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2013年5月28日 (火)

当たりが続く

最近何故かくじにあたるようになってきた、今までこんなことは無かったが不思議な感覚だ。はじめは大したことではないが引っ越して直ぐに山口のきらら浜への野鳥タダツアーが当たった、なかなか良かったが、次は北九州の旧松本家住宅特別公開に当たった、次はミュージアムウイークで出かけたら特別展(マリーアントワネット展)の入場券が当たり、更には博多座の船乗り込みの市民乗込20名枠に当たった、いずれも金銭というより当たって欲しいものが当たっている感触で不思議な気がしている。

鳥はハズレもあるが大当たりもある。もう10日くらい前のことになるが福岡市南のHachikuma6xx 油山に朝から野鳥の録音に出かけた帰り、春のタカの渡りが見れるかもしれないと、油山片江展望台に
ってみた、タカの渡りの観測ポイントとして有名だ。たまたま寄ったのだがこれが大当りの日だった。カウントしている方が2人張り付いていて、最初はのんびり話していたがそのうち次から次へと南西側からハチクマが現れては油山上空に数十羽のタカ柱を形成して北東の立花山方面に向かって出発していく。これHachikuma9xx はすごい、休む間もなしになってくる。白樺峠でも伊良湖岬でもこんなのは見たことが無い。高度が高いので写真にはっきり撮れるということではないが、すごい。春の渡りはもっとのんびりペースと思っていたがこんなこともあるんだ。西から来ているので五島列島経由と思って見ていたが戻ってネットで調べると秋のハチクマは五島列島経由で中国にわたるが春は中国奥地から朝鮮半島の北に一旦北上したものが対馬を経ながら南下している。今まで発信機をつけてデータを取られた個体全てがそういうルートだ。確かに日本から中国へ渡る場合と違って中国から日本へ渡るには朝鮮半島経由の方が間違いが起こらないし途中の山地で充分餌も獲得できそうだ。今回も唐津辺りに上陸したものが背振山南斜面の上昇風を利用しながらここまで飛んできたようだが、或いは一気に海を渡って五島経由で飛んできた個体もいるのかもしれない、何しろ数が多い。何処かに溜まっていたのが風と上昇風の良い日に一気に動き始めた感じがする。どこに溜まっていたのだろうか,名護屋城あたりだろうか、背振の山頂から西の辺りだろうか。来年はさがしてみよう。カウントのほうは14時過ぎの段階で1000羽を超えていた。カウントの方も春でこんな数は経験がないという。

何だか当たりが続いている、こんなことは長くは続かず、アベノミクスの株相場のように、そのうちハズレばかりが来るのだろう。しかしセレンディピティということがある、当たる時に手を一杯に広げていく、それがチャンスをつかむということのように思える。偶然に身を任せるように転がしていく、何だか面白い。

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2013年5月25日 (土)

