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2013年12月29日 (日)

時代の変わり目が来たようだ

髪がうるさくなってきたので散髪に行った。カットだけの1000円床屋だがチェーン店になって いて合理的にできている。税込み1000円の料金の範囲で十分丁寧だ。2日ほど前に髪を切ってもらった帰りに来年4月からは1080円になりますといわれた。ああ消費税アップだなしようがないと思って店を出たが、歩いていて消費税のアップ分は3%のはずだがと気がつく。
要するに便乗値上げということになる。しかしこれまでは内税表示が政府から義務付けられていたのもあって内税で1000円だったのがこれから8%10%と消費税が上がって行くとなれば1000円の看板は税無しで1000円とせざるをえまい、何しろ1000円というのがキャッチコピーなのだから このせりふは変えられない。内税5%から外税で8%とする増税以上の値上げも致し方ないのかもしれない。

こんなことが方々であるのか今年10月からは内税表記でなくとも可とする特例措置法が施行された、政府が便乗値上げしろといっているにも等しい。来年の4月からは予想以上の値上げラッシュとなりそうな予感がする。

ジャブジャブに緩められた資金供給に消費税増税という形で政府がインフレに直接火をつけようとしている。
制御されたインフレというものは財務官僚の幻想に過ぎない、来年はどうインフレが暴走していくかを眺める年となりそうだ。

XPのサポートが来年3月で終了するという、そろそろ何か対策しなくてはと買い替え用パソコンのラインアップをネットで調べていて少々驚いた、一時よりは2割くらい価格が上がっていAspire1 るように見える、以前は4万以下でも高性能のパソコンが色々あった、いまはそんなことはない。更にAcerのAspire-1の代替となるような9インチ以下で性能も価格もそこそこのパソコンがほぼ無くなっている、このクラスはipadに席巻された形のようだ。
しかし気象の計算のような作業は普通のパソコン仕様でないと全くできない、旅行に有用な小さなパソコンを持っていくことができなくなるのだろうか。時代は後退しているようにも思えてくる。

後退ではないのだろう、断絶する時代、時代の変わり目で起こるような感触がここにある。
何かスタティックだった時代が終わり目くるめく時代となる予感が漂っている。

どうなっていくだろう、全てのことはまず受け入れる、ただただそう思って生きている。

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2013年12月25日 (水)

奄美の旅(その2)

奄美の旅続き。嵐の初日は終わり2日目、この日の午前は金作原原生林をガイド付きで歩いて見ることにしていたが朝目覚めると激しい雨音がする。しかし前日の嵐の続きのような天気はホテルに迎えに来たガイドのクルマに乗る頃にはすっかり上がった。ある程度予想はしていたのだがこんな風にぴったり上がると有難いというより唖然としてしまう。

