クリミアを巡る動きが面白くて
クリミヤを巡る情勢で、なんでフルシチョフがクリミヤを1954年にロシアからウクライナ共和国へ移管したのか、理解できないところがあって少し調べていた。クリミヤを巡っては古代より奪い合いの歴史が連綿と続いていて、近代ではスターリンはそこに根付いていたタミル人を強制移住させてまでロシア人に明け渡していた。それを何で突然のようにロシアからウクライナに渡してしまったのか、合点がいかないところがあった。
たまたまスプートニクが打ち上げられた経緯と時代背景を詳細に記した「レッドムーン・ショック」という本(なかなか面白い本だ)を読んでいたら、フルシチョフはウクライナの共産党第一書記を務めたあとクレムリンでソ連の第一書記に上り詰めたとの記述に行き当たった。そうなのか、フルシチョフはウクライナと深く結びついていたのか、と納得してしまう。ちなみにフルシチョフの庇護のもとソ連
の衛星初打ち上げからその後の宇宙開発を強力に推し進めたコロリョフ(写真)もウクライナの人だった。そもそもソ連を動かしていた人々にウクライナ出身が多いようにも感じる。
フルシチョフはスターリンの死を引き継いで1953年党第一書記となり翌年クリミアを移管している。クリミアはフルシチョフによるウクライナへの贈物・恩返しだったのだろう。彼もスターリン時代にはウクライナのトップとして大規模な粛清も行ったはずだ、負担を感じていたのかもしれない。ウクライナへ移管したのはスターリン批判の2年前でもあるが既にスターリンの時代の誤りを修正しつつあったとも思える。
ゴルバチョフが1991年8月のクーデターで軟禁された別荘もクリミアならヤルタ宣言もクリミヤ、戦艦ポチョムキンの反乱もクリミアだ、政治の舞台としても保養地としても世界的なポジションにある。ソ連にとっては流刑地シベリアの対極に位置していたようにさえ感じる。
ソ連崩壊に伴いクリミアはウクライナから離脱しようと2度試みているが時局が安定しなかったためかロシアが賛同できず失敗に終わっていた。今回は3度目の正直ということかもしれない。
クリミアの転変をみているとロシアの行動を単純に非難するのも難しい。殆ど国内問題のような様相だ。各国はクリミア編入という事態を利用してロシアに対する有利な立場を今後とれるようにカードゲームのような駆け引きに入っているようだ。日本はもしかしたら北方領土交渉で有利なポジションに立てるかもしれない。
ロシアにとってウクライナと敵対することは本来望ましくないことのように思える。本来ならばむしろロシアもEUに加盟するという未来が目指すべき未来なのではないかとも思えてくる。もしそんなことが起これば劇的に世界のパワーバランスは変化するだろう、すこぶる面白い。
どうなるだろうか。動いていく世界を劇場のように眺める、それもなかなか悪くない。
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