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2013年5月25日 (土)

時々絵を描いている

Sakuranoe 福岡に引っ越してきて廊下の隅にアトリエスペースを確保して時々絵を描いている。3月からやっと2枚かけた位でペースは遅いが面白さを感じ始めている。
ミュージアムウイークというイベントが今開かれていて、福岡市にあるミュージアムが期間中タダで見れるというので何回か出かけている。タダになるのは県立美術館、市立美術館、市立博物館、アジア美術館の4つだが、もう3館に訪れてしまった。気楽だ。まず訪れた県立美術館は九州にゆかりのある日本画家の展示 はるかなる風景 という出しものだった。最近油絵を始めていることもあり絵の描き方そのものにも興味がある。描いていると忠実な写実から次第に離れたくなってここに枝とかここに森とか書きたくなる、展示されている絵を見ていると画家はそんな衝動をどうしても表に出したくなっていくものだとわかる、少し安心する。電子ピアノを買って時々思いのままに指を動かしているが楽譜を弾こうとするよりそこから離れて自由に音を出してみるのが面白い、何処か似ている。人に見せたり聞かせたりするためではなくてまずは自分の楽しみだからそれでいいのじゃないかと思っている。
Gyoennoharu 髙島野十郎という画家の作品がいい、初めて見る絵だ。写実だがどこからか写実から離れていって自分の作り出した世界を写実のように描いている。桜の花びら一枚一枚まで丹念にかき込んで桜を描いているがどこか現実ではないものを漂わせている。
画家の作業を考えてみる。入念にスケッチする、それをアトリエで絵に落としながら心の中の風景を膨らませていく、膨らませきったら抽象画になるかもしれない、現実を越えた写実かもしれない、そうなんだ、そうやって多くの画家は描いているのだ、と一人合点する。アンドリューワイエス展でその描き方を理解したときのことを思い出す、丹念なスケッチから現実を再構成して作品にしていく、リアリズムの極地のような絵はそうやって描かれていた。行き着くところは違っても画家それぞれに同じ作業をやっている。
少し理解したような気がして美術館を後にした。しかしこの理解にはどこか生ぬるさがある、もう一段深みに入る感触が無い、それは自分でやってみなくてはつかめないのだろう、家に戻って印象を反芻しながらそうも思っていた。目の前のキャンバスを埋める、そこからなのだろう。
時はするすると過ぎていきもう夏の日差しがあたりを満たし始めている。動かねば。

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