時々絵を描いている

Sakuranoe 福岡に引っ越してきて廊下の隅にアトリエスペースを確保して時々絵を描いている。3月からやっと2枚かけた位でペースは遅いが面白さを感じ始めている。
ミュージアムウイークというイベントが今開かれていて、福岡市にあるミュージアムが期間中タダで見れるというので何回か出かけている。タダになるのは県立美術館、市立美術館、市立博物館、アジア美術館の4つだが、もう3館に訪れてしまった。気楽だ。まず訪れた県立美術館は九州にゆかりのある日本画家の展示 はるかなる風景 という出しものだった。最近油絵を始めていることもあり絵の描き方そのものにも興味がある。描いていると忠実な写実から次第に離れたくなってここに枝とかここに森とか書きたくなる、展示されている絵を見ていると画家はそんな衝動をどうしても表に出したくなっていくものだとわかる、少し安心する。電子ピアノを買って時々思いのままに指を動かしているが楽譜を弾こうとするよりそこから離れて自由に音を出してみるのが面白い、何処か似ている。人に見せたり聞かせたりするためではなくてまずは自分の楽しみだからそれでいいのじゃないかと思っている。
Gyoennoharu 髙島野十郎という画家の作品がいい、初めて見る絵だ。写実だがどこからか写実から離れていって自分の作り出した世界を写実のように描いている。桜の花びら一枚一枚まで丹念にかき込んで桜を描いているがどこか現実ではないものを漂わせている。
画家の作業を考えてみる。入念にスケッチする、それをアトリエで絵に落としながら心の中の風景を膨らませていく、膨らませきったら抽象画になるかもしれない、現実を越えた写実かもしれない、そうなんだ、そうやって多くの画家は描いているのだ、と一人合点する。アンドリューワイエス展でその描き方を理解したときのことを思い出す、丹念なスケッチから現実を再構成して作品にしていく、リアリズムの極地のような絵はそうやって描かれていた。行き着くところは違っても画家それぞれに同じ作業をやっている。
少し理解したような気がして美術館を後にした。しかしこの理解にはどこか生ぬるさがある、もう一段深みに入る感触が無い、それは自分でやってみなくてはつかめないのだろう、家に戻って印象を反芻しながらそうも思っていた。目の前のキャンバスを埋める、そこからなのだろう。
時はするすると過ぎていきもう夏の日差しがあたりを満たし始めている。動かねば。

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2013年5月20日 (月)

対馬をめぐるーーーその3

対馬の旅、3日目、5月11日。予定通り晴れている。
朝,宿の対馬グランドホテルの周りを散歩していると眼下の磯の岩にイソヒヨドリが止まって気持ちよさげにさえずっている。録音したりカメラを向けたりしていたらその内録音用のメモリーの調子がおかしくなり録音機をくちゃくちゃいじっていると 近くに鳥の気配を感じる。顔を上げると直ぐ近くのホテルの軒に当のイソヒヨ

Isohiyo ドリが飛来してこちらを見ている、カメラを向けた辺りから一部始終を感じていて何が起こったのだろうと見に来た風情だ。目が合うとさっとまた元の岩に戻ってさえずっている、なんだかいい感じだ。鳥を見ている時に時々思うのだが鳥も人を見ている、逃げていく鳥も多い中にかもめのジョンさんではないが好奇心の強い鳥がいてむしろ寄ってきていると感じることがある。今回もそうだ、本当に話してみたくなる。

気を良くしてホテルの潤沢な朝食を手短に食べて出発する。途中で厳原のほか弁屋に立ち寄って昼食を調達することも忘れない、ここでは厳原以外で食事のできる場所は非常に限られている。まずは昨夜教えてもらって鳥が出ていそうな内院に向かう。内山への分かれ道を過ぎる辺りから相変わらずの細い山道となる、こんな道では生活にも困るだろう、未だに魏志倭人伝の対馬の記述である“道路如禽鹿径”と大差ないように思える。2000年たってもこの状況とは日本という国が情けなくなる。沖縄に対してもそうだが遠い島に対してはどこか冷淡なところが日本にはあるようだ。

内院の集落に入っていくと前方に数人の人が集まっていて、昨夜のFさんが手を振っている、ここがポイントらしい、クルマを道脇に停める。水田と集落が接する辺りで心なしか鳥が多い。ギンムクドリが来ているという、見ていると農家に繋がるあぜに太ったような鳥が3羽Gessyoku1 下りてくる、確かにギンムクドリだ、はじめて見る。そのうちまっ黄色で足が黒いセキレイも飛来する、どうやらキマユツメナガセキレイのようだ。普通の農村風景にあれっという珍しい鳥が現れる、これが対馬の鳥見なのだろう。

暫く眺めていると大きな望遠レンズを抱えた別の方からこの先の浅藻の八丁郭で今朝アカガシラサギやミゾゴイを見たと写真を見せてもらう。まだいるかもしれない、行き方を教わってともかく行って見ることにする。
また細い山道だ、走って教えられた辺りに着くと、サギは色々いる、しかしアカガシラサギは見つからない、ミゾゴイも見つけられない。もうどこかに飛び去ったのだろう、しょうがない。サギを暫く眺めた後あきらめてCyusagiamasagi 移動する。追いかけると出会えない、こんなものだ。

