大授搦(だいじゅがらみ)
福岡に移り住んでみて、変だと思うこともいくつか感じる。クルマの運転がそのひとつだ。タクシー以外のクルマが妙にせかせかしていてノーマルに走るという感覚がどこか薄い。きわどいタイミングで横から出てくる。タクシーは至ってノーマルでタクシーとともに走ると走りやすい。なんだかほかの街と逆だ。バブル期の日本、日本列島改造時代の日本の雰囲気がどこか感じられる。デフレの日本ではない。活気があるといえばそうだがクルマばかりでなく一歩でも前に出ようと競う駆け引きする生き方がまだ続いているような印象を受ける。以前来たときはそうでもなかった、もしかしたらこれはアベノミクスの先取りかもしれない。昔から先走る反応が福岡の特徴だった。
少し落ち着いてきた。出かけるとやはり鳥見となる。昨日は教わって大授搦(だいじゅがらみ)という有明海の干潟に行ってみた、自宅から60km弱で行けて思いの外近い。干拓地のことを搦と呼ぶのは江戸時代杭を打ち柵をかこんで自然に土を堆積させる(絡ませる)手法で干拓を行ったことに由来しているようだ、佐賀平野は佐賀藩の搦方によって大々的に石垣を築き干拓事業が行われた。明治になっても干拓事業は続きこの大授搦は大正時代に作られている。農地を広げねばとの意気込みの持続が広い佐賀平野をもたらしているようだ。諫早干拓もこんな歴史の延長上にあるのだろう、特に長崎には平地が少ない、ここにくるとその意気込みをネガティブに捉えることはできない。
天気は1週間前の予測どおり穏やかな晴天となった、春の天気は予報も日ごと変わってくる
がなぜか1週間前時点の予測計算が当たりやすい気がしている、微分的な予測よりややマクロに捉えたくらいの予測がむしろいいということだろうか。背振山の東から吉野ヶ里を抜けて佐賀平野にいたり有明海に出る。ほぼ直線だが途中のダム湖周辺はまるで五十里湖のように曲がりくねっている。おおよそナビの計算どおり1時間20分ほどで到着する。8時過ぎで満潮の10時50分頃にはまだ間があるが干潟にはハマシギの大群やホウロクシギ、クロツラヘラサギ、チドリな
ど色々いるのが見える。干潟の中に入れないよう柵がしてあって、三番瀬のように鳥と人が近づいてしまうということがない。遠目の観察だがこの場所を維持するにはこれがいいような気もする、こんな場所では柵が無ければ常軌を逸した撮影隊が干潟へなだれ込んでいくことにもなりそうで、6mにも達する津波のような干満の差がある海では人的被害がでてくるやもしれない。
九州には関東と違った自然があり歴史が流れ努力があり活
気があり気遣いがある。そんなことは当たり前のことのように思っていたがそれぞれが意味を主張してきて何か奥深いものに行き当たったようにも思えてくる。こんな風に移り住んでいくのも満更ではない。
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