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2014年1月31日 (金)

諫早干拓地でナベコウに遭遇

足尾から来た女というテレビドラマを見ていたら1年前まで眺めていた渡良瀬遊水地のぼうぼうとした風景が引っかかってそういえばチュウヒやコミミズクは九州ではどこに出てくるのだろうと気になって調べてみた。ネットで見ていくと諫早干拓地が目に入ってくる。潮受堤防締め切りで葦原が広がってきてそれまでのシギ・チ中心からチュウヒなどの猛禽が渡ってくるように変わってきたとある。広くて探すのは楽ではなさそうだがハイイロチュウヒ、チュウヒの他コミミズクやナベコウ、ムラサChizuktaキサギ、ケアシノスリ等運がよければ色々いそうだ。福岡からの日帰りでは疲れるので雲仙に1泊することにして雲仙諫早の旅に出かけることにした。開門か否かで話題の場所でもある、何も出なくてもどんなところか見るだけでも十分との気持ちがあ る。11日間予想で晴れが2日続くはずの日取りとして宿を取ったが日が過ぎていくと晴れは1日しか持ちそうに無い、日を変えてもいい日取りとなる確信が持てないのでそのままとして出発した、1月29,30日のスケジュールだ。
山越えで東背振まで行って長崎道に乗る。諫早インターで降り ナビに従って諫早中央干拓地に向かう。とりあえずの目的地は中央干拓地の内部堤防展望所だ、トイレや駐車場がある。出発して3時間ほどで干拓地に到着、干拓地内には農地が広がりヒバリが頭上でさえずっている、1月でヒバリとはやはり暖かい。
Haicyuu_2 干拓地の縁の内側堤防の向こうには葦原が形成されていてやぐら状の展望所が設けてある。眺めているとハイイロチュウヒのメスが2-3羽葦原すれすれに飛んでいるのが目に付く。渡良瀬遊水地に似た風景だがこちらの方が見やすい。塒入り時でなくとも昼間から葦原を飛んでいる、遊水地のチュウヒの存在に似ている感じだ。
暫く眺めた後森山干拓地の方への移動途中でクルマ前方に大型の鳥2羽が舞い上がった、ナベコウのようだ。路肩に車を止めて図鑑を広げながら双眼鏡で見ると確かにナベコウだ。上昇気流をつかNabekou_2 んで高度を上げていく。初めてみるが見ごたえがある。
森山干拓地ではヒバリやアトリやチョウゲンボウ、チュウヒなどを眺めるが見たことの無い鳥で名がわからないのもいる、思った以上に色々な鳥が見られて楽しい。コミミズクには時間が悪いのか遭遇できない。

翌日雲仙の帰りに潮受堤防上の道路を走ってみる。長い堤防がもうしっかりと根付いていて水門を開けても勿論元に戻るようなものではないと感じる。開門すると潮位の大きな変動が内側に伝わってそれはそれで葦原の広がる今の自然環境を壊してしまうだろう、掛け違えたボタンでももはやかけかえる訳には行かない現実を直視せSiouketb ざるを得ない。どこかで双方が和解する他ないのだろう。

眺めていると人間世界の争いを飲み込んだようにみえる自然の姿がどこか頼もしくも思えてくる。もう春だ。

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2014年1月28日 (火)

普通の冬の風景が過ぎていく

天気の周期が短くなってきている。冬型が安定せず春の気象の姿に見えてくる。ニューヨークでは恐ろしい寒波が押し寄せたようだが、北海道やニューヨークを除けば押しなべて平年並みかもしれない冬のようだ。北の寒気は強まった形で降りてくるがそれを被らなかった中緯度地帯はそれほどでもない冬のように見える。

今年は冬鳥の数が少ないとの声がある。アトリは当たり年だがその他の鳥はさびしい。ルリビタキも油山には影が薄い。ミヤマホオジロはそれなりとの声もあるが殆ど見ていない。鳥も南北の気温の落差が去年以上に大きいのでどこまで南下すればいいのか迷っているのかもしれない。例えば稚内の1月のここまでの平均日最低気温は今年が-7.8℃、去年が-7.4℃で0.4℃低いのに対し福岡は今年が3.6℃で昨年が2.9℃と0.7℃高い、南北の差が広がっているのは明らかだ。
タイヤは栃木と同じように12月にスタッドレスに替えたが、ここまでは必要なかったというほか無い、雪が降っても風花にすぎない。久住にでも出かけないと無駄ということになる。ここらでは寒い冬というより普通の冬むしろ暖かい冬のようだ。

クルマといえば去年の秋は2年に一度のモーターショーが東京ビッグサイトで開かれてこの地からは遠い風景だったが、今年になって福岡にも巡業してきて福岡モーターショーが4日に渡って開かれた。気楽にいけるので早速行ってみるとちょっと小ぶりだがそれだけに見るのSubarurevg が楽で十分刺激的だ。

乗っているレガシイが14万キロ位になってスバルのレヴォーグが少々気になっていた。運転席に座ってみると最新の欧州車のようでなかなかいい感じだが今のところワゴンしか出てこないという、あれっとの感が否めない。
全体には何だか欧州車の元気がいいような印象が残った、技術で押す時代は一段落なのかもしれない。燃料電池車まではまだ遠い。クルマらしい楽しさは欧州車の方が少々上手の印象を受ける。ゴルフが2013年の全体の日本カーオブザイヤーとなったのもうなずける、そんな時代だ。

翌日の朝刊1面に会場の写真が出ていて良く見ると自分の姿が映りこんでいる、去年の春にはテレビニュースの街頭インタビューを受けて放映されたこともあり、また・・との感じがしてくる、地元マスコミと生活の距離が随分と近く感じられて、このくらいのサイズの都市が面白いことは確かなようだ。

するすると流れていく普通の冬のの風景を楽しむ日々が続いている。このリズム感がよくて暫くは浸れそうだ。

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2014年1月25日 (土)

床を張る

去年の今頃は引越し準備に明け暮れていた。
引越しして10ヶ月くらいになるがやっと家の手直しに手を付けてみようかとの気になっている。

まずは板張りの床があちこちで緩くなっていてふわふわと雲に乗っている心地を何とかしなくてはと居間からやってみることにした。
緩んだ床の対処はフロア材を上張りするのが最も効果的なようだとネットで知る。板の張り方の簡単なパンフレットをDIY店で入手して眺めていたがやるしかないと心を決めてフロア材を10畳分ほど購入した。結構な量で自宅まで運んでもらったがトータル3万円はしない、リフォームにしては安い。
居間の家具を順次移動してフロア材を張っていく。接着剤は使わずに根太と思しきあたりにフロア釘として売っているネジ付きの37mmの釘を斜めに打ち込んで固定する。
勿論根太の場所は目では見えないので床をたたいて音が変わるあたりに打ち込む。板の端が嵌めあいになっていてその部分にポンチを使って埋め込むように打ち込むので張ってしまえば釘跡は見えなくなる。打ち損なったらドライバーでネジ頭を回せば簡単に引き抜ける、ネジが切ってあるのがミソのようだ。
フロアの縁には良く見ればドアや窓枠を囲むように出っ張りや引っ込みがありフロア材をのこで削ってあたりを逃げていく。結構手間で思ったよりも時間がかかる。午前中から始めて2/3位張ったところで初日はやめとした。かなり疲れる。それに 張っていくと板が次第に部屋の縁に対して僅かに直角でなくなってくる、直そうとしても直せない、小さなな量だが最後まで行くと厄介なことになりそうだ。フロア材と部屋の形がぴったり合うわけも無く部屋の縁のそこここに溝のような張り残しができてくる。
精神的にも疲れた、想像以上に集中が必要になる作業だ、次の日1日作業を休んでの翌日に残りを張っていく。最後の1列分はDIYに持ち込んでフロアの残りのスペースのサイズに合Yuka わせてカットしてもらう。懸念したとおり最後のスペースは台形の形でいびつに残っている、しかしカットは直角にしか切ってくれない、埋めてもまたスペースが残る。しようが無いので切り残しや手持ちの木片を隙間埋めに使っていくが少々みっともない。
この他にもいくつも残った溝のような張り残しを順次フロア材の残材を切って埋めていくがこれもかなりの時間と労力を要する。なるべくぴったり埋め込もうとするものの合板にはカンナは効かず小刀でごしごしと削って調整する、楽ではない。細長い板状にフロア材をのこで切ったりもするが15mmの合板を細長く切っていくのは疲れるし切れ味良い直線は望むべくも無い。ここらあたりがプロならピシッと決めるところなのだろう。
3日くらいかけて調整してやっとここらでもういいかというところまでくる。使い始めると部屋の感じが明るくなって床のフワフワ感も無くなり古びた部屋が普通の部屋になった感じだ、なかなかいい。
少々労力を掛けたが久しぶりの達成感だ。時々こんな感触を味わうのも悪くない。リフォーム屋に頼めばできることだが自分でやったほうがいい気分だし随分安い、頼めば17-8万円位のようだ。
あと台所や壁、天井のクロスなど手を入れるべきところは多い。しかし楽しみがまだ随分残されているようでいい。
それにしても時が足りない、時間が無い、このヒリヒリした感触はいつまでたっても無くならない、そういう生き方なのだろう。