浅藻の集落付近でも何かいそうで探してみたいがなかなかうまくクルマを停められるところが無くて鳥を探せない、とにかく道が細い。難しい。

更に西の豆酘(つつ)に移動する、ここも野鳥のポイントの一つになっているがさてどこを見るべきかとりつくしまがない。道脇に停めてぼんやり見ていても何もいない。
豆酘崎までいけばゆっくりできそうだがやや時間がかかるとあきらめ、ここにあるはずの重要文化財の民家主藤家住宅でも見ていこうと探す、見難い道標をたどってやっと見つけるが人が住んでいて立ち入れない、仕方なく外観だけ写真に撮る、外観はどうと言うことも無い、内部が貴重なのだろう。それにしても重文にしては粗末な維持状態だ、対馬の重文の建物はこれしかないというのにこの有様とは、と半ばあきれる。どうにも対馬は観光が苦手のようだ。Zudouke

瀬から内山へ周り内山峠に向かう。峠道は例によって細い道だが別にトンネルができていてそちらはしっかりした道のようだ。内山あたりまでは厳原からちゃんとした道が通じているようにみえる、内山は主要な集落という認識があるのだろうか。内山峠は秋のアカハラダカの渡り観察ポイントとして有名だ、春の渡りも出ているというので行って見ると駐車場もあるし観測に適した展望所もある、これはじっくりみれる。見上げると上空高くサシバとハチクマが舞っている。春は朝鮮半島を経由してここから日本本土に渡るようだ。何人もの人がここにも集まっている。立ち去ろうと出かかったところで先に出ていたクルマが引き返してきて豆酘でオウチュウが出ていると教えてくれる、他では見れない鳥だが今から豆酘に引き返すと帰りの飛行機が危なくなる、残念だがあきらめて厳原方面に向かう。それにしても対馬の鳥見は人のつながりが要のようだ、数少ない珍鳥がこの広い対馬の何処かに現れる、それを人づてに聞いて駆けつける、これが基本のようだ。島外からポンと来ては簡単ではない。
厳原ではやや時間があるので見残していた江戸時代の埠頭跡を探して見に行くことにする。観光協会に電話して場所を確かめ極め付けに細い道にクルマを入れてやっとたどり着く。立派な遺構だが観光ツアーにでも加わらない限りたどり着くのが難しいようだ。観光も難しい島だ。
予定通りの5時前のANA便で島を後にする。

対島は見るに値する島であることには疑いようも無い、しかし少々疲れた。今まで経験してきた鳥見や観光は少々安直でこんなのが普通の姿なのかもしれない、そんな風にも思えてくる。見残したものはたくさんある、暫くは旅を反芻してまた来たくなったら来ればいいさ、構えずに鳥と話をするように高速船で気ままに来る、そんな形が対馬らしい旅の様な気もしている。なんだか鳥のような島だ。

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2013年5月17日 (金)

対馬をめぐる---その2

対馬にきて2日目の5月10日、予測通り朝から雨だ。朝ダウンロードしたGPV気象データから天気予測をすると次第に小止みになって午後には確実に上がる、北のほうはそれより前に回復する、となる。ゆっくり午前は厳原を観光すれば丁度いい。去年のスイスのペースだ、雨も旅に変化が出て悪くない。

まずは厳原の歴史民俗資料館へ行く。大量の歴史的文書が残されている、中には秀吉の朝鮮出兵が撤退という失敗に終わった後、朝鮮との交易復活を計った対馬藩による偽の朝鮮国書とそれに押された偽の印まで残っている。日本と大陸との狭間で苦悩する対馬の歴史がまざまざだ。それはどこか本日現在の対馬の姿でもあるようだ。資料館には韓国観光客の団体が次々に訪れていた。この他でもいわゆる観光スポットで目に付くのは韓国の団体だ。対馬の観光は今明らかに韓国が支えている、どんな形であれ相互理解が深まる様はこの時代心強いことに思えてくる。この地に一番近い陸地は韓国だ。ここが友好の最後の砦かもしれない。

