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2013年9月30日 (月)

溢れるように時が押し寄せる

9月ももう終わりだ。思い返すと9月らしく野鳥が動き始めたのを感じる。昨日歩いてすぐの中公園という近くの公園に行って、最近水が抜かれてギスギスしていたのが少し水の戻って穏やかになった池を眺めているとカワセミが現れた。やっと戻ったか、との感じだ。池の水は少なくて魚がいるとはあまり思えない。石の上にとまったり杭の上にとまったりして一応水の中を眺める位置に居るのだが、飛び込まない、どうみても無理だ。一つ前の冬にもカワセミをここで見ているから、カワセミが巡Kawasemi る場所の候補のようだが今年の冬は見なかったしそれ以降夏場も含めて姿を現していない。池の姿も水が濁って一時は亀だらけだったことも有ってカワセミの出没するイメージではなかった。葦の茂みからクイナのような雰囲気の鳥が2羽出てきたがよくみればバンの幼鳥だ。なんだか池も平和な雰囲気に戻った。
住宅街を歩いているとコゲラの声もするし自宅の朝はシジュウカラの声が響く、よくきていたメジロはどこかへいってしまったようだ。鳥が動く季節だ、街中に居てこんな風に巡る季節を感じるのもいい。
鷹も渡る、油山の鷹渡り観察ポイントとなっている片江展望台にこの秋3-4回かよってみたらやっと当たりが出た、9月23日は次々にハチクマが現れて昼過ぎで500羽を数えるほどになった、Hachikuma0923 1日の合計ではハチクマは637羽と今秋カウントのピークだった21日の932羽に次ぐ当たり日となった。結構な数だ。ネットで少し調べると 日本から海を渡るハチクマの出口、五島の福江では今年秋の総計はハチクマ10400羽となっていて油山の合計3700羽の3倍弱となっている、ここの観測以外には高々2倍くらいしか渡っていないということになり油山はかなりいいハチクマポイントとなっているようだ。
眼も手術で見えが良くなって昨日は久しぶりにヨットハーバーに出向いてみた。感染防止からディンギーはまだ止められてYachi0929 いるからレスキューボートに乗って手伝う位が関の山だが、潮風に吹かれるのは心地よい。
こんな風に9月は過ぎていく。9月のはじめに右目の手術をしたのがもう随分遠い日のように思えてくる。この先も転がり転がりいくのだろう、その内北関東にも様子を見に行ってみるかとも思っていたが、するすると時が流れていく。
時は失っていっても次々と前からやってきてくれる、正面から潤沢で新鮮な時が溢れるように押し寄せるのが生きているということなのだろう。
10月の空はもうそこに、もう秋が深まってくる。

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2013年9月24日 (火)

イザベラバードの『日本奥地紀行』をまた読んでいる

晴れた日が続く。いい晴れもそろそろ終わりとなってまたその後は曇りか雨の日が続き時折台風が訪れることになりそうだ。暑かった中国大陸も急速に冷えてきており日本列島のほうがむしろ気温が高いくらいになっていく。こんな風に秋が深まっていくのだとしみじみ感じる、Akamai 日本の穏やかな季節の移ろいは巨大な太平洋のお陰といえる。
糸島で赤米を栽培している田んぼの“田んぼアート”が見ごろだというので見に行った。櫓のようなところに登ってみるのだがそれでも視点が低く全体が見えにくい、地上絵のような世界は飛行機にでも乗らないと存分には見られないのだろう。
津軽には何色かのコメを使い分けた絵のような田んぼアートがあるようだがここは通常のおコメを赤米の田んぼに植えて字を書いている。みると通常のおコメはそろそろ刈り取り時期で倒れ掛かっている、見る時期が限定されるアートだ。
昼なので何処かに食べるところはないかと探す、里山では無理かと思いながらクルマで坂を登っていくと道端の小道入口にカフェ・ランチの看板が出ている、木の風というお店だ、とりあえず小道を進んで小さな店に入る。前には白いジンジャーの花が見頃に咲いて感じがいい。昼時だから近くで仕事をしていると思しき客が結構いる。随分待ってピラフが出てきた。味も良くていい店だがキャパシティがいま一つだ、人里離れた所ではそんな文句も言えないかとも思う。

