嵐の奄美大島に降り立つ
奄美大島に出かけた。天気は予想以上の雨模様だった。奄美は雨の島、そうかもしれないと思い始めている。断念した皆既日蝕の奄美も雨だった。これも参加しなかったが3年前の野
鳥の会栃木のツアーも雨だった。その後の鳥の仲間のツアーも雨模様だったようだ。
今回の荒れ模様はもう10日も前から分かっていた。暖気が南の海から突き上げるように上がってきて大荒れになるというスパコンによる予測計算が10日前から出ていた、本当にそうなるだろうか、早まったり遅くなったりするのではと期待していたが嫌な予測は良く当たる、概ねその様な展開となってしまった。ばらつきのある観測値を初期値として微分方程式の積分解でそこまでの精度が出るというのがむしろ驚きだ。10日前のどこにこの嵐の種が潜んでいたのだろうか。
とにかく嵐の中で、搭乗機ボンバルディアDash400は奄美空港の着陸コースに進入していった、雲も低い、ほぼ満席だ。強い左横風で15mくらいあるという、悪い条件がそろっている。パイロットは何度も機内アナウンスで着陸を試みるが引き返すかもしれないと予告する。Dash400はもともと短距離離着陸性能を売りにしていた機体だ、突風に強いはずが無い、無理してくれるなと願いつつ最後の接地を迎える、接地後当然のごとく機首はとられるが横にあおられることはない、なかなか上手い着陸だ。そっと拍手する、だれも拍手しないのがさみしい。
ボーディングブリッジのない空港に降り立ってみると本当に暴風雨だ。後でデータをみるとこの時間帯は平均風速14m/s、最大瞬間は19m/sだ、よく降りたと感心する。レンタカーを借り出して動き始めるがとても鳥見ができる状態ではない。
屋根のある施設へと逃げ込むように 近くの宇宿貝塚の博物館に向う。駐車場から入り口まで
どうやって行こうかととためらうほどの荒れようだ。入ると他に訪問者は無く 館の人が付きっ切りで1時間くらい丁寧に説明しながら回ってくれる。貝塚遺跡の発掘現場にそのまま屋根をつけたような施設だ。この遺跡の場所には3000年前以上から時々途切れながら人が住み続けていて重層的な遺跡になっている。最も古い遺跡を残すため上の時代の遺跡が壊されたりもしている、止むを得ないとはいえ少々痛々しい。基本的に無宗教だったらしいというのも面白い。古くより色々な国から漂着した人が島内で住み続けているらしく西洋系の面影のある人が今も島には居るという。島の歴史そのもは旧石器時代に遡るようでここにも現代の日本人のルーツの一つがトレースできるようだ。混沌とした人種の混合が日本という国の本質かもしれない。
風雨は依然厳しく、もう一つの屋根付施設、田中一村美術館に向かう。これも空港近くだ。
田中一村の名は奄美に行くと決めた後 奄美紹介のサイトで初めて知った。35年前くらいに
奄美で亡くなった日本画家だ。栃木生まれで東山魁夷と芸大同期で東京で芽を出そうとしたがかなわず奄美に渡り生きるための仕事しながら描くべきと思う絵を描き続けた画家だ、奄美でのやせ細った姿の写真がある。絵は奄美の野鳥や花を沢山描いている。オオトラツグミを描き込んだ絵もあってトラツグミはこんなにスマートでも派手でもないのにとやや違うように心に思ったのだが、翌日オオトラツグミにフィールドで遭遇して、そのとおりの姿だったのにむしろ驚いた。よく見て描いている。逆にここでこの絵を見たことで現実に初めてこの鳥に向かい会った瞬間オオトラツグミと確信できた。何かが伝わったような気がした。この美術館は奄美にあってこそ価値が高いのだろう、現実と絵がグラデーションのようにつながってくる。心に残る絵だ。暴風雨も別のものをもたらしてくれるようでそれはそれで悪くない、旅らしい感慨がある。名瀬の宿へとひたすらクルマを走らせる。野生生物ばかりでなく面白い島だ、何か特別なものがある島だ。旅は続く。
| 固定リンク
コメント