« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月24日 (月)

大宰府政庁跡でキレンジャクに出会う

八女に枝垂桜を見物に行くついでに大宰府政庁跡に随分久しぶりに訪れてみた。都府楼跡という言い方で幼い頃はなじんでいた場所だ。

九州王朝説では太宰府(点のない大宰府ではなく)が大和朝廷以前の倭国の首都で藤原京より古い日本最古の条坊制都城Tofurou としている。現在残されている都府楼跡は条坊制遺構の中心に無く九州王朝に代わった大和朝廷が後で作ったものだとも説明して、少しばかり違う場所にもっと古い建物あとがあるはずというのだがまだ見つかってはいない。九州王朝説は走りすぎているところが多々ある、しかし面白い。

ともかく礎石が残されている遺跡は強い、今のところここが古都の中心として国の特別史跡に指定されている。

広い史跡跡に礎石が転々としていてなかなか立派だし、歩き回るのに気持ちがいい。幼い頃訪れた時はずいぶん埃っぽかった記憶があるが今は芝張りでよく整備されている。バブル期以降観光地はどこもこぎれいになった。歩いていると太宰府の街を見下ろすような高台にあることに気づく、いかにも、の感じがしてくる。


ここに来たのは、レンジャクが都府楼跡に来ているとの情報がこの3月福岡で巡っていてそれを思い出してやっと訪れたということでもある。 無料の駐車場に停めるとすぐ前の桜にレンジャクが堂々とした姿を見せていRenjyaku る。もはや数は少ないが今年初めてのレンジャクがうれしい。残っているのはキレンジャクのようだ。4羽前後がフライキャッチしては桜の枝に戻ってくる、そのさまも面白い。

ヤドリギはどこにもないが近くに赤い実をつけた潅木もあり水場も有ってレンジャクが好む環境のように思える。植物性の食事には飽きて今はたんぱく質の補給に努めているという風情だ。

暫く眺めては写真に撮る。写真撮影者は平日ということもあって数人だが知った顔にも出会う、狭い世界だ。

レンジャクは古都に似合っている。レンジャクという響きがそんな気にさせるのかもしれない。こんな風景が1300年位前にもあったのではと思えてくる。

鳥と花を追いかけて今年もあちこちに出かけることになるだろう。去年は糸島の王墓ではカササギに会い、今都府楼跡ではレンジャクに出会う、歴史の流れがそこに顔を出すのが九州らしくて面白い気がしている。今年はどう展開していくだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春はどこへ来ても忙しい

サクラは予測より1日早く19日に開花した。近所でウグイスの初鳴きも17日に聞いた。春だ。春は忙しい。

大授搦(だいじゅがらみ)にまた訪れてみた。春の大潮の満潮に合わせて19日としたが晴れて風も弱く鳥を見るのに条件はいい。満潮の10時45分の30分ほど前についたら干潟が消えている。干潟の鳥も少し離れたところに浮いている。大潮では満潮にぎりぎりすぎても鳥は見にくい。水際の杭の上にクロツラヘラサギが10羽ほどとまっている、とりあえずの避難場所としHarunokurotura て便利なのだろう。時々場所取り争いをしているが人が近づいても逃げない。普段は警戒心が強い鳥だがこんな時には気にもかけないようだ。暫く待っていると引き潮モードに入る。干潟が戻ってきてまず降りてくるのはなんだろうと見ているとズグロカモメだった。冬場は頭の黒いのが取れてしまうがこの時期はもう黒く戻ったのやまだら状態のやまだ白いままなのや色々混じっていて面白い。そのうち大きめの鳥の群れがV字隊列で飛んでいくのが見えて双眼鏡でよく見るとダイシャクシギだ、あの嘴が下に反った大きなシギが集団で飛んでいくさDasyakuv まは壮観だ。ツクシガモの群れがじりじり陸側に寄ってくるがズグロカモメよりは後ろのラインを常にキープしている。随分と警戒心がある。しかし数が多い、数える気にもならない、数百は優にいる。
ダイゼンとハマシギの混群もツクシガモと同じように餌をついばみながら少しずつ寄ってくる。去年の今頃訪れたときはハマシギの大群が飛び交っていたが今回はひたすら干潟をつついてばかりだ、ハマシギの数は去年ほどではないようだ。
ムツゴロウは冬場は姿を見せなかったがシチメンソウの根元Haruhigata に小さいムツゴロウを沢山見ることができる、子供なのだろうか、親は冬眠でもしているのだろうか、よく解らない。
有明海の干潟はいつ見ても面白い。
吉野ヶ里の横を抜けて東脊振の峠を越えて戻る。途中で寄った道の駅のみかんが安い。佐賀はそういえばみかんの大産地だ。福岡の都会らしくもせかせかした雰囲気のすぐそばにこんな楽なところがある、Harunodaijyuこれがいい、そう思いながら峠道を下っていった。