0map 金作原原生林はレンタカーで自分で走っていっても行けなくはないがガイド付きが極めて望ましいという書き込みをネットのあちこちで見かけてガイド付きにした。初めて来ると確かに不安を覚えそうな道ではあったが一度訪れてみると次はガイドは要らないかという感じだ、走れない山道でもない。名瀬から知名瀬トンネルを使って知名瀬の南に出、そこから知名瀬川ぞいの道を登っていく。山道で前日の嵐で木の枝がKinsakubr1 路面に散らばったりもしているが走れる。途中で停まって金作原の一帯を眺める。スダジイ のもこもこした森で沖縄のヤンバルの森に似ているようだ。上り詰め舗装が切れて少し走ったところで目的地到着となる。一台のクルマとすれ違うことも無かったがすれ違いは厄介そうな道だ。道が少し広くなっていて邪魔にならないところへクルマを停め後はT字路を南に折れて林道を歩く、この道は車両通行止めとなっていて遊歩道のように使われているようだ。
雨上がりで広葉樹のKinsakbr2緑が美しい。鳥の声は方々から聞こえる。ウグイスのような地鳴きが茂みからするがシジュウカラだろうとガイドが言う、こんなシジュウカラの地鳴きは聴いたことが無い、アマミシジュウカラなのだろうか。カケスのような鳴き声はルリカケスらしい、あちこちから声がするが姿は見えない。ヒカゲヘゴの群生が現れる、ヤンバルと似ているがこちらの方が背が高いし群生しているような気がして見ごたえがある。そのうち前方の道にアカヒゲが現れる。Hikagehgこれもヤンバルで見ていたのですぐにそれと分かるがここでは結構目にすることは少ないらしい、雨 上がりが良かったのだろうか。最後にオキナワウラジロガシの大木の元に案内される。これもヤンバルの森と同じだ。ヤンバルのほうは酸性の赤土が特徴的でこことは土が違うがその他は良く似た植生のようだ。ヤンバルの原生林は米軍の演習地になってむしろ破壊から守られたといわれるが、ここはアクセスが悪いために生き残ったのだろうか、それともハブが守ったのだろうか。
Photo 葉の大きなクワズイモや花と実がいいリュウキュウルリミノキがあちこちで目に付き、花が可憐なトクサランなど、この時期でも花がいい、サクラツツジのつぼみもかなり膨らんでいて間もなく開花しそうで冬でも華やかだ。この他太いツル性植物にランのような花も咲いており植物がとりわけ面白いところと感じる。確かにここは奄美の見るべきスポットのひとつだろう。
ホテルに戻り昼を食べてナイトツアーまでの間奄美の中南部をできるだけ見ようとレンタカーで走り出す。
Manglb まずはマングローブの森を見ようと住用町の道の駅にいってみる、カヌーが面白そうだが水 遊びには寒いしちょっと時間が無い。クルマで更に1-2分行ったところにあるマングローブ原生林の遊歩道を歩くことにする。水面近くまで階段を下りてやや進むとシロハラよりやや大きいくらいのきれいな鳥がさっと飛ぶ。一瞬でオオトラツグミと感じる、田中一村の絵にあったオオトラツグミとそっくりだ。飛んだ方向に遊歩道をゆっくり戻ると暗がりの倒木の上にとまっている。双眼鏡で落ち着いて見る。美しい。間違Aいなくオオトラツグミだ。写真にも一応写すが遠く暗く証拠写真くらいの映像しか撮れない。そうこうしているうちマングローブのほうへ飛び去ってしまった。美しい奄美の固有種の鳥に出会えたのだからこれだけでも来たかいもあったというものだ、勿論天然記念物だ。
マングローブの森ではシジュウカラやヤマガラにも出会うがいずれも本土のものとはどこか違う。アマミシジュウカラ、アマミヤマガラのようだ。アマミは見慣れた鳥でも亜種を作り出してしまう、それほど孤独な島なのだろうか。

南の山のほうにも行って見ようと湯湾岳をめざす、展望台が観光ガイドにも載っており行くのは容易だろうと走り始める。しばらく走って宇検村から湯湾岳への道を折れようとすると通行止めの看板が目に入る。何と言うことだ、最近の雨のせいだろうか、しかたがない。がっかりだ、あたりの海辺の道を鳥を探しながら走って引き返す、雨交じりになって風もありミサゴが居るくらいだ。夜のナイトツアー開始まで時間が余ってしまって住用の奄美アイランドに行ってみるがここも閉館でどうしようもない。後で調べると2010年の台風被害以来閉館しているという。どうにも奄美は難しい、よくよく調べておかねば現地では動きにくいように思える。
マングローブ茶屋で早めの夕食をとる。鶏飯丼というのが良さそうでこれにする、要するに鶏飯だが だし汁がかけてあって出来上がった状態になっているというだけだ。思ったより随分出てくるま131218ryukyukonoha3aで時間がかかるがそれだけあってかこれはおいしい。ポンカンまでもらって、近くのナイトツアー集合場所まで行く。