最近はイザベラバードの『日本奥地紀行』をまた読んでいる。以前読んだ時は飛ばして読み気になる部分のつまみ読みに過ぎなかったので、読んだと言うには後ろめたいところがあった。原文がぎこちないのか訳がこなれてないのか、文章に多少変なところはあるが内容は面白い。明治11年の農村の現実が生々しく伝わってくる。旅行家だけあって細かいところを良く見て書いている、改めて感心する。馬が良くない、道がひどい、蚤や蚊がすさまじい、宿は始終覗きみられる、食べ物は滅多に肉を口にできない、と尋常ではない厳しい旅行だが、風景の美しさを称える言葉が随所に現れる。北海道へ渡ってアイヌの集落を巡っているが、観察が細かい。文化人類学者のような目で捉えている、旅行記として出版販売しようとするとこれくらいの構えでやらねば意義が薄れるということだろうか。渡渉を繰り返し荷物も何もびしょ濡れになったという記述が何箇所にも出てくるが書き綴ったメモや原稿はどういう風にしまっておいたのだろう、現場で書いておかないととても記憶できる事柄ではない、よくぐちゃぐちゃになったり散逸したりしなかったと思う。
アイヌは原始の民族との捉えかたが一貫している、ニューギニアの現地人を見ているような目だ。日本国内でこんな見方でアイヌを記述する人は居ない、アイヌには申し訳ないが新鮮さを感じる。

人間を生き物としてみるクールな目は時々必要な気もしている。

中でアイヌの信仰としてどの部落でも義経が神と祭られているとの記述には驚く。義経が衣川で討たれず北海道へ逃げ延びたとの話は聞いたことがあったが興味本位の与太話と思っていた、少なくとも明治の初めの段階ではアイヌに広く伝わっていた話とあれば本当のような気もしてくる。衣川ではねられた首は鎌倉へ送られたが痛みがひどく替え玉も十分ありえたとの説も何処かで読んだことがある。義経がアイヌに与えた本を全てその後日本人が没収したのでアイヌの知恵は進まなかったとの言い方を訪れたそれぞれの部落でイザベラバードは聞いている。よしんば義経本人でなかったとしても義経一党がアイヌ人に知恵を与えたのは事実のように思えてくる。

歴史は全体を俯瞰できるほどに資料や証拠が揃わない限り本当のところは分からない、どうしても知りえた部分部分のつぎはぎとなって全体が歪められる。地上絵のようなものかもしれない。

現代も実はそうかもしれない。情報を選別し色づけするマスコミに振り回されて本当の姿が歪んで理解されてしまう。いつの世にも信頼できると思われる人の観察記録は価値が高い、今の世にはこんな見方が特に必要のような気がしている。どこに真実があるのだろうか。

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2013年9月23日 (月)

クロマダラソテツシジミ

庭にヤマトシジミのような表の青いシジミチョウがしばしば現れるので何だろうと思っていたが写真を撮ろうとすると逃げられるので判定はしばらくあきらめていた。
昨日の夕方やっと写真に撮れたが手持ちの図鑑には合うものが無い。少しは模様が近いタイワンツバメシジミの画像をネットで検索していくと名前は違うほぼぴったりの画像にいきあKuromasjm たった、クロマダラソテツシジミという。
2007年に沖縄に見られ始めた南方系のシジミチョウで幼虫はソテツを食い荒らす害虫となっている。
宮崎での越冬状況を細かく調べたデータでは少なくとも九州以北ではさなぎによる越冬は困難なようだ。しかし暖かい都市部では成虫のまま冬を越すこともなくはないようでもある。
ともかく現在は千葉県位まで北上しているらしい。福岡の庭に現れているということは何処かのお宅のソテツを食い荒らしたのだろう、少々痛ましい、我が家の庭にはソテツはない。
幼虫がそんな悪さをしなければ見たところはかわいらしい普通のシジミチョウだ。越冬できなKuromasjm2 いとすれば海を越えて運ばれてきたのだろうか、あるいはどこか暖かい場所を見つけて冬を生き延びた個体が繁殖しているのだろうか、どうも後者のような気がする。