資料館を後にして対馬藩歴代の墓所である万松院や対馬城跡である金石城跡、八幡宮神Hachiman 社などを見てまわる。八幡宮神社の宝物殿には神功皇后の八咫鏡(やたのかがみ)まで展示してある、そのものとはとても思えないが恐ろしく古い起源の神社のようだ。

おおむね雨も上がった、街中の交流センターで対州そばを食べて今度は西海岸に出かける。山越えの細い道で離合には気を使いながら上っていくと雲に入った、いやが上にも気を使う道となる、こんな道では頼りにならない、よく今まで対馬の人は耐えてきたと思う。やっとの思いで中央の山脈を横切り 道の駅風のところに出て一息つく。
ともかく小茂田の蒙古古戦場と地図に有る場所を目指してなんとか海辺までたどり着くと観光バスが来ている、北回りできた韓国ツアーバスのようだ、あたりに日本人の姿は無い。小Komoda 茂田浜神社という神社があって蒙古来襲の慰霊を行っているが、説明板の図には蒙古が来襲した時点ではここらは海で当時の海岸は一休みした道の駅風の建物のあたりだったとある、なんだ古戦場ではなかったのかとあきれる。どうにも対馬はアバウトな印象だ。もっともこんなところを攻めた蒙古もアバウトだ、来襲の初戦で圧倒的兵力によって対馬兵を打ち負かしてその後どうしたのだろうか、上陸しても厳原まで山越えは大変で恐らく舟で東側に回って厳原を攻めたのだろう、こんなところを攻めるほどのことはなかったのだろう、しかし攻めている、とりあえず最初に見えた陸地を、ということのように思える、アバウトだ。

石屋根の家というのが近くにあるらしいのでそちらへ向かう。鳥も小茂田でも出なくはないのIshiyn だろうがコレという鳥には出会わない。小さい案内板に従って進んでいくと細い道に入って石屋根にたどり着く。高床の対馬ふうの家の屋根が平たい石で葺いてある。こんなのは見たことが無い。対馬では石の風景にあちこちで遭遇する、すずり石もいいようだ、戻って調べると薄く割れる頁岩が豊富でこれが広く利用されているらしい。集落の風景が明らかに日本本土と違う。
Isiyn2
Kurotura2 天気も良くなってきて鳥を期待しながら北へ向かい加志から洲藻とまわる。畑や田んぼにはカワラヒワとスズメばかりで渡り鳥は出てこない、洲藻の干潟でクロツラヘラサギにやっと出会えた程度だ、簡単ではない。
夜はFさんの紹介で地元のK先生のお宅で鳥の状況や様々な話を聞く。翌日回る予定の南部海岸付近はまだしも鳥が期待できる模様だ、一雨降った後というのもいい。それにしても人が集まるお宅だ、客は全部で7人にもなって歓談する、対馬はぶっきらぼうな人ばかりではない。
鳥にはあまり出会えなくとも結構面白い旅になってきた。旅は続く。

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2013年5月14日 (火)