小雨の中ガイドの車に乗り換えて三太郎峠旧道の登りにかかる、雨の日は却って生き物が出やすいという。と 左に中くらいの鳥が横切り直ぐにリュウキュウコノハズクだとの声があがる、ライトで照らされたところに確かにコノハズクが見える、こんなにあっけなく鳥が出てくるのかと驚く。勿論ガイドは慣れていてどの辺に何が出そうか解っているようだが相手は野生だ、そんなにうまくは出てこないはずだ、確かに雨で条件はいいようだ。この後もリュウキュウコノハズクのメスが寄ってきたり、光に動かないリュウキュウキジバト、アマミハナサキガエルやアマミアカガエル等が次々に現れた後、道の先に石のようなアマミノクロウサギが見えてきた、クルマが近A_2 寄るとのんびりと道脇の藪に入っていく。こんな様子では当然絶滅危惧種にもなろうと思えるほどのおっとり感だ。そのうち道の左の斜面を駆け下りるものが目に入る、程なく道に尻尾の半分白い茶色のネズミが出てくる、ケナガネズミだ、世界でも奄美から沖縄北部にかけてのみ生息しており国の天然記念物に指定されている。冬が繁殖期といわれ冬に動きが活発になるらしい。美しいアマミイシカワガエルにも出会え、夜の森の懐の深さも感じていく。夜は生き物は警戒心を薄めむしろ好奇心を表してくる、一方で人は警戒心を高める。昼間の人と生き物の立場が逆転しているようだ。奄美は夜が面白い。

3日目も雨模様だった。リュウキュウヨシゴイを期待して秋名を回るがアマサギが1羽のみ、そこから自然観察の森に上がり散策するも雨が降りかかり風も出て鳥見にはつらい。ルリカケスの声があちこちから聞こえる。姿を求めて歩き回るがついに現れない。しかし雨の中のOose 散策もそのままの自然らしくて悪くも無い。頃合を見て引き上げる。
西郷隆盛蟄居の地を眺めて空港へ向かうが正午発の飛行機の時間にはやや間がある、大 瀬海岸のシギ・チドリを楽しんだ後 気になっている重要文化財の泉家住宅がこのあたりにあるはずと探すが看板も無ければナビにもない、時間が迫ってきてこれもあきらめる。観光案内やパンフレットにもどこにも紹介されていない。重要文化財のありかを示す看板も無いとは、と思ってしまう。いったいどうなっているのだろうか、奄美唯一の国の重要文化財の建造物だ、国の決める価値基準なんかには重きを置かないという意思表示にも思えてくる。

奄美大島は不思議な島だった。何かに満ちている、日本人の起源にも関係している深い歴史を抱えている、不思議な動植物にも満ちている、価値がありすぎるのかもしれない、背負いきれないのかもしれない、不思議な島だ。

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2013年12月21日 (土)

嵐の奄美大島に降り立つ

奄美大島に出かけた。天気は予想以上の雨模様だった。奄美は雨の島、そうかもしれないと思い始めている。断念した皆既日蝕の奄美も雨だった。これも参加しなかったが3年前の野13121715j 鳥の会栃木のツアーも雨だった。その後の鳥の仲間のツアーも雨模様だったようだ。
今回の荒れ模様はもう10日も前から分かっていた。暖気が南の海から突き上げるように上がってきて大荒れになるというスパコンによる予測計算が10日前から出ていた、本当にそうなるだろうか、早まったり遅くなったりするのではと期待していたが嫌な予測は良く当たる、概ねその様な展開となってしまった。ばらつきのある観測値を初期値として微分方程式の積分解でそこまでの精度が出るというのがむしろ驚きだ。10日前のどこにこの嵐の種が潜んでいたのだろうか。

