太宰府の飛梅が
庭の白梅が8分がた花開いた。太宰府天満宮の飛梅もそろそろ見頃かと有明海への鳥見の途中に立ち寄ってみた。
遠来の客人の観光にかこつけての訪問だ。太宰府のような地元の有名な観光地には却って行きそびれてしまう気がしてこんな機会は貴重だと思えた。この前訪れたのは息子と初詣に行った時でもう随分前だ。
日曜ではあるが初詣のような混雑では勿論ない。参道から左へ折れる辺りから白梅や紅梅が次々に現れるが、殆どの木が2-3分で見頃にはまだ2-3週位はかかりそうだ。予想外に遅い。自宅の梅は8割がた花開いているのにだ。やはり少し内陸だけあって寒いのだろ
うか。きらびやかな山門を抜けると本殿とその右に飛梅が見えてくる。よく咲いている、早咲きの品種のようだ。菅原道真をしたって京都から飛んできたとの伝説の木だが見ると幹も普通の太さで恐らくは何代目かと思えた。
戻ってネットで調べ直してみると樹齢1000年と言われているようだ、Wikipediaや観光ガイドのページにそうある、正に道真が見た木と言うことになるが見た目と感じが違うので更に調べると福岡市のページに樹齢150年、10代目にあたるとある、どうやらこのあたりが本当らしい。種か挿し木で命をつないだのだろう。同じ場所でDNAを継ないでいるのならそのものと思ってもそう間違いでもない。樹齢千年と言う俗説をただすこともなく伝説を実直に神社が支えている姿がそこにあるように思えてくる。
少し前 天拝山に登ったことがある、太宰府から南西に5kmほどにある低山だ。この山に道真はしばしば登り都を恨んだと伝えられる。山道には道真がそのとき詠んだという歌が点々と掲げられているが、とても学問の神といわれるほどの高尚な人とは思えない恨みつらみに満ちた歌ばかりだ。しかし人間らしくてこれが本当のようにも思える。
伝説と本当の姿が上手く伝わっているのが太宰府の魅力かもしれない。
太宰府は大和朝廷が大宰府政庁をおく前から都として機能していたとの説がある。九州王朝の都であったという説だ。九州王朝説には一定の真実があるように見えるが相当に膨らませてある部分も感じる。こちらの本当の姿は当分明らかになるまい、幻想が立ち込めている趣がある。
その辺も太宰府の魅力かもしれない。
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