屋久島にてーーーその2
屋久島の旅2日目は縄文杉への長い道のりだ。天気は予想通りの晴れとなった。往復およそ22km,標高差700m、山道では歩いたことの無い厳しさだ。4時に起き宿に頼んでおいた朝昼食2食を受け取って4時半前に宿をクルマで出発、専用バスの駐車場に向かう。4:44発の始発バスは既に満席で乗れない、待っている間に朝食を食べて5:00発のバスに乗り込む。まずは予定通りだ。結構なスピードで細い山道を走るバスはおよそ35分で登山口へ運んでくれた。
登山口はトロッコ線路の終点になっていてここから8.2kmのトロッコ線路をひたす
ら歩く。最初の1時間ほどは枕木を踏みながらですこぶる歩きにくいが旧小杉谷小中学校跡からは線路の中央に板が渡してありおよそ木道歩きの感じとなり歩きやすい。それにしてもこんな山の中に小学校があったということに驚かされる、戦後も盛んに屋久杉は伐採されこの地に集落が1970年頃まで存続していたという。
一休みしてまた歩く。尾瀬ヶ原の木道歩きも長いがそれより更に長い、おまけにその先に急な山登りがくっつくから大変になる、とりわ
け厳しいのが最終下山バスは18時発と決まっていることでこれに遅れるととても歩いては人家のあるところまで戻れず野宿ということになる。相当なリスクだ。そんな事情もあってかこのコースはガイドの率いるグループが殆どを占める。中には個人ガイドで歩いている単独山ガールも時々いる。登山者が皆若いのも他の山とは違う、年寄りにはきつすぎるしピークハントもない、山ガールだらけだ。こちらはGPSと地図で時間と距離をみながら行けば大丈夫だろうとガイドなしとした、
18時までにはま
だ行程に余裕があるとばかり景色を見たり鳥の声を録音したりしてのんびり歩く。鹿が多い。ヤクシカという屋久島特有の鹿でやさしく小型でかわいらしくアニメにも出てきそうな鹿だ。本土のがさつなホンシュウシカとは随分違う。サル(ヤクシマザル)もしばしばあらわれるがこちらものんびりしていて日光のサル(ホンドザル)とは別の種のようにみえてしまう、亜種で小さく人を警戒してもいない。イノシシはおらず深刻な食害問題もないようで全体に動物は平和な世界を形作っているように見える。朝は
野鳥の声も多くコマドリが直ぐ近くでさえずったりして礼文利尻の旅を思い出してしまう。森が深いだけに姿は殆ど見えないが鳥もいい。長くても楽しめるコースだ。
登山口からおよそ3時間30分かけてトロッコ道終点の大株歩道入口に到着した。
標準で3時間弱だから大分遅れているがまだ続々とグループが到着しており時間的な余裕はある感触だ。ここからウイルソン株をへて縄文杉に至る上りにかかる、結構きつい。若いグループに次々に抜かれながらも出発後4時間20分でウイルソン株に到着する、ここまでくればまずまずで後は行けるところまで行けばいいとの心つもりだった。人が多くて切り株内部に入るのに順番待ち状態だ。入ると随分な空洞だ、ハート型の断面の大きな空洞が残されている。こういう状態では年輪はどう数えるのだろうか考えてしまう、最外縁部が生育を始めた年として数えるのだろうが空洞まですぐに達しそうだ。木は新しい内側から死滅していき内側の空洞の大きくなって寿命が尽きるらしい、広がり方が遅ければ長い寿命を保てるということになる、人の脳の老化のようだ、昔のことは覚えているが最近のことはすぐ忘れてしまう。
中心部に空洞ができると単純に年輪を数えれば樹齢が分かるということは無くなり年輪の同定が必要になる、樹齢の算定は簡単ではないようだ。この株ではおよそ3200年前ということになっている、とにかく古い。歩きながら幾つかの切り株を見ると小さな切り株の一番内側に小さなハート型の空洞が見られることがある、若い頃から老化が始まってしまうものもあるということだろう、人の命と重ね合わせてしまう。