Kitai とにかく嵐の中で、搭乗機ボンバルディアDash400は奄美空港の着陸コースに進入していった、雲も低い、ほぼ満席だ。強い左横風で15mくらいあるという、悪い条件がそろっている。パイロットは何度も機内アナウンスで着陸を試みるが引き返すかもしれないと予告する。Dash400はもともと短距離離着陸性能を売りにしていた機体だ、突風に強いはずが無い、無理してくれるなと願いつつ最後の接地を迎える、接地後当然のごとく機首はとられるが横にあおられることはない、なかなか上手い着陸だ。そっと拍手する、だれも拍手しないのがさみしい。

ボーディングブリッジのない空港に降り立ってみると本当に暴風雨だ。後でデータをみるとこの時間帯は平均風速14m/s、最大瞬間は19m/sだ、よく降りたと感心する。レンタカーを借り出して動き始めるがとても鳥見ができる状態ではない。
屋根のある施設へと逃げ込むように 近くの宇宿貝塚の博物館に向う。駐車場から入り口までKaiduka どうやって行こうかととためらうほどの荒れようだ。入ると他に訪問者は無く 館の人が付きっ切りで1時間くらい丁寧に説明しながら回ってくれる。貝塚遺跡の発掘現場にそのまま屋根をつけたような施設だ。この遺跡の場所には3000年前以上から時々途切れながら人が住み続けていて重層的な遺跡になっている。最も古い遺跡を残すため上の時代の遺跡が壊されたりもしている、止むを得ないとはいえ少々痛々しい。基本的に無宗教だったらしいというのも面白い。古くより色々な国から漂着した人が島内で住み続けているらしく西洋系の面影のある人が今も島には居るという。島の歴史そのもは旧石器時代に遡るようでここにも現代の日本人のルーツの一つがトレースできるようだ。混沌とした人種の混合が日本という国の本質かもしれない。

風雨は依然厳しく、もう一つの屋根付施設、田中一村美術館に向かう。これも空港近くだ。
田中一村の名は奄美に行くと決めた後 奄美紹介のサイトで初めて知った。35年前くらいにIsson 奄美で亡くなった日本画家だ。栃木生まれで東山魁夷と芸大同期で東京で芽を出そうとしたがかなわず奄美に渡り生きるための仕事しながら描くべきと思う絵を描き続けた画家だ、奄美でのやせ細った姿の写真がある。絵は奄美の野鳥や花を沢山描いている。オオトラツグミを描き込んだ絵もあってトラツグミはこんなにスマートでも派手でもないのにとやや違うように心に思ったのだが、翌日オオトラツグミにフィールドで遭遇して、そのとおりの姿だったのにむしろ驚いた。よく見て描いている。逆にここでこの絵を見たことで現実に初めてこの鳥に向かい会った瞬間オオトラツグミと確信できた。何かが伝わったような気がした。この美術館は奄美にあってこそ価値が高いのだろう、現実と絵がグラデーションのようにつながってくる。心に残る絵だ。暴風雨も別のものをもたらしてくれるようでそれはそれで悪くない、旅らしい感慨がある。名瀬の宿へとひたすらクルマを走らせる。野生生物ばかりでなく面白い島だ、何か特別なものがある島だ。旅は続く。

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2013年12月11日 (水)

アフリカでエンブラエル190旅客機が墜落

Crashpoint ナミビアの東北部でカプリビ回廊といわれている 北のアンゴラと南のボツワナに挟まれた帯状の地帯に11月29日11時30分(GMT)頃、モザンビークの国営航空LAM TM 470便の 旅客機(Embraer190)が墜落大破し33名の搭乗者全員が死亡した。現場はBwabwata国立公園内で地上からのアクセスが難しい地域だったが現在犠牲者の収容と事故調査が行われているLamembraer190。事故後現地付近の公園の要員が現場にライオン等の野生動物が近づかないよう警戒していたとも伝えられている。