戻ったら急ぎ花見の計画もしなければ、そんなことも考えていた。春が来たきた春が来た、春はどこへ来ても忙しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月20日 (木)

クリミアを巡る動きが面白くて

クリミヤを巡る情勢で、なんでフルシチョフがクリミヤを1954年にロシアからウクライナ共和国へ移管したのか、理解できないところがあって少し調べていた。クリミヤを巡っては古代より奪い合いの歴史が連綿と続いていて、近代ではスターリンはそこに根付いていたタミル人を強制移住させてまでロシア人に明け渡していた。それを何で突然のようにロシアからウクライナに渡してしまったのか、合点がいかないところがあった。
たまたまスプートニクが打ち上げられた経緯と時代背景を詳細に記した「レッドムーン・ショック」という本(なかなか面白い本だ)を読んでいたら、フルシチョフはウクライナの共産党第一書記を務めたあとクレムリンでソ連の第一書記に上り詰めたとの記述に行き当たった。そうなのか、フルシチョフはウクライナと深く結びついていたのか、と納得してしまう。ちなみにフルシチョフの庇護のもとソ連Korolyov の衛星初打ち上げからその後の宇宙開発を強力に推し進めたコロリョフ(写真)もウクライナの人だった。そもそもソ連を動かしていた人々にウクライナ出身が多いようにも感じる。
フルシチョフはスターリンの死を引き継いで1953年党第一書記となり翌年クリミアを移管している。クリミアはフルシチョフによるウクライナへの贈物・恩返しだったのだろう。彼もスターリン時代にはウクライナのトップとして大規模な粛清も行ったはずだ、負担を感じていたのかもしれない。ウクライナへ移管したのはスターリン批判の2年前でもあるが既にスターリンの時代の誤りを修正しつつあったとも思える。
ゴルバチョフが1991年8月のクーデターで軟禁された別荘もクリミアならヤルタ宣言もクリミヤ、戦艦ポチョムキンの反乱もクリミアだ、政治の舞台としても保養地としても世界的なポジションにある。ソ連にとっては流刑地シベリアの対極に位置していたようにさえ感じる。
ソ連崩壊に伴いクリミアはウクライナから離脱しようと2度試みているが時局が安定しなかったためかロシアが賛同できず失敗に終わっていた。今回は3度目の正直ということかもしれない。
クリミアの転変をみているとロシアの行動を単純に非難するのも難しい。殆ど国内問題のような様相だ。各国はクリミア編入という事態を利用してロシアに対する有利な立場を今後とれるようにカードゲームのような駆け引きに入っているようだ。日本はもしかしたら北方領土交渉で有利なポジションに立てるかもしれない。
ロシアにとってウクライナと敵対することは本来望ましくないことのように思える。本来ならばむしろロシアもEUに加盟するという未来が目指すべき未来なのではないかとも思えてくる。もしそんなことが起これば劇的に世界のパワーバランスは変化するだろう、すこぶる面白い。

どうなるだろうか。動いていく世界を劇場のように眺める、それもなかなか悪くない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月18日 (火)