かわいらしいが幼虫が害虫というのではどうみていいのか少々悩ましい。害虫はたまたま人間にとって不愉快なだけだ、この蝶を目の敵にしてもそれは人間の勝手というものだろう。

ともかく夏の気温の上昇と人工的環境の変化が生き物の分布を変えてきているのは明らかだ。本来ならば人間も自らが作り出した変化を含めた環境変化に対してぶつぶつ文句をいうより生き方や住む場所を変えていくべきなのだろう。せいぜいが2000年くらいの歴史にこだわってひきこもっている人々には明日は無いのではなかろうか。それがこの宇宙で奇跡のような星地球に生きるということではないだろうか。

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2013年9月18日 (水)

福岡で秋のタカの渡りを見る

白内障の手術は左目も終わりとりあえずのメガネも作って世の中が何十年か振りにはっきり見えるようになった。車を運転していると随分遠くの看板が分かる、何か分かりすぎて刺激が多すぎるようにも思える。目が良く見えるということは善し悪しのような気もする。
Hachikumax1 秋のタカの渡りが始まって近くの油山の片江展望台に出かけた。昨日は良く晴れて天気が安定してきたこともある。ここはサシバは殆どなくて主にハチクマだ。白樺峠や伊良湖岬を抜けていくサシバの大群はこことは違うルートを通るようだ。少し調べてみると四国から宮崎-鹿児Sasibax1 島-南西諸島へと抜けていくらしい、サシバはここを通るルートは全くといって使っていないようで不思議だ。福岡辺りにも夏を過ごすサシバは少しはいるはずだからこれはどういう風に渡っているのだろうか、やはり鹿児島へ向って南下するのだろうか。
それにしてもサシバとハチクマのルートがこうもはっきり分かれてしまうのは何故だろう、ハチクマはなるだけ好物のハチがいる陸地上空を長く飛びたいということだろうか、サシバは飛翔力から島伝いしか渡れないということだろうか、良くわからない。
ともかく昨日片江展望台でみているとまばらにハチクマが現れる。2時間ぐらい居て5羽しか見れなかった、午後3時前に引き上げたがそこまででこの日の集計はハチクマ36羽だった、どうもここは秋は数がまとまらないようだ。ハチクマだから土台そんなものなのだろう。

手術して鳥も良く見えるようになった。遠いとカラスとタカが見分けにくいように感じていたのがすぐに区別できる。鳥を見るには随分と気持ちよくなった。
Inuwasi 後で渡り鳥のコースを調べていたら今年1月に環境庁から出された「鳥類等に関する風力発電施設適正化のための手引き」という文書がいいデータを提供していることが分かった。ハチクマ、サシバの春、秋の渡りルート実測やイヌワシ、クマタカの生息分布の図も出ている。イヌワシは九州にはくじゅう山系にいるようだ。小鳥の渡りの調査もある、気象庁のウィンドプロファイラーのレーダーで捕まえられていて夜間に渡りが集中していることも示されている。

それにしても 脚光を浴びる代替エネルギーの風力発電にかこつけて細かい渡りのデータ取得にそれなりのやや手厚い予算が出ていること自体が面白い。こういうことでもないと鳥の調査には大した予算は出ないのだろう。予算投入の効果が金銭的に勘定できる活動に関わらない限り予算は厳しく査定されるようだ。それがいいことなのかどうかわからない。こんなこと全体が何かのバロメータになっている気がする、時代の切り口そのものだ、面白い。

