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2013年5月 6日 (月)

対馬に行こうと

対馬に行こうと準備している。また雨だ。この半月ばかりのうちここだけが雨という日程になってしまった。ANAの旅達という割安なパック切符で予約したため雨とわかっても日程が変えられない。キャンセルはいくらなんでも勿体無いのであTusima きらめて決めた日程で行くつもりだが荒天と解るなら変更のきく切符や宿手配とすべきだったと今更ながら思う。もっともANAの旅達という仕掛けそのものが利益が上がらないのか3月末限りで終了していて変更はあり得ない手配になっていた、そんなことつい2日ほど前気づいた、申し込みが3月下旬だったから契約は成立してはいるが申し込み自体が滑り込みだったのだと今頃知る、のんきなものだ、ともかく今後はもう少し考えないと思えている。
対馬に旅しようとして一番困るのがるるぶのようなガイドブックがないことだ。ネットには色々出ているのだが島を一回りしようと思うと大量に印刷してもって行かねばならないし情報も整理が厄介で道順を追って何が面白そうか計画を立てるのがうんざりしてくる。おまけに厳原以外では昼食がうまくとれるか甚だあやしい、コンビニは勿論ないし、韓国からこのところ観光客が随分来ているらしいので数少ない食堂を見つけても食事にありつけるか解らない、品切れということもあり得る。バードウオッチングと観光というスタイルで周るつもりで島にはかなりレアな鳥が来るらしいのものの、このところあまり来ていないとの情報もネットにある、
珍鳥は現れてもそれと解るかとの不安もある、こちらの知識不足はどうしようもな不安なことだらけだ。

司馬遼太郎の「街道を行く」に対馬があり、貴重なガイドとなる。取りあえずはこれを読んで対馬の観光物産協会からパンフレットを各種送ってもらう事にして旅に備えている。今のところネットの情報や「街道を行く」からは島内インフラが貧弱だがかなりいいところだとの印象がある。対馬は古くから大陸と日本本土の架け橋だった、蒙古来襲では一番に攻められ島民は焼け火箸で手に穴を開けられて数珠繋ぎにされたと描かれている東公園の日蓮上人銅像下の絵を幼い頃見た記憶がある。ともかく大きな被害を受けたが蒙古が去った後はその仕返しに倭寇として対馬の島民が朝鮮半島を荒らしまわった歴史もあるようだ。蒙古は高麗の軍を使って日本を侵略しようとしていた、直接には朝鮮が敵だったのだろう。勿論多くの大陸文化がこの島を経由して日本本土に流れていった歴史も古い。近年の日露戦争ではかねてより日本海海戦に備えて地峡で繋がっていた上島と下島を人工の水路で分断して軍艦を通れるようにしておいた、これが奏効してタイミングよく無敵艦隊を迎え撃つことができた、との歴史もあるようだ、調べていくと一々知らなかったことに出くわす、確かに興味深い島だ。島からは韓国は見えても日本は見えない。日本海の要でもあり幕末にはロシやイギリスもこの島を狙っていたと史実にある、よくぞ古来から一貫して日本であり続けたと思う。
天気予測は毎日見ているが日程の半分雨は避けられないようだ、前線通過で風も激しい、連休の晴天のツケが一気にここに来たような天気となりそうだ。屋内施設は少なくてエスケープは難しい。さてどうなるか。
旅の前にくるいつもの不安とその向こう側にあるまだ見ぬ世界を見た
い心がまぜこぜになってくる、このなんともいえない雰囲気も旅の楽しみの大きな部分なのだろう。

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