上空の風が降りてきて風が強いヨットレースに

大分暖かくなってきた。ヨットもディンギーの練習を久しぶりにやるのもいいかとこの日曜日ヨットハーバーまで出かけた。前日予想では風は6m位で少々きついが何とかなるだろうと思っていた。当日の朝のMSMによる予測では7mに近い風とでる、天気図では日本海の低気圧が東へ去り気圧の尾根が近づいてくるという形で普通に考えれば風が強まるとは思えないのだが計算ではそうなっている、それも昨日の予測より強めている。
Oni 計算データを細かく見ると850hp以下位の高度では温位の高度方向への変化がフラットになっている、上空の風が降りてくるといわれるパターンになっている。低気圧が抜けて上空の風自体は弱まっていくが地上はかえって強まり高度で風の差が無くなってくるという予測計算だ、解りにくい。温位がフラットになれば下降風で降りてきた大気が断熱圧縮で気温が上昇しても周囲と同じ温度となり回復力が無く降りてき続けうることになるという仕掛けだ、高気圧の下降気流部分で起こる強風ということになる。
本当だろうかとハーバーにでかけて風はとみると予想を上回るほどに強い、本当に上空の風140316 が降りてきているようだ。
瞬間風速は10mを超えることがあり、この日のヨットのクラブレースは天気待ちとなった、一応8mを超えると出艇しないというルールにしている。1時間ほど様子見していると少しは下がった感じがしてGOとなった。
暫くディンギーは乗っていないこともありこの風ではスキッパーは無理とばかりクルーに専念することにしてクラブレースに出場する。
西風では湾内の吹走距離(海面を吹き渡ってきた距離)が短いため波高は大したことは無いが三角コースで5レースも行うと次第に疲れてくる、風がやや北に寄ってきて波高が高い波が押し寄せるようにもなった5レース目についに沈してしまった。同じタイミングで別艇も沈している、まだまだ、とあきらめず必死に沈起こしをしてレースを何とか続行して結果を待つ。集計結果はめでたく2位となった、5レース合計での判定だ。
手にも擦り傷ができたり体のあちこちに痛みが残ってぼろぼろだが、時にはこんなハードな運動も悪くは無い。

それにしても風の予報は難しい、気象庁のGPV計算データが素直に信じがたい時がしょっちゅうあるし、海上で現実に遭遇する風が予想通りということはまだ少ない。しかし、予想し身をもって結果を確かめる、違っているのは何故か考える、次を予測する、気象であれ何であれいつまでたってもこんなサイクルは楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月14日 (金)

2014年福岡の桜開花は3月20日と予想」

寒さが波状的にやってきてまだ先と思っていたが思えば桜の季節がもうそこまできている。

昨年は福岡へ引っ越してがたがたしていたらまさかと思う早さで桜が咲いた、3月13日に開花してしまった。予想も何もあったものではないが今年はまだ遅くないと思って一応予想してみた。ここ3年の開花日と日平均気温にファクターを掛けて積算した推定値とを比べてみるとまずまずの推定になっている。これに従って今年の福岡での開花予想を推定すると3月20日となる、今後の気温を平年値+1度した推定値による。もうあまり日がないので気温の仮定はそれほど効いてこない、このあたり2014kaikaが開花日と思って良さそうだ。
さてどうなるか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月11日 (火)

オペラはプッチーニが

福岡のアクロス友の会という会に入ってクラシック演奏会の優待を受けているが先週会員無料招待演奏会があるというので勇んで聞きにでかけた。青薔薇海賊団と名づけたテノール3人組が競演するという趣向のコンサートだ。
ドミンゴ、パバロッティ、カレーラスの3大テナーの向こうを張るように二期会のテノール 井ノ上、上原、片寄が競って歌う、3大テナーに伍すとまでは言いにくいが十分に楽しい。

テノール3人というと重々しいが同じテナーでも得意音域がまた分かれると初めて知る.
高音域の上原がさだまさしの精霊流しを朗々と歌い上げる。いい曲だ、クラシックの歌曲としてもすばらしい曲だ。歌い手の熱い心を直接に感じる。フォークだクラシックだと分類して聞くことがむなしくなる、もっと自由になれたらいいのだがと自分自身にも思う。
オペラ歌曲では片寄が歌うトゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」にオペラのシーンを思Turandot い出してしまう。