事故調査の状況は全く報道されておらず原因は明らかでないが、事故当時はボツワナの管制下にあり高度38000ftから降下中でそのまま墜落した、コントロールできていないような 状況だったとの報道もある。気象条件は衛星画像からは雷雲と思われる雲によJikoるやや激しい降水が認められており、事故は悪天候がひきがねとなった可能性が推測できる。巡航中の事故はやや珍しいが4年前にブラジル沖で悪天候時の速度センサーへの着氷で墜落したA330の 例もありフライトレコーダの回収・解析が待たれる。事故調査には米国のNTSBも1名係官を派遣している。

機体はモザンビークの首都マプトからアンゴラの首都ルアンダに向う便で搭乗者の中には5名のポルトガル人が含まれていた。モザンビークもアンゴラもポルトガルの旧植民地でポルトガル語が公用語になっている。更には機体はブラジルのエンブラエル社製だがブラジルも旧ポルトガル植民地だ。大航海時代スペイン2013112912と世界を2分したポルトガルの残影をみる思いがする。EU諸国の経済危機が取りざたされるが、旧植民地の経済圏で支えられる国はそう簡単には破綻しないようにも思えてくる。

もう少し調べてみる。墜落したカプリビ回廊といわれる帯状の地帯は1890年以降ドイツが英国との領土交換で支配していたが第1次大戦でドイツが敗北した後はナミビアの一部として(アフリカのミニ大国を指向していた)南アフリカ連邦が統治し続けていた。西アフリカから東アフリカへ繋がる回廊として地政学的なポジションにあるが政治的にも言語的にも入り組んだ地帯となっている様だ。

ナミビアではその後独立を目指す勢力に南アフリカ軍が敗れナミビアからの撤退となり、これとともに当時進んでいた冷戦時代の終結が南アフリカのアパルトヘイト政策終焉の引き金となった。

一方この事故と時を同じくしてマンデラ前南アフリカ共和国大統領の死が報じられている。アパルトヘイト政策を英国から非難されたため南アフリカ連邦は英連邦から脱退して南アフリカ共和国となっていた、それを最終的に平和的に倒し引き継いだのがマンデラだった。

モザンビークの名前もアフリカ独立の波で悲惨な内戦を戦ったモザンビーク解放戦線の名前と映像のほうがむしろ頭に残っている、国営航空会社を運営するまでになっていたのかとの感慨がある。

事故の周辺を少し調べていくと忘れかけていたアフリカの植民地の歴史が生々しく蘇ってくる。航空事故は一つ一つが現代史的な意味を持っているように思えてならない。

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2013年12月 6日 (金)

奄美大島に出かけてみようと

奄美大島に出かけてみようという気になって計画している。例によっていくばくかのマイルが期限が来て消滅するという事情による。冬ならハブも冬眠中だろうということもある。
2泊3日として色々行くところを考えていたが飛行機便をみると往復1便しかなくそれも行き帰りともほぼ12時に出発となっている。これはもったいないが3泊というとやや疲れるし と とにかく2泊3日で飛行機便や宿・レンタカーを予約する。おともDEマイルを使うため日程の変更は一切できない。
奄美の森の散策をメインにして自然観察の森と金作原原始林は回ることにして後は適当な観光とする。金作原はガイド付きが望ましいとネットのあちこちに出ているのでガイドも予約する、結構物入りだ。
奄美は今年12月で復帰60年になる。どんなところかただただ見るだけでも十分のような気がしている。日食ツアーでも行けなかったことがありいつか行かねばとの宿題を抱え続けているのが重くなったということでもある。