油山でタカの渡りを見ていると時々オオタカやミサゴも現れる。よく晴れ渡った秋の日に見晴らしの良い高台で時間を過ごすことそのものが心地よい、タカが出ても出なくても秋の鳥見はタカ見に限る。

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2013年9月12日 (木)

原発事故についての特別講義

目を片目ずつ手術していて困るのは暫くクルマに乗れなくなってしまったことだ。勿論予想はしていてバスに乗って出かければいいやくらいに思っていた。現実にそうなるとバスで行けるところは知れている、思い付きでは動けない、気になるところへ思いついたら直ぐに出かけるクルマのある生活に慣れきっている自分を感じる。もう40年くらいそんな生活を続けている、そう簡単には変えられない。
テレビを見る時間がどうしても長くなる、この間パソコンをいじりながら放送大学をなんとなく流していたら福島の原発事故についての特別講義が始まった。最初が報道番組風だったのでよくあるドキュメンタリーの解説くらいかと思っていたらそうではない、事故がどういう具合にTanabe5 起こってどこが壊れて行ったか、メルトダウン、水素爆発や各地の放射能の増え方はどう関連付けられるのかを実測に独自の推定や計算を交えて説明してくれる。こんなよく分かる解説は初めてだ。次第に引き込まれていく。講師は田辺という人だ、かなり詳しい。考えてみれば今まで見たテレビの原発事故の解説は公表された事実をテレビ局の責任であたりさわりなく取りまとめたものでこのようなシステム全体の進行を専門家の視点から説明者の責任において読み解かしてくれるものではなかった。放送大学では講師の考えで講義内容を自由に組み立てることができる、確かにこんな形なら思い切ったこともいえる。話は次第に核心に入る、今後どうすべきかというところだ、想定外の事態に対処できるほど原発はハード的にも運用システム的にもできていない、これではだめだ、原発はもうやめるべきだ、としている。正論だ。
原発再開の流れができかかっているところでのこのような主張が公共放送から流されるというのは新鮮なものがある。ヒステリックにあるいは情緒的に動く“反原発村”の声でないところに説得力がある。
放送大学の理事長が4代続いた文部官僚出身から3.11後に現在の元私学学長に代わったこともあるのかもしれない。放送大学は形としては国からの補助が多い私立大学となっている、大学としての自由度は制度的には維持された形となっているようだ。

録画もしていないのでネットで何か出ているかと調べたらもともと5月に放送された講義だった、講義のネット録画が http://vimeo.com/66684623 に残されていて早速ダウンロードした。ネット上では田辺氏の主張には“反原発村”からの批判もあったりして昔の新左翼の内ゲバ風のところが出てきたりもしている。そんな風景はまたかと思わせて嫌になるが、講義そのものは見直してみても立派だ。放送大学という仕組みを見直してしまった。

政治状況や感情に振り回されず事実と向き合う、これが基本なのだろう。こんな冷静な議論が尖閣や竹島や北方四島についてもなされていけば世界はもっと住みやすくなるかもしれない、そんな風にも思っている。

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2013年9月 8日 (日)

白内障を手術する

時間に余裕ができると何故か病院との付き合いが増えてくる。今度は白内障だ。

もう5-6年前から近視がまた進み始めて毎年メガネを変えねば車の運転にも差し障る状態になっていた。水晶体の歪が大きくかつ一様でなくなったためか、ついにはどこのメガネ屋も あなたの眼鏡は作れない、医者の処方箋をもらってくれば作る というまでになっていた。去 年の免許書き換えでは1週間前に独協医大で詳細に処方してもらって作ったメガネでかろう じて規定の両眼で0.7をクリアした、片眼ではそれぞれ0.6だから本当にギリギリセーフだ。医者は白内Megane障だという。次の免許更新はもう無理だろうし野鳥を目で探すにも人頼みの状態でとにかく手術が必要という時期に来ていた。視野が暗くなっているとは感じなかったが視力が衰える一方だった。

九州に引越した後も出かけたり人が来たりでざわついていたがやっと落ち着いてきたので近くの白内障手術が看板の目医者に診てもらって手術することにした。3日前の木曜にまずは右目を手術した。正味15分からせいぜい20分の手術だから大したことはないはずだが、なにせ目だ。目を見開き続けて目にメスを入れられるというのはどう考えても気持ちがよくないし、局部麻酔も完全ではないだろう。湧き上がる不安を、だれでもやっているじゃないか、と押しつぶして手術用の椅子に座る。まぶたはあけた状態で器具のようなもので固定される。水やら薬やら分からぬ液体がかけ続けられ手術用の光をSousicyou正面から当てられる、結構まぶしいが何しろ閉じられない、我慢するほか無い。目の上のほうを少し切るはずで下を向いてくださいとの声で目線を下にやり続ける。勿論顔は動かせない。このあと機械の音がして目が圧迫されるような鈍痛を感じる、不快感が募るが我慢するほか無いと言い聞かせる、水晶体を砕いて吸い出す工程を進めているようだ。気持ちの良くない痛みがある。こんな不快感と緊張を20分も続けられるだろうかと思ってしまうがどうしようもない。やっとの思いで機械は終わり眼内レンズを入れる工程に入ったようだ、突然見えがよくなる。位置を合わせているようで細かくいじっている、もう勘弁と思う頃、ハイ終わりですとの声がかかる。ホッとする。顔にかけられた覆いが外されていき大きな眼帯が貼り付けられる。手術室を手を引かれて歩いて出るが出口に次の人が待っている、流れ作業のように次々に手術を行っている。これは手際が良くなるはずだ。休む間もなく戻った待合室で薬の説明があって病院を後にする。

当日は異物感やら何やら変な感じが残っていて何しろ片目状態だからおとなしく家のソファで穏やかなクラッシックのCDを聞き続ける、それくらいしかやれることが無い。寝る前に痛み止めを飲んで翌朝目が覚めると前日の異物感は消えて大丈夫そうな気がしてくる。9時の開院にあわせるように診察に出かけたがもう患者が何人もいる。暫く待っていると看護婦さんが待合室で眼帯を外してくれる、あっさりだ。

右目を開くと何か明るい。手術をまだしていない左目と較べて色も白っぽい。やや慣れてくると左目が何か緑がかったように暗くなっていたのだと分かる。気がつかなかったがやはり白内障は普通に進んでいたと納得する。弱い近視となる眼内レンズを入れたので遠くがくっきり見えるということは無いが明らかに視力が良くなっている。近くを見るのも不都合ない。

検査するとこれでメガネで補正すれば1.2近くなるようだ。まずはメデタシだがまだ左目の手術がある、これを終えてメガネを作り直してやっと運転ができる。まだしばらくはどこへ行くにも不自由だ。今の眼鏡の右だけを弱い度数のレンズに変えれば今の状態でも運転は可能かもしれないと近くの眼鏡屋に出かけて仮の組み合わせを作ってもらって見て見るが右左の色の違いがどうしようもなくて一つの像に結像できない、眼鏡なしの方がなんぼかましだ、簡単ではない。片目だけレンズを換えた眼鏡では役に立たないと解ってあきらめる。あと2週間くらいは我慢して家でごろごろするほかないようだ。水泳や 海に落ちることが前提のヨットは水による感染症を避けるため1ヶ月は控えてほしいともあり、これは運動不足になりそうだ。我慢しなければならないことが多いがどうしようもない。

ともかく日帰り手術で随分と見え方が良くなった。人類はそのうちサイボーグのようにくたびれた部品を変えながら生き延びることになるだろうと思っていたが目についてはもはやその時代に来ているようだ。

ほんの数百年もすればサイボーグ化は体の隅々まで行き渡り飛躍的に人類の寿命は延びることになるのかもしれない。長く生きることが本当に幸せなのだろうかということになるのかもしれない。そこまではまだ程遠い単純な時代に生きていることが考えてみれば幸せなようにも思えてくる。目の前の今を十分に楽しむ、それが一番なのだろう。

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