最近オペラをDVDで楽しむということにはまっていて図書館にあるDVDを借り出しては観ているのだがこれがいい。字幕が出て進行についていけるし途中で止めてまた続きを観れるのもいい、なにしろオペラは長くて一気に見ることはとてもできない。WOWOWでもメトロポリタンのオペラを時々流しているが途中で見るのがつらくなる。

トゥーランドットを観たのはソチオリンピックがきっかけだった。フィギュアスケートというとどうしてもこの曲を思い出してしまう。

パバロッティのトゥーランドットを借り出してきてどんな話だろうと見始めると引き込まれていく。プッチーニはオペラがうまい。ワグナーのワルキューレの指輪などは主張が強すぎて押し付けてくるようでしんどくて集中力が続かないがプッチーニは思いのひだがの描きかたが細かくていい。特にトゥーランドットは最後がいい、名前がわかりましたその名は愛です、というせりふがとりわけ心に残る。

「誰も寝てはならぬ」は3幕の始めで歌われるのだがこの最後の場面でも流れる、トゥーランドット全体を盛り上げるように使われていて幕が降りても頭の中でこの曲が響き続ける。

歌は詞の力が少なくとも半分はある、字幕の無いオペラアリアを聴きながら和訳を電光パネルで舞台脇に出してもらわなくては、と思ってしまう。オペラ公演ではやられているし、技術的なことだからそのうち普通になるだろう。

ゆったりした時間が流れ予定の終了時刻を30分超過して終演となる、春らしくなってきてこんな揺れるような時の流れ方が心地よい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 8日 (土)

別府の温泉に歴史が流れて

3月というのに春はなかなかやってこない。そろそろここらが寒さも底かと思われる、北極振動はプラス側に振れてきて極渦が強まり寒気を北極に閉じ込める周期に入ってきたようにもみえる。

少し温泉に浸かりたくてそれならば湯量日本一の別府が良かろうと出かけた。別府は四国の行き来でそばを通過したことはあるが訪れたことは無い。地獄めぐりと高崎山は訪れることに して後はどこを見るか前日まで思いあぐねていた。
温泉以外で別府の見るべきところとしてネットで探しても地獄くらいしか引っかかってこない、温泉だけで生きている街のように見えてくる。臼杵から国東半島まで広げて回ることにした。

まずは臼杵まで高速で行き石仏を見る。
臼杵石仏は随分以前福岡に居た頃一度行く機会があったのを逃してしまったように覚えている。もしかしたら逃してしまったのは臼杵のことでなかったかもしれないが、ともかく行けなかったことだけは忘れられない。福岡からは3時間はかからず到着して遊歩道を歩き始める、平日の午前ということもありほとんど誰も居なUsuki1い。阿蘇火山帯の溶岩か火砕流でできた軟らかそうな岩に仏像が刻まれている。レリーフではなく岩から生えたように下部がつながっているだけで、少なくとも頭は殆ど普通の石像だ。
1000年位前のものだから勿論岩が割れたところがあったして痛んではいるが彩色もうっすら残っており想像以上に保存はいい。
仏教であれ神道であれキリスト教であれ宗教そのものはどうにも好きになれないが歴史的遺物は今のこの世界がどこから来たのか理解したいという欲求に答えてくれるか考えるヒントを与えてくれる、そこが良くて見たくなる。
石仏は堂々としていて顔の雰囲気がどこか奈良京都の仏像と違うような気がする、南方系といった風情だろうか。誰が作ったのだろうか、石像を作る技術はどのようにして獲得されていったのだろうか、疑問が次々に沸いてくるが石仏の製作由来は何一つ残っていないという。石だからこれだけのものが戦乱を潜り抜けて残り得たと考えるべきなのかもしれない。

別府の宿は沢山有るがクチコミを拾っていくと対応は丁寧だが建物が古いとのコメントがあちこちで目に付く。団体目当てで造られた古くなった旅館やホテルが多いようだ。建物が古いのはあきらめれば手ごろな価格で宿泊できると考えると悪くもない。竹の井というところに泊まった。国道10号線に近くややうるさいのはどうしようもないが、食事はいいしお湯ものんびりできるし対応もいい。頑張れといいたくなる。