昨日思いついてクルマで10分くらいの松風園というところに行ってみた。昭和初期の茶室を市が整備しなおし公園施設となっていてこの時期庭園の紅葉がちょっといいらしい。昔通っていた小学校の直ぐ近くだ。ナビで探していくと駐車場がある。鎖がかかっていてどうしたものかと思ってると、注意書きがあって 有料駐車場です、鎖に車を寄せれば自動で鎖が下がります とある。近づけるとするすると鎖が下がって中に入るとまた上がっていく。出るには受付でコインを買って鎖の付け根の箱に投入すればいいらしい。こんな仕掛けなら住宅地でも不法駐車を排除できるし よくあるコインパークよりは設備も簡単だ。受付で入場手続きをし駐車コインも買って庭と茶室を見る。大きな楓が西日を浴びていい感じだ。松の剪定もSyoufuuen 気になるがスカスカにうまく切ってある、木の種類も自宅のものと違うようだがこんな風にはとてもできない。抹茶を入れていただいてぼんやり庭を見ている、ここも気が休まってかなりいいところだ、そのうちアトリがパラパラと現れて遊ぶように木の実を食べている、鳥もリラックスしていて近くでよく見える。松風園を出てすぐそばの植物園にも向う。秋バラやツグミ・シロハラ・アトリ等に出会え、やわらかく紅葉していてここもいい。遠くまで出かけなくとも近くにいいところが幾らもあAtori2b る。随分と生きていくのに楽な環境だ。なまってしまうような感触をおぼえる。

12月の奄美に慌しくも出かけようとしている、こんな旅行も時々しなければ何かを失いそうな気がしてくる。贅沢な悩みなのだろうがそれでも何処か緩いと思っているのは何故なのだろうか と考えている。
楽できない性分なのだろうか、それとも本当に緩々の生活にはまり込んでしまったのだろうか、やはり考えている。

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2013年12月 2日 (月)

福岡国際マラソン2013

福岡の12月というと国際マラソンだと数日前テレビを見ながら思った。これも見に行かねば。川内や藤原、松本翔といった話題のランナーが来て走るわけだからこれは見るべきだ。それに無料で見られるというのがいい。

Jp_coursemap どこでどうやって見るか、スタート付近でまずは走者の雰囲気を得て、途中の苦しくなりそうなところ見ようと、スタートの平和台競技場へ向かった。あちこちで道路の封鎖が見込まれるのでなるべく鉄道を使った移動とする。
12時10分スタートだから11時30分頃までにバスで天神へ出て地下鉄で大濠公園まで移動しコースに逆行する動きで平和台まで歩いていけば、どこかで必ず遭遇するはずだ。
動いてみると思いの外早く行けてスタート前の平和台競技場についてしまった。

芝生スタンドでまずは観戦する。とりたててセレモニーも無く花火とともにメインの競技者であるAグループが一斉スタートする。松本翔がペースメーカーの後ろについて先頭を走る、川内は良くわからない。数字だけゼッケンに書かれた選手は表と照合してすぐに見つかるのだがゼッケンに名前を入れた有名選手はゼッケンの文字が全体にかなり小さくなってスタ ンドからはゼッケンナンバーが読めない。テレビ中継で解れば十分ということだろうか。観客にはちょっと不親切だ。2週して道路に出て行く。淡々としている。

