別府の温泉に歴史が流れて
3月というのに春はなかなかやってこない。そろそろここらが寒さも底かと思われる、北極振動はプラス側に振れてきて極渦が強まり寒気を北極に閉じ込める周期に入ってきたようにもみえる。
少し温泉に浸かりたくてそれならば湯量日本一の別府が良かろうと出かけた。別府は四国の行き来でそばを通過したことはあるが訪れたことは無い。地獄めぐりと高崎山は訪れることに
して後はどこを見るか前日まで思いあぐねていた。
温泉以外で別府の見るべきところとしてネットで探しても地獄くらいしか引っかかってこない、温泉だけで生きている街のように見えてくる。臼杵から国東半島まで広げて回ることにした。
まずは臼杵まで高速で行き石仏を見る。
臼杵石仏は随分以前福岡に居た頃一度行く機会があったのを逃してしまったように覚えている。もしかしたら逃してしまったのは臼杵のことでなかったかもしれないが、ともかく行けなかったことだけは忘れられない。福岡からは3時間はかからず到着して遊歩道を歩き始める、平日の午前ということもありほとんど誰も居ない。阿蘇火山帯の溶岩か火砕流でできた軟らかそうな岩に仏像が刻まれている。レリーフではなく岩から生えたように下部がつながっているだけで、少なくとも頭は殆ど普通の石像だ。
1000年位前のものだから勿論岩が割れたところがあったして痛んではいるが彩色もうっすら残っており想像以上に保存はいい。
仏教であれ神道であれキリスト教であれ宗教そのものはどうにも好きになれないが歴史的遺物は今のこの世界がどこから来たのか理解したいという欲求に答えてくれるか考えるヒントを与えてくれる、そこが良くて見たくなる。
石仏は堂々としていて顔の雰囲気がどこか奈良京都の仏像と違うような気がする、南方系といった風情だろうか。誰が作ったのだろうか、石像を作る技術はどのようにして獲得されていったのだろうか、疑問が次々に沸いてくるが石仏の製作由来は何一つ残っていないという。石だからこれだけのものが戦乱を潜り抜けて残り得たと考えるべきなのかもしれない。
別府の宿は沢山有るがクチコミを拾っていくと対応は丁寧だが建物が古いとのコメントがあちこちで目に付く。団体目当てで造られた古くなった旅館やホテルが多いようだ。建物が古いのはあきらめれば手ごろな価格で宿泊できると考えると悪くもない。竹の井というところに泊まった。国道10号線に近くややうるさいのはどうしようもないが、食事はいいしお湯ものんびりできるし対応もいい。頑張れといいたくなる。
翌日国東の遺跡を少しだけ回る。熊野磨崖仏が地図からは近そうに思えて行ってみると駐車
場から結構なのぼりを登る。雨上がりで滑りやすい自然石の石段を恐る恐る上り詰めると巨大な石面のレリーフが見えてきた。礫岩の岩でこんな崩れやすそうな岩壁を丁寧に削って行った執念を感じてしまう。余程の精神力の持ち主だろう。1000年も昔にどうやってこのようなものを狂いも無く削れたのだろうか、当時の技術は現在思っている以上にかなり進歩していたのだろう。宗教は優秀な人々の才能を浪費させていたのかもしれない、そんな風にも思ってしまう。
国東半島は宇佐神宮の勢力下の文化で満ちていた。何故宇佐なのか、神武東征でも宇佐に立ち寄ったとわざわざ古事記に書くということはどういう存在だったのか、疑問は広がるばかりで一向に収束しない。
別府の地獄は大学生くらいの若人で混雑していた、高崎山にも若者の姿が多く見えた。関東や関西から来ているようだ、今でも多くの若者を引き付けるこの地は、表向きの理由はどうあれ未来を背負う人々を引き付ける力をいまだ有し続けている様で、歴史の流れを眼前に見ているようで面白い。
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