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2014年1月23日 (木)

印象派展にて

図書館に行ったついでに隣の博物館で印象派の美術展が始まったのを思い出してまわってみた。タイトルは「光の賛歌 印象派展 パリ、セーヌ、ノルマンディの水辺をたどる旅」という。 何は無くInsyouha とも印象派という安直な企画かと大して期待もしていなかったが本物の名画に1点でもめぐり合えばこのところ筆の進んでいない油絵にも役に立つかもしれないとの思いがあった。
見始めると安直とは次元の違う力がこもった展示だと感じさせる。まずはモネ、シスレー他名の知れた画家の作品数が多いのに驚かされる、圧倒的数といってもいい、また世界各国の著名な美術館から借り出しているのにも何か執念のようなものを感じる。東京富士美術館の30周年記念イベントが巡回してきたと後で知ってそういうことならこの力みもあるかと思ってしまう。福岡の後は京都文化博物館にまわることになっているようだ。
19世紀後半のフランスといえば、レミゼラブルの時代の直ぐ後だ。ナポレオン3世が普仏戦争を起こしパリコミューンに至る動乱の時代だ。そんな時代に穏やかな印象派の風景画が数多く描かれていたことになる。特にモネが多い。雲、水Senu の描き方に興味が引かれる。見ていくと刻々と変わる雲・水を描くにはパターン化された描き方 を幾つも持っていて即座にそれに当てはめながら描いているように思えてくる。その場その場で違うところを見ながら描いたのだろう、数を描かないとこれはできそうに無い。
風景は大体が登場する要素が多くてその場で絵を描ききることは難しいように思えていた、スピードが必要だ。次々に現れる風景画はとにかく描ききっている、表現の要点を即座に捉えているようだ。テクニックには学ぶところが多い。
見終わって思い直すEtorutaと何故か感動が無い。年をとったためだろうか。描く技術へのこだわりを前面に感じてしまうからだろうか、或いは時代の雰囲気がどこかフィルターされているように感じるためだろうか。そもそも風景画というものは感動して伝えるという要素が薄いのだろうか、そんなことも考えてしまう。
感動といわず淡々とした空気のような存在、光のような存在、結局はそれしかないのかもしれない、その存在そのものを描ければ十分というべきなのだろうか、そんなことをつらつら思いながら館を後にした。外には陽光が満ちていた。

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2014年1月17日 (金)

移ろいやすい音が

古楽器とパイプオルガンの演奏会「オルガンと古楽器の交唱」がチャペルで開かれるというので出かけてみた。古楽器といっても和楽器ではなくヨーロッパの古楽器だ。勿論日本人の演Chapel 奏家による。それにしても古楽器のプロのアンサンブルグループ「アンサンブル・プリンチピ・ヴェネツィアーニ」が日本に存在し続けられるというのが少々驚きを与える。これだけで食っていけるとはとても思えない、余技のようなものかと思ってしまうが経歴を見ると随分本格的に打ち込んでいる。日本という国の奥行きが感じられてくる、こんな国になったのだとの感慨がある。
古楽器の中で目を引くのはコルネットだ。木管の牧童が持つような縦笛だが金管のコルネットのように吹き口で唇を震わせて音を作る、聞いていると全く金管の音だ。
バロック草創期の音楽ということになろうがやたらにトリルのような転がす装飾音が要求されていてこれを正確に演奏するのが大変のようだ、トロンボーンの古楽器であるサクバットのパートにもこれが要求されているがこれは無理だ。木管のコルネットは転がるように美しくコロコロと気持ちがいい。ただ微妙に音程が動いたりもする、時折入るパイプオルガンの音程がしっかりしているのが目立ってしまう程だ。移ろいやすい音程に古楽器のアンサンブルは満ちていたのだろう、バイオリンの弦の張りもバロック時代は大分緩かったと聞いたことがある。しかし自然の音に親和性があるのはこんな音かもしれない、正確な音だけのアンサンブルに移行して西洋音楽は発達したが大事なものを失ったのかもしれない。
失ったものをゆっくり取り戻していく、それを許容する社会が次第に形つくられ世界が立体的に広がっていく、それが進歩というものなのだろう。すこしばかり明るくなって元気が出てくる。

庭に出るとスイセンの緑の葉が力強く伸びてもう春がそこまで来ていることを思い出させてくれる。季節は巡る。

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2014年1月15日 (水)

野鳥を見たり本を読んだりして今年も始まっていく

冬らしい日が続いている。冬は野鳥を見るにはいいのだが寒いとどうしてもおっくうになる。それにデCoolpixs31ジスコに使っていたニコンのコンデジカメラの調子が悪くなりせっかく作ったデジスコキットが使えなくなっていた。代わりに購入した防水タイプのCoolpixs-S31ではとても取り付 かない、遠い干潟の写真は半ばあきら めていた。

Kurotura140107 年初めに今津浜にクロツラヘラサギを見に行った時、思い直して昔やっていたようにスコープの接眼にカメラを押し付けて撮ればと試してみたら思いのほかうまく撮れた、なーんだ暫くはこれでいくかと思ってしまっている。

写真が撮れそうだとなると和白浜にも久しぶりに行ってみようとの気にもなる、写真のための鳥見はするものではないとは思っていたが心が動かされるのはどうしようもない。

丁度野鳥の会の観察会もあり和白浜に行ってみるとミヤコドリが8羽くらい来ている。ツクシガモも相変わらず美しい姿を見せる。押し付けデジ スコでは写真を撮るのMiyakodr140113はどうしても時間がかかるがとにかく何かしら撮れて後で反芻できるのがいい。ハマシギやミユビシギ、シロチドリが遠くの砂州に昆虫のように動き回る。ミサゴがじっと杭にとまっている。スズガモの大群やカンムリカイツブリも遠く望める。下げ潮でどんどん波打ち際が遠のいていくが鳥は思いのほか多くて面白い。

予想通り次第に冷たい西風が吹き込むようになって寒さはどうしようもないが冬の干潟は見ていて飽きない、しかし重いスコープを抱えて駐車場所から遠くはなれて歩き回るのは体には良くない、膝が重くなる。

140113daisyakusgそれにしても一週間ほど前に行った今津浜ではコハクチョウが3羽来ていた、こうも寒いと本州どまりの渡り鳥も九州まで来てしまうのだろうか。総じて冬鳥は多いような気がしている。もっとあちこち出かけてみたくなる。

村上春樹の「色彩の無い多崎つくる・・」の本の順番がやっと回ってきたとの連絡が図書館からあって直ぐにピックアップに行く。読み始めると村上春樹は例によってスラスラ読み進んでしまう、今度は亜次元空間が登場しない普通の小説に仕立てられている。個Tukusigm140113a人的には亜次元空間が現れる村上春樹の方が好きなのだけれどもこれも面白い。しかしノーベル賞は無理かもとも思ってしまう。

本も小説ばかりでなく九州王朝説がちょっと刺激的でリアリティがこの地では感じられて書かれたものを幾つか読んでいる、あれこれ興味は尽きない。

やるべきと思うことを書き連ねると直ぐに紙2枚にはなる、どうしようか。今年はどんな年になるのだろうか、だんだん動けな くなっていくような気がして不安もかすめるが、それはそれで受け入れればいいだけさと気軽に考えて動くことにしている。もう1月も半ばだ。

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2014年1月 6日 (月)

正月が来て

年が明けた。午年ということになっている。午とは正午の午にあたりピークであり衰弱の兆しが現れる様ということらしい、転換の年とみることもできる。馬はあとでくっ付けられただけで馬が午というわけではないようだ。経済ではジュグラー循環という設備投資に起因する景気波動の周期がおよそ10年で十二支の周期にやや近い、最近の景気変動は大きくはジュグPhoto ラーの倍の20年から24年くらいの周期になっているので確かに1990年のバブル崩壊から数えると転換点に達している年にはなりそうだ、衰弱の兆しというとデフレの衰弱ということになるのだろうか。十二支も馬鹿にはできない。

年賀状がくる、ワープロソフトで書かれた表書きが続くが時々全く同じフォントがある。毛筆を模しているだけに全く同じフォントが出てくるとやや興ざめの思いがするものの去年までは気がつかなかったのは生活を変えてどこかゆとりができてきたのかもしれないとも思ってしまう。新しいフォントのようSama な気がして何だろうと調べてみる、自宅にあるパソコンには入っていないフォントだ。ネットの検索でフォントを沢山出して眺めていくとじきに見つかる、C&G流麗行書体というフォントだ。これを使うソフトはと、更に調べて行くと「筆まめ」だ、なーんだ、ということになる。思い直して去年の年賀状も調べ直してみると幾つもこのフォントが見つかる、気がつかなかっただけということの様だ。去年一年かけて細かなところまで自分の生活の変化が及んでいっている様を感じる。正月らしい。

こんな風にしてまた新しい年が始まる。緩い暖かい新年だ。どんな年になるのだろうか、未来を見渡すのはいつも気持ちがいい。

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