対馬をめぐる--その1

対馬に2泊3日で出かけた、対馬は難しい島だった。少々疲れた。

天気は旅程の半分の雨を覚悟していたが出発直前にはなか日の半日が雨 となんとかなりそうなところまできて、懸念は和らいでいた。南の高気圧が押し負けて雨域が南へずれてきた形だ、微妙な押し合いのこんな天気は直前まで当たりにくい。肝心の鳥のほうも ほとんど鳥が出ていないという対馬の野鳥のブログが気になっていてどんなことになるか不安だったが、起き掛けに知人から紹介された友人の友人というFさんからヤマショウビンが北ででているらしいとのメールが携帯に入って少し元気が出てくる。Fさんもまもなく対馬に入る。
Tusima
始発のANA便は40%くらいの乗客を乗せた737-500で仕事風の乗客が目立つ。平日の朝一便から遊びに行く人は少ない。上空に上がって巡航に入ったと思ったら直ぐにまたベルト着用で着陸態勢に入る、30分のフライトは短い。空港で 予約のレンタカーを受け取って直ぐに出発する、道が狭そうなのと島で大した距離でもないので軽にしていた、3日で1万円少しと安いのもいい。とりあえずヤマショウビンを目指して北の舟志(しゅうし)に向かう。
Saga2
佐賀というところまで来て一休みして出発しようとするとエンジンが掛からない、エンジンルームをざっと見るがやりようがない、しょうがないとレンタカー会社に電話すると代わりのク  ルマで向かう、1時間くらい待ってくれ、とくる。旅のはじめから幸先が悪い。まあこれも旅の一部だとあたりをぶらぶら散歩する、漁業の街だ、すぐに港に出る。こじんまりした街で、のんびり一回りしてもまだ時間が余る、様子を見ていたのか一人の男性が話しかけてくる、飛行機で来て1時間も棒に振るのではひどい話だ、と同情してくれて近くに神社があるのでそれでも見たら、と話しているが話の最中にやっとレンタSaga_2 カー屋が来て神社は行かずじまいだ、こんな風に転がっていく時間が旅らしい。バッテリーコードでつないで掛けるとエンジンが掛かった、なんだ電池切れか。確かに先ほど見たとき液が減っているようにも見えていた。バッテリーのメンテの悪い車を貸し出すとはひどいが謝りの言葉ひとつ無い。これが対馬流なのかと司馬遼太郎が「街道を行く」で書いている無愛想で乱暴なタクシーの話を思い起こす。そういう土地なのだろう、頭を下げて商売するのは苦手な土地なのだろう。そういえば走っていてもやたらせっつくクルマばかりだ。こちらは観光もかねているので制限速度くらいでゆったりと走りたいが、たいていのクルマはじれてきて不愉快そうに車間を詰めてくる、それがいやで止まって追い抜かせると程なく次のクルマが追いついて同じパターンが繰り返される。殆どが軽だがやさしくない。

道は次第に細くなってやっと離合できるくらいになる、やはり軽でよかった。もみじ公園というところをぬけていくが鳥の影は薄い。程なく舟志の森の学校に至る、このあたりが一つのポイントのはずだ。ヤマショウビンについて聞いてみるが、先ほど来た人にも聞かれたが見ていないとすげない。トイレを借りて出発しようとすると目の前の木の下が騒がしい、と思えばテンが2匹飛び出してくる。ツシマテンだ。対馬だけに居る天然記念物の動物だ。こげ茶色で動きが面白い。写真を撮るまもなくするすると左右に走り去ってしまった。こんなところで遭遇できるとは運がいい。あとツシマヤマネコも出てきてくれないか思うがそれもムシガ良すぎる。

ともかくヤマショウビンを求めて少し森の方へクルマを進めていくとオオルリの美しい声が響く。かなり近い様子で探すが姿は捉えられない、でも久し振りに聞いたいい声だ、しばらく聞Syousi き入る。森の学校で行き違ったヤマショウビンを探しているらしい大宮ナンバーのワンボックスも停まって聞いている。朝見た対馬の野鳥のブログではヒノキ林を背景にしていたのでこのあたりかと少し歩いてみたりするがいない。沢も無く餌も無さそうなので川のほうかと、森を下った河口に近い川べりに来てまた眺める。ダイサギがいるが他はいない。暫く時を過ごすが、佐護など他に周りたいところもあるので適当なところで切り上げる。あとでヤマネコセンターの方に聞いたら前日見たのはその川べりだったというから場所はあっていたようだがあちこち飛び回っているのだろう、難しい。
この日はこのあと佐護の水田あたりを歩いてみたりするがめぼしい鳥はいない。草の生いSago 茂った畑に草に埋もれるように出入りするカワラヒワやのんびりしたアマサギやカラスに追われるトビをみるばかりだ。ヤマネコセンターでツシマヤマネコを見た後鳥の状況について教えてもらうが特に上島では5月の連休とそれ以降殆ど鳥は出ていない今日も全くといっていいほど出ていないという。晴れた日があまりに続いたせいだろうか。明日の雨に却って期待してしまう。この日は通りすがりに対州馬を見たあとポイントといわれる田の浜を一応回って宿へ向かう、対州馬は小Taisyuuba 柄でがっちりしていていかにもこの島向きだ、それにしてもおとなしくて動きもしない、鳥のほうは話の通り何も出ない、走り回っているのは人間という島のようだ。
それにしても山ばかりの島だ、海辺の僅かな土地に集落が寄り添うようにある、そんな風景が繰返される。道も中央の国道以外は直ぐに細い山道になってしまう、魏志倭人伝の記述どおりだ、2000年近くたっても基本的に同じような生活となっているとの気がしてくる。しかし次々に現れる入り江Tusimaymnk はどれも美しい、ここに住むのも悪くないと思わせてしまう。歴史の渦中にあり続けたもののどこか取り残されたような不思議な島だ。明日からはどんな展開になるのか、鳥見は空振りなのだろうか、不安を抱えたまま宿の対馬グランドホテルで過ごす、いかにも旅らしい。
(続く)

