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2014年4月25日 (金)

ツクシアケボノツツジを見る

庭の桜は半月もOkunikkoakayasio2009前にすっかり散ってツツジに取って代わられ もはや夏間近の雰囲気がし始めている。

ゴールデンウィーク間近といえば北関東に居れば中禅寺湖畔茶ノ木平付近のアカヤシオが気になってくる時分だ。
初めて栃木で山を染めるアカヤシオに遭遇した時は北関東の山の美しさに少々感動した、こんな風景はそれまで見たことがなかった。

関西に暫く居たこともあって関西の山を少々歩いていたが山で木の華やかさに出会ったことは無かった、北に行くに従って山は美しくなるのかとその時は純粋にそう思った。(1番目の写真は奥日光茶ノ木平のアカヤシオ、2010年撮影)。

昨年九州へ戻ってきて阿蘇でミヤマキリシマの美しさを知った。なんだ九州の山も十分美しいではないか知らなかっただけではないか、と思って他にも何か、と、ネットを彷徨っていたらア ケボノツツジの存在に行き当たった。
写真で見る限りアカヤシオとまるで同じだ。1000m以上くらいの宮崎北部の山に咲くらしい,これは是非見にいかねばと思っていた。今年に入って4月も半ばを過ぎ春もたけなわでそろそろ時期かと具体的な場所を調べ始めてみるとアプローチが楽な宮崎北部の二上山や諸塚山ではもう見頃を迎えると知ってあわてて宿を予約して出かけた。2週 間前に訪れた高千穂峡の近くで九州の背骨に当たる山深い場所だ。
Akebono_2 二上山取り付きの六峰街道入口に福岡市内から3時間ほどかかって到達する。二上山のアケボノツツジは見ごろを過ぎているらしいとネットにあったがまだ幾ばくかはあるだろうとの期待がある。

六峰街道という名前の林道を走り20分ばかり上ると二上山雄岳から雌岳に延びる稜線の峠に到着する、道は広くはないが舗装されていて離合も可能で普通の山道だ。ここからは観光協会に教わったとおり路肩に車を置いて稜線歩きということになる。
時折弱い雨の降りかかる平日だったが3台くらい先行者が駐車している、九州ではアケボノツツジが最も容易に見られる場所となっていて休日ならば混雑しそうだ。
Akbn1 歩き始めると直ぐにアケボノツツジの花が目に入る、見ごろといってもいいくらい良く咲いている。アカヤシオと比べて幾分赤味が多いような気もするがほとんど同じだ。標高990mの雌岳のピークまで稜線に沿って連なるように沢山咲いていてこれは綺麗だ。南国らしい色濃さがあってアカヤシオの可憐さにはやや欠けるところがなくもないが十二分に素晴らしい。

ゆっくり歩いて往復1時間ほどを楽しんだ後、気をよくして近くの諸塚山にも車で向かう。こちらもアケボノツツジの名所ということになっている。20分程の林道走りで登山口駐車場に到着する。
諸塚山は標高1340mほどで山頂まで1時間位の登りとネット情報にある、二上山よりやや高い。
Akbn2a 兎に角歩き始める。少し上るとアケボノツツジが見えてくる、こちらは蕾がまだ大分あり5分咲き位だが赤い大きなつぼみの混じった眺めがかえって新鮮で美しい。
二上山で出会った人達にここでも出会う、群馬から来たという人も居る、様々だ、ここ数年では一番いい咲きっぷりだとの声もある、桜もそうだが今年は花は総じていいような気がしている。

アケボノツツジとアカヤシオはどう違うのだろうかと帰って少しネットで調べてみる。九州に分布するのはツクシアケボノツツジと呼ばれ、"ツクシ"のつかないアケボノツツジは四国・近畿に分布、アカヤシオは近畿より東に分布とある。
学名では(「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList)によれば)
ツクシアケボノツツジ:Rhododendron pentaphyllum Maxim. var. pentaphyllum
アケボノツツジ:Rhododendron pentaphyllum Maxim. var. shikokianum T.Yamaz.
アカヤシオ:Rhododendron pentaphyllum Maxim. var. nikoense Komatsu
となっており、Rhododendron pentaphyllum Maxim.の変種が3つあるという形だ。 Rhododendronはつつじ属、種小名のpentaphyllumはペンタフラムー五茫星形 の意で一般的Akbn3 な表現のようだ、学名からはツクシアケボノツツジが親のようにも見えるがどれがどれの変種ということでもなさそうだ。
違いは雄しべの根元に毛があるかどうかといった些細な形態の差のようで遠目にはすぐには判別できないというのが本当らしい。
アケボノツツジという名づけも曙の空の色と結び付けたものと説明しているサイトもあるが、何とはなしに枕草子の「春はあけぼの」のせりふから来ているのではないかという気がする。アケボノツツジもアカヤシオも標高が同じなら桜より僅かに先に咲いて陽春のさきがけのようなところがある。