ウイルソン株から急な階段のぼりがあって次第に疲れてくる、大王杉に着く頃にはしたたる汗に限界を越えているのではないかと思い始める、しかしここまでくれば縄文杉はもうすぐだ、引き返しづらい。
予定の引き返し時刻12時をやや回るがまだ後続が大勢いてここまできたのだからと一上りしてついに縄文杉に到達する、12時18分、歩き始めて6時間30分近い。縄文杉はそばには寄れず離れたところから観察するほか無いが観察場所は大混雑で順番待ちとなる、スケジュールからいって昼頃にここに人が集中するのは避けられない。
樹齢は色々説があり4000年とも6300年とも7300年ともいわれる、いずれにしろ古い。生き物は長く生きるとこうなるのかと感じさせる、麗しさはなくなり生命力本来の執念のようなものの固まりに見えてくる、これは偉い、ほとんどの人類文明の歴史とパラレルに生き続けた存在感がすごい。われわれは今後6000年生きる生物を育て始めているだろうか、そうでなければこの屋久杉は空前絶後の存在なのだろうか、色々考えてしまう。人類文明の歴史もまだこんなものなんだとも。
戻り始めてものの20分も行くと突然右足の太ももがつりはじめた。休んでしばらくさすると良くなるが、数分歩くと今度は左足が同じようになる、交互に起こってだんだん厳しくなる、戻りの距離を考えて戻れないのではないかと不安が頭を占領する。
道脇に足を投げ出してさすっていると大丈夫ですかと何人もから声がかかる、中にエアーサロンパスを持っているガイドの方が居て両足にたっぷりかけて簡単な治療をしてくれる、さらに薬の効き目が切れた時にと貼り薬を数枚提供して下さる方も居て頭が下がる。さすって血が流れればすぐに回復する、登りのように血圧の高い状態で血流を送っているときは出にくく下りで足が浮いたようなときに出やすい、症状の出方が血流と関係あるようでそんな感じだと説明したら言いながらこれは熱中症の初期症状かもしれないと思った、持ってきたのは水やお茶ばかりで塩も無く大量の汗で塩分が出てしまえば血栓ができやすくなっているのではないかと気になってきた。そう思っていたらエアサロンパスの処置をして頂いた方が粉末のポカリまで分けてくれた。本当に有難い。
次の水場で500mlのポカリを作って一気に飲み干す。何とかなるかもしれないと思えてきた。こんなときの親切は何にも代えがたい。それにしても熱中症対策を考えてこなかったのはうかつだった、標高1000mの樹林帯では気温も大して上がるまいとたかをくくっていたこともある。梅雨明け直後のこの日は十分に暑い日となった。
足は何とか動いてくれて貼り薬の助けも借りながらようやくトロッコ道まで降りてきた。多くの人に支えられて自分は生きていると思い知らされる。後はひたすら緩い下りを歩くだけだと安心した。脈絡は無いがただただ森の命という言葉を改めて感じる。
まだ最後部ではないと歩いていると次々に抜かれて後ろが少なくなっていく。途中の計算では5時半頃に着きそうだと思っていたがさすがに疲れて休み休み歩き、しだいに危なくなる、とにかくできる範囲で急ぐ。結局やや遅れたもののなんとか5時40分にバス乗り場に到着した。6時の最終に間に合った、しかし際どい。これからは山歩きするときはエアーサロンパス、貼り薬、粉末ポカリは必携だ、そして今度は自分が誰かを助ける責務を渡された、そう思っていた。単なる古い杉を見たということをはるかに越えた体験全体が強烈だった。
最終バスに乗ればまた普通の世界が戻る。翌日は歩けるものなら白谷雲水峡をとにかく歩いてみよう。宿の食事の後はただただ眠る。
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