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2013年5月 6日 (月)

対馬に行こうと

対馬に行こうと準備している。また雨だ。この半月ばかりのうちここだけが雨という日程になってしまった。ANAの旅達という割安なパック切符で予約したため雨とわかっても日程が変えられない。キャンセルはいくらなんでも勿体無いのであTusima きらめて決めた日程で行くつもりだが荒天と解るなら変更のきく切符や宿手配とすべきだったと今更ながら思う。もっともANAの旅達という仕掛けそのものが利益が上がらないのか3月末限りで終了していて変更はあり得ない手配になっていた、そんなことつい2日ほど前気づいた、申し込みが3月下旬だったから契約は成立してはいるが申し込み自体が滑り込みだったのだと今頃知る、のんきなものだ、ともかく今後はもう少し考えないと思えている。
対馬に旅しようとして一番困るのがるるぶのようなガイドブックがないことだ。ネットには色々出ているのだが島を一回りしようと思うと大量に印刷してもって行かねばならないし情報も整理が厄介で道順を追って何が面白そうか計画を立てるのがうんざりしてくる。おまけに厳原以外では昼食がうまくとれるか甚だあやしい、コンビニは勿論ないし、韓国からこのところ観光客が随分来ているらしいので数少ない食堂を見つけても食事にありつけるか解らない、品切れということもあり得る。バードウオッチングと観光というスタイルで周るつもりで島にはかなりレアな鳥が来るらしいのものの、このところあまり来ていないとの情報もネットにある、
珍鳥は現れてもそれと解るかとの不安もある、こちらの知識不足はどうしようもな不安なことだらけだ。

司馬遼太郎の「街道を行く」に対馬があり、貴重なガイドとなる。取りあえずはこれを読んで対馬の観光物産協会からパンフレットを各種送ってもらう事にして旅に備えている。今のところネットの情報や「街道を行く」からは島内インフラが貧弱だがかなりいいところだとの印象がある。対馬は古くから大陸と日本本土の架け橋だった、蒙古来襲では一番に攻められ島民は焼け火箸で手に穴を開けられて数珠繋ぎにされたと描かれている東公園の日蓮上人銅像下の絵を幼い頃見た記憶がある。ともかく大きな被害を受けたが蒙古が去った後はその仕返しに倭寇として対馬の島民が朝鮮半島を荒らしまわった歴史もあるようだ。蒙古は高麗の軍を使って日本を侵略しようとしていた、直接には朝鮮が敵だったのだろう。勿論多くの大陸文化がこの島を経由して日本本土に流れていった歴史も古い。近年の日露戦争ではかねてより日本海海戦に備えて地峡で繋がっていた上島と下島を人工の水路で分断して軍艦を通れるようにしておいた、これが奏効してタイミングよく無敵艦隊を迎え撃つことができた、との歴史もあるようだ、調べていくと一々知らなかったことに出くわす、確かに興味深い島だ。島からは韓国は見えても日本は見えない。日本海の要でもあり幕末にはロシやイギリスもこの島を狙っていたと史実にある、よくぞ古来から一貫して日本であり続けたと思う。
天気予測は毎日見ているが日程の半分雨は避けられないようだ、前線通過で風も激しい、連休の晴天のツケが一気にここに来たような天気となりそうだ。屋内施設は少なくてエスケープは難しい。さてどうなるか。
旅の前にくるいつもの不安とその向こう側にあるまだ見ぬ世界を見た
い心がまぜこぜになってくる、このなんともいえない雰囲気も旅の楽しみの大きな部分なのだろう。

