中途半端でない生き方は幻想に過ぎない
目を片目ずつ2週に渡って手術して感染防止のため水泳やヨットを禁じられたこともあって、やや運動不足だ。気晴らしに例によってやりたい事を一つずつつぶしている。今回は焼物つくりだ。
茶の湯に興味があって時々自分流にお茶をたてているが茶碗がどうにも面白くない。新たに買えばいいのだが、品物を見たりネットで見たりするとこれはというものは恐ろしく高い。こんな時は自分で作るのが一番と、上野(あがの)焼の窯元で作らせてくれるところを見つけて出かけた。
陶芸教室自体は自宅から歩いてすぐのところにもあるが費用もそれなりにかかるし毎週のように作り始めると家中焼物だらけになりそうな気がしてまずはとにかく一つでも作ってみようと気楽にしかし本格的に体験できるところとした。
八木山峠を越えて飯塚から北上し直方の近くにある福智町上野というところに向かう。上野焼は江戸時代中期の茶人小堀遠州が選んだ遠州七窯の一つで茶器では全国的に名が知
られている。
到着は予約の時刻にはやや早かったが丁度先客が終わったところでもあり直ぐに始めることができた。上野焼中村真瑞窯という。ろくろを回すのは全くの初めてだがマンツーマンで手取り足取りの風情で教えてくれる、費用の割には随分親切だ。
水を切らさないこと、手の位置を変えないこと、厚みを一定にしながら薄くして行くこと、あたりがコツといえばそのようだが何度もやって見る他ない。茶器用の茶碗はやや大きくてなかなか思うようにはいかない。何とか5つばかり作ってみて一つだけ選んで焼いてもらうこ
とにした。釉薬がけはやってもらう事になる。窯出しは11月上旬で先のことだが楽みだ。上手くできそうならまた作ってみるかとの気もしている。焼物つくりは自分の中でどう展開していくだろうかとそれが面白くもある。
暫くはまっていた日光彫はもう一年以上やっていない、福岡で材料を求めて続けていくのは容易くないし彫っても塗りは栃木まで送るわけにもいかずここでなんとかしなくてはならない、やりたいことが他にも色々あってなかなか手が回らない。続けていくことは簡単ではないと思い知らされている。
全てが中途半端に終わるかもしれない、しかし土台中途半端でない生き方なんてそうそうあるものではない、そんな生き方は幻想に過ぎない、そう言い聞かせながらあれこれ手をだしている。
2日ほど前ウイーンフィルのコンサートマスター、シュトイデルのバイオリンコンサートを聴きに出かけた。上手すぎる。上手すぎて何処か伝わらないものがあるようにさえも思う。上手くなくても自分にだけでも伝わるものができればそれでいい、そう思って絵も描いているし俳句も作っているし写真も撮っているし日光彫もそうだった。
時が足りない、仕事を離れて十分な時間を持っているはずだが、いまだにそう思っている。ずっとそう思い続けていくのだろうか。もう秋も深まりを見せてきた。
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