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2013年5月17日 (金)

対馬をめぐる---その2

対馬にきて2日目の5月10日、予測通り朝から雨だ。朝ダウンロードしたGPV気象データから天気予測をすると次第に小止みになって午後には確実に上がる、北のほうはそれより前に回復する、となる。ゆっくり午前は厳原を観光すれば丁度いい。去年のスイスのペースだ、雨も旅に変化が出て悪くない。

まずは厳原の歴史民俗資料館へ行く。大量の歴史的文書が残されている、中には秀吉の朝鮮出兵が撤退という失敗に終わった後、朝鮮との交易復活を計った対馬藩による偽の朝鮮国書とそれに押された偽の印まで残っている。日本と大陸との狭間で苦悩する対馬の歴史がまざまざだ。それはどこか本日現在の対馬の姿でもあるようだ。資料館には韓国観光客の団体が次々に訪れていた。この他でもいわゆる観光スポットで目に付くのは韓国の団体だ。対馬の観光は今明らかに韓国が支えている、どんな形であれ相互理解が深まる様はこの時代心強いことに思えてくる。この地に一番近い陸地は韓国だ。ここが友好の最後の砦かもしれない。

資料館を後にして対馬藩歴代の墓所である万松院や対馬城跡である金石城跡、八幡宮神Hachiman 社などを見てまわる。八幡宮神社の宝物殿には神功皇后の八咫鏡(やたのかがみ)まで展示してある、そのものとはとても思えないが恐ろしく古い起源の神社のようだ。

おおむね雨も上がった、街中の交流センターで対州そばを食べて今度は西海岸に出かける。山越えの細い道で離合には気を使いながら上っていくと雲に入った、いやが上にも気を使う道となる、こんな道では頼りにならない、よく今まで対馬の人は耐えてきたと思う。やっとの思いで中央の山脈を横切り 道の駅風のところに出て一息つく。
ともかく小茂田の蒙古古戦場と地図に有る場所を目指してなんとか海辺までたどり着くと観光バスが来ている、北回りできた韓国ツアーバスのようだ、あたりに日本人の姿は無い。小Komoda 茂田浜神社という神社があって蒙古来襲の慰霊を行っているが、説明板の図には蒙古が来襲した時点ではここらは海で当時の海岸は一休みした道の駅風の建物のあたりだったとある、なんだ古戦場ではなかったのかとあきれる。どうにも対馬はアバウトな印象だ。もっともこんなところを攻めた蒙古もアバウトだ、来襲の初戦で圧倒的兵力によって対馬兵を打ち負かしてその後どうしたのだろうか、上陸しても厳原まで山越えは大変で恐らく舟で東側に回って厳原を攻めたのだろう、こんなところを攻めるほどのことはなかったのだろう、しかし攻めている、とりあえず最初に見えた陸地を、ということのように思える、アバウトだ。

石屋根の家というのが近くにあるらしいのでそちらへ向かう。鳥も小茂田でも出なくはないのIshiyn だろうがコレという鳥には出会わない。小さい案内板に従って進んでいくと細い道に入って石屋根にたどり着く。高床の対馬ふうの家の屋根が平たい石で葺いてある。こんなのは見たことが無い。対馬では石の風景にあちこちで遭遇する、すずり石もいいようだ、戻って調べると薄く割れる頁岩が豊富でこれが広く利用されているらしい。集落の風景が明らかに日本本土と違う。
Isiyn2
Kurotura2 天気も良くなってきて鳥を期待しながら北へ向かい加志から洲藻とまわる。畑や田んぼにはカワラヒワとスズメばかりで渡り鳥は出てこない、洲藻の干潟でクロツラヘラサギにやっと出会えた程度だ、簡単ではない。
夜はFさんの紹介で地元のK先生のお宅で鳥の状況や様々な話を聞く。翌日回る予定の南部海岸付近はまだしも鳥が期待できる模様だ、一雨降った後というのもいい。それにしても人が集まるお宅だ、客は全部で7人にもなって歓談する、対馬はぶっきらぼうな人ばかりではない。
鳥にはあまり出会えなくとも結構面白い旅になってきた。旅は続く。

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