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2013年5月 4日 (土)

立花山のクスノキと野鳥の録音と

あちこち出かけているが野鳥の声が北関東のようにはまだ録れない、福岡周辺のポイントが見つけ出せていない気がしているが色々探すのも面白い。久末ダムというところで野鳥の会の観察会に参加してみるとクロツグミやオオルリ、キビタキを近くで録音しているという人に出会った、つい最近の録音を聞かせてもらうと良く録れている、20分くらい先にいったホタル公園というところだと教えてくれる、近くには鹿もかなりいるようだ、日光と似ている雰囲気なのかもしれない。ついでに行って見るかとも思ったが久末ダムも自宅からは1時間以上離れており更に先へ早朝録音に行くのはおっくうな気がしてそのまま帰ってきてしまった、しかしとにかく場所を選べばうまく録れるのは解った。鳥や植物も福岡は福岡なりの面白さがあるようだ。
立花山という福岡市の東北にある山に登った。標高367mの低山だから登山というほどのものではないが山は山だ。この山にしたのは近頃山に登っていないので九州へ来て登りはじめるには手頃ということもある、 それよりここにはクスノキの原始林があり特別天然記念物に指定されていて、これは見ておかねばと思ってしまったのが主な登る動機といえるだろう。東斜面に600本くらいのクスノキ原生林を形成しているという、3月頃ネットで調べていて新緑の季節まで少し待っていたことにもなる。広々とした無料の駐車場にクルマを置いて上り始めるが、最初はコンクリートの急坂で感じがよくない。程なくキビタキのようなオオルリのような声が聞こえる、遠いのもあって今ひとつはっきりしない、鳥も結構良さそうだ。クスノキは直ぐ現れる、常緑樹が密な森だ、「ちしゃのき」との看板が木にかけてあったりする、聞いたことのない名前だ、うっそうとしてよく知らない木が濃密に辺りを覆う、南に来たという感じがしてくる。屏風岩というそれほど大きくもない岩の前を左に折れて急なくだりを下っていくとクスノキ原生林でも最大の大クスノキが現れる。樹齢300年以上、幹の周長は約8mと説明Kusunoki 板にある、枝も入り組んでいて木としての量が大きく重そうだ、これは迫力がある。勿論あたりはクスノキだらけだ。急な斜面で切りだすのが難しくて残ったのだろうか或いはこの山にあった立花城の保護があったのだろうか、とにかく日本に残る唯一のクスノキ原生林らしい。自生の北限でもあるとされる、貴重だ。また上り返して屏風岩から山頂に至る。人で賑わっていて眺めがよい。眼下のわじろから福岡市の中心部へかけて一望できる、油山もそうだが福岡市の山は眺望Kusunoki2 がいいように思える、そのせいか山城が多い様でもある。くだりは道を変えて 縄をつたって急斜面を下り立花城の石垣跡を見ながら元の道に合流した、低山だから初めてでも気楽に色々道を試してみることができて面白い。低山には低山のよさがある。
野鳥の声はここでもあまり録れず数日後早朝の油山にいって歩き回ってみる、しかしいまだに日光の五葉平や霧降のようなところには行き当たらない。そうはいっても、まだまだあちこち出かける理由になってこういうのも満更でもない。5月も忙しくなりそうだ。

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