翌日国東の遺跡を少しだけ回る。熊野磨崖仏が地図からは近そうに思えて行ってみると駐車Usuki2 場から結構なのぼりを登る。雨上がりで滑りやすい自然石の石段を恐る恐る上り詰めると巨大な石面のレリーフが見えてきた。礫岩の岩でこんな崩れやすそうな岩壁を丁寧に削って行った執念を感じてしまう。余程の精神力の持ち主だろう。1000年も昔にどうやってこのようなものを狂いも無く削れたのだろうか、当時の技術は現在思っている以上にかなり進歩していたのだろう。宗教は優秀な人々の才能を浪費させていたのかもしれない、そんな風にも思ってしまう。

国東半島は宇佐神宮の勢力下の文化で満ちていた。何故宇佐なのか、神武東征でも宇佐に立ち寄ったとわざわざ古事記に書くということはどういう存在だったのか、疑問は広がるばかりで一向に収束しない。

別府の地獄は大学生くらいの若人で混雑していた、高崎山にも若者の姿が多く見えた。関東や関西から来ているようだ、今でも多くの若者を引き付けるこの地は、表向きの理由はどうあれ未来を背負う人々を引き付ける力をいまだ有し続けている様で、歴史の流れを眼前に見ているようで面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 3日 (月)

オカヨシガモが近くの池に

福岡に転居して1年になる。このところ自宅周辺を毎日のように散歩している、勿論運動不足を少しでも解消したいという願いがあるがこの付近の野鳥の変化を眺め続けたいとの気持ちもある。
近くの通称中公園には以前はカワセミの姿が見られたがこの1年近く見られない。ため池の水が濁ってきているのが関係しているのだろうか。この前はアオジが3-4羽来て藪の中でがさごそ動いていたので鳥が好きな環境ではある様なのだが。ルリビタキが一瞬現れたこともある。最近はツグミの声が良く聞こえたりもする。
中公園の近くにもう一つため池があると最近グーグルアースで知った。地図にあるのは前から気づいていたのだが、衛星画像ではっきり見るとその存在が無視できなくなる。リアリティーOkayosi とはそうしたものだろう。2-3日前に少しばかり足を伸ばしてこのため池に行ってみた。こじんまりとしていて周回の散歩道がつけてある。新市楽池という名らしい。みると水鳥が何羽か浮いている。ハシビロガモが2つがいと薄茶色の特徴が薄いカモが3つがい位いる。オカヨシガモだろうか、携帯の写真にとにかくおさめて戻って図鑑で確認する。やっぱりそうだ。最近どこかで見たと思えば海ノ中道海浜公園の池だ。大雪を越えて遊びに来てくれた遠来の客人とともに訪れていた。そんなところに野鳥の来る池があるなど全く意識に無かったが客人に却って教えられての訪問だった。福岡に定住し始めて1年ではまだ地元民というほどに知識が無い。海ノ中道というとマリンワールドのイルカショー位しか頭に無い。池にはオシドリが数羽ミコアイサが数羽浮いている。マガモも随分居る。よく見るとオカヨシガモも数羽居る。それといわれないと他のカモにうもれてしまう、自己主張の弱くみえるカモだ。
シベリヤから渡ってくる冬鳥で日本に来るオカヨシガモは亜種オカヨシガモ(Anas strepera Aokayosi strepera)だがほかの亜種は何なのだろう、調べても日本語のサイトでは解らない。Clements Checklistをダウンロードして調べていくと学名Anas strepera couesiというのがもう一つの亜種と解る。(図はwikipediaによる)。英名Washington Island gadwallとも呼ばれ2羽が捕獲された1870年以来目撃されていない、絶滅と思われる。要するに現在オカヨシガモは亜種オカヨシガモしかいないということのようだ。亜種の呼称はもう止めたらとも思えてくる。
このため池の新市楽池という名前は中公園の池が市楽池であったのに対して名づけられたようだ。市楽とは女性の名のような感じがする。そこにどんな物語があったのだろうか。

散歩のコースを変えるだけで新たなことを幾つか学ぶ。まだまだ近くに別の宇宙が転がっている気がしていてこんな感触が楽しめるだけでもこの世は十分面白いと思えてくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »