいような気もする、こんな場所では柵が無ければ常軌を逸した撮影隊が干潟へなだれ込んでいくことにもなりそうで、6mにも達する津波のような干満の差がある海では人的被害がでてくるやもしれない。
九州には関東と違った自然があり歴史が流れ努力があり活Seittakasigi1aa 気があり気遣いがある。そんなことは当たり前のことのように思っていたがそれぞれが意味を主張してきて何か奥深いものに行き当たったようにも思えてくる。こんな風に移り住んでいくのも満更ではない。

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