ハスとバルバラと
暑さはまだまだ続く。数日前ペルセウス流星群が極大になるというので真夜中に起きだして庭から空を見上げてみたが、もやっとした大気が覆っていて星すらほとんど見えない、星を見るにはどこへいけばいいのだろうかと思ってしまう。
こう暑いと戸外に出る機会が減るというより出るのが億劫になる。プールもひどく込んでいて運
動不足はどうしようもない、早朝 あたりを歩くことにしていたが夜の眠りが浅くなっていることもあり今はそれもまばらになってしまった。ヨットに週1回出かけるのが運動らしい運動だが先週は熱中症になりかけてこれも安全ではない。困ったものだ。
ともかく朝の散歩くらいはなんとかと思い今朝は近くの鹿助公園に出かける。ハス池になっていて今の時期ハスの花が綺麗だ。ハスは夜中に咲いて昼過ぎにはしぼむらしいので見るなら朝が一番ということになる。
蕾が膨らみきって咲く少し前のあたりが一番好ましいのだが開いても開ききらないくらいの姿も美しい。泥の中から現れて清廉な花を咲かせるところから仏の象徴のように扱われているようで、見ていてもどこか品があり同じない強さを感じる。花の中心にある花托は上に平らな面を向けており台座のようでそこからも仏を乗せる花との発想が出たようにも思える。一面のハスの花は朝の風景としてなかなかだ。
暑い夏だが8月も半ばとなった今でもまだ蕾がたくさん残っている、もともとインド原産ゆえ暑さには強いのだろう。
360mの池の周りを一回りして戻る、メジロが2羽飛び交っている。暑くてもメジロは元気だ、これも南方系の鳥だろう。暑くても花や鳥に出会うと少し気が楽になう。
このところバルバラを聞いている。バルバラの遺作となった自伝(「一台の黒いピアノ」)がやっと日本でも翻訳出版されて図書館から借り出してきて眺めていた。幾多の苦しい境遇を跳ね返す力がこの人には備わっているようだ。そう思ってレコードラックにある昔のレ
コード[AMOURS・INCESTUESES]を聴きなおすと強いクリアーな力強さが歌声にある。自伝の文は小説のような或いは日記のような繋がっていく文章ではない、断章を組み立てたような文章だ、詩のようなといえばきれいだがそんな滑らかな文ではない、パキパキと折れる音がするような文章だ、そんな生き方だったのだろう。そんな生き方だったからこそ、聴衆に支持されるシャンソンを自ら創り歌えたのだろう。
生き方に泥の中から花を咲かせるハスの花のようなところがある、しかし重い歌が多い、長くは聴けない。
もっとCDはないかと調べるが図書館には無くAmazonでみても主要なアルバムは廃盤になっている。中古の輸入CDをとにかく1枚発注する、音楽シーンは流れている、過去の多くを失いながら先へ進んでいくのは避けられないのだろう、しかしどこか寂しい。
こんな風に時が過ぎていく。暑い夏はぼんやり過ごす他無いが、ゆったりとした時間が流れているようでそれも悪くない。
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