観客はぞろぞろと競技場を跡にしてそれぞれの目当ての次の観戦ポイントへと散っていく。こちらは地下鉄駅に戻り地下鉄に沿ったルートの部分で観戦しようと30kmポイントあたりをねらう。折り返しから戻ってくるまで少し時間が取れて往復ゆっくり見れる往き28km帰り35kmとなる箱崎九大前駅で 下車する。すぐ北を走る国道3号線にルートが設定されている。
歩道の適当なところに陣取って暫く待っていると観客が増えだしそのうち警察の先導車が「後5分で先頭が通過する・現在川内選手が先頭」とスピーカーで流しながらゆっくり走りすぎる。親切だ。ややあって箱型のテレビの中継車に続いて白バイに囲まれたランナーが2人見えてくる。川内とゾストだ。川内が飛ばしている。間をおいて第2集団が来るが藤原は棄権したという。暫くしてやっと松井がくる、10数位だがトップとは大分離れている、2/3くらいの距離ではもう列は相当に伸びていて勝負が見え始めている。折り返し点からのリターンがやってくる時間が迫ってきたので歩道橋のあるところまで移動して歩道橋で反対側Marathon2に移る。横断歩道は競技中は閉鎖されていて対岸へは歩道橋しかすべが無い。
35km地点には時計を示す計時車が路肩に停まっている、解り易い。先程と同じようなパターンで先導車が過ぎた後ランナーが現れる。先頭はアフリカ系の2人、マサシとギタウだ。続けて第2集団として川内、ゾスト他数人が現れる。表情は必死の形相になっている、目いっぱいの感じだ、このあたりが一番苦しいのだろう。ここら辺りにくるとトップグループに外国人が多い。海外から招待されるだけのことはある、35kmも走ったというのにペースは早い、分速300m位だ。自分でスロージョギングしていると分速110m位なら長く走れるのだがこれは桁違いに早い。当然といえばそうだが改めて驚いてしまう。
次々にランナーが来てそろそろ先頭がゴールするという頃まで観戦して引き上げる。
それにしても疲れた。観戦場所への移動には歩きが多くなるし歩道橋のあるところまで歩くのも遠かった。立ちんぼなのも疲れる。しかしランナーよりは余程楽なので贅沢はいえない、いい運動だ。走っている選手一人ひとりにガンバレと素直に声をかけ続ける、これがいい。
帰りは地下鉄、西鉄電車と乗り継ぎ、最後はコースを通らないバスを利用して家までたどり着く。多くのバスが中心部を走るマラソンの影響を受けて極端に遅れている。
家に戻って結果の全容がわかってくる、川内は第2グループから飛び出して2位に5秒差まで迫る大健闘だったようだ、あれから更に力を搾り出したとはすごい。

初めて大きなマラソン大会を観戦した、衝撃的なことは何も無かった、が ひたすらにほぼ目いっぱいに力を出し続け何か純粋なものに没頭する人間の美しさにある種の感銘を受けた。
夜のNHKの報道はそれ程大きなものではなかった。朝日系のイベントということもあるのだろうか。この日を飾るモザイクのひとつに過ぎないイベントのようでもあるが現場を見た個人にはそれぞれに深いものを与えてくれる、この感触の集まりが結局は世の中を構成しているのだろう、そんな世界を改めて思ってしまう。

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2013年12月 1日 (日)

ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番

このところ交響曲の演奏をしばらく聴いていない気がして今週九州交響楽団の定期演奏会に出かけた。曲目はラフマニノフの3番とプロコフィエフのロミオとジュリエットだ。

ラフマニノフの3番はピアノの難曲とも言われ映画シャインで主人公のピアニストの精神を痛Raphmaninoff めたとされる作品としても記憶にある。ピアニストはホロデンコ、初めて聞く名前だったがウクライナ生まれの27歳、今年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝者で新進気鋭といえる。指揮はアラン・ブリバエフというこちらも新進気鋭の指揮者だ。
ラフマニノフの3番は何度かCDで聞いたことがあったと記憶していたが実際の演奏を聞くとその迫力に圧倒される、ピアノが壊れんばかりだ。第1楽章ではピアノが耐え切れないのか響きがサチッてしまった様な音にさえなってくる、こんな曲だったのかと改めて聴きなおす。Kholodenko オーケストラも合わせるのが難しそうな曲だがピアノのリードにぴったり合っている、当然といえば当然だが気持ちがいい。3楽章まで進むとピアノの音もまろやかさを戻して美しい。それにもまして演奏技術の要求される曲というのが伝わってくる、こんな曲をよく作曲できたとさえ思ってしまう。それにしても今までCDで聴いていたのとはまったく別物のように感じる。ホロデンコの迫力なのかブリバエフの技なのか。

こんな風にいい音楽を直に聴いたり温泉へ行ったり海で遊んだり鳥を眺めたり絵や焼き物を作ったり気ままに暮らしていけるのは幸せというべきものなのだろう。いつまで続けられるだろうかなどとは言わず目の前の今を楽しむべきなのだが、求め続ける何かに時々疲れを感じてしまう。

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