しかし何だかアカヤシオが懐かしくなる。アケボノツツジという語感がどこかぼやけていてアカヤシオという言葉の響きが放つ清冽さに負けているのかもしれない。奥深い山の花を見たいという気持ちには花そのものを含めた幻想が纏わりついているようだ。

九州の山には今このほかにもツクシシャクナゲがたくさん咲いており思いの外彩りに富む山々という気がしている。住めば都ではないがいいところを見ていけばどこも面白い世の中なのだろう。暫くは記憶のぼやけていた九州を理解するのに忙しい日々が続いていく。

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2014年4月18日 (金)

磐井の乱の残滓を見る

阿蘇への小旅行の途中で八女にある岩戸山古墳に寄った。
Iwatoyamakofun2 北関東から九州に戻ってきて古事記や日本書紀の世界が近しくなった気がするが近頃気になっていたのが磐井の乱だ。
日本書紀に書かれており(筑紫國造磐井、陰謨叛逆)、継体天皇時代の西暦527-528年と年代も明らかにされている。磐井は新羅と通じて、任那を補強しようとする天皇の計画に反抗・妨害したとされる。討伐軍によって打ち負かされ磐井の王は斬られるが息子は糟屋屯倉を献上して死を免れ、その後も磐井は存続している。磐井はこの地で強力な力を持って おり抹殺することは不可能だったと思える。九州王朝説ではむしろ磐井が倭を代表する政権だったのが継体の反乱により打ち負かされたとする。ともかく九州の古代史では一大事件だ。
Iwatoyamakofun3 6世紀にこの地で強大な勢力を誇っていて磐井の乱で斬られた問題の磐井の王(筑紫君磐井)の墓がこの岩戸山古墳とほぼ確定されている、これは見てみなくてはならない。

後方部から古墳に上ってみる。大きいが箸墓古墳ほどではない。6世紀といえば古墳時代の終わり頃でこのくらいの古墳は全国レベルでは100以上あるらしい。珍しいのは石で作られた石人と呼ばれる像が多数出土していることだ。現地の資料館に石人の出土品が何体も展示されているほか上野の国立博物館にも1体重要文化財として収蔵されてしまっているという。召し上げられた形だ。

見ていると国東半島の石Kitakyuusyuu仏群をどうしても思い起こしてしまう。阿蘇山が加工しやすい石を生み出しこれによる文化が古くから発達したのだろうか。肥後の石工もそのライン上にあるのだろうか。それにしても阿蘇山の影響は九州の文化全体に力を及ぼしているように思えてくる。中国の古い史書、随書東夷伝にも特記されている阿蘇山は今思っている以上に5-6世紀には大きな重みを持っていたのではないだろうか。

こんな風にして時の旅はつづく。我々は4次元世界に明らかに住んでいる。

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2014年4月10日 (木)

鳥を見ながら旅を楽しむのが

2日前南阿蘇に遊びに行った、たいした理由はないのだが桜もよさそうだし平日ゆっくり小旅Ikaru1 行するのは気持ちがいい。勿論これなら晴天という日取りを慎重に選ぶ。鳥見の旅行ではないのだが巡っていると鳥が気になる。朝 宿の周りを散歩しているとイカルが群れになって木の上で囀っている。群れでイカルが囀るという場面には出くわしたことが無かったのでちょっと気分が良くなる。林を巡るように歩いて時折立ち止まっては録音していたのだが、イカルのほうで録音している姿を見て寄ってきてこれでもかと鳴いているように思えてくる。録音している時はそんな風に思える時が何度かあって写真よりいまだに面白い。

ちゃんと計画した旅行でもないので宿のパンフレットをみて高千穂峡というのが1時間ほどでたどり着ける距離と知って思いついたようにそちらへ回ってみることにする。宮崎県だ。天孫降臨の高千穂の峰とは違う高千穂だがこちらもここが天孫降臨地と主張している、土台が神話のことで現実の話Takachiho ではないのだからどうでもいいことのようにも思えるが地元にとっては重大事なのだろう。古事記では筑紫の日向の久士布流多気に降臨したと記述してあり、九州王朝説では糸島と福岡市の間にある日向峠付近の山が降臨地であるともしている。ともかく古事記日本書紀の編纂を行った政権は九州が政権発祥の地と言いたいようであるのには変わりない。

玄武岩で構成された渓谷はいかにも神秘的ではある。ボートに乗ったり写真を写したりして遊んだ後、遊歩道をすこし遡っていくとオオルリの声が聞こえてくる。4月9日にオオルリのさえずりとは早い、そのうち岸壁の潅木を飛び交いフライキャッチしているブルーの美しい姿も見えてくる。渡ってきたばかりとは思えない姿だ。録音機も手元になく遠くてじっとしていない様子は映像にもうまく撮れない、かろうじてビデオの音声だけにその声を入れる。オオルリの声の響く高千穂峡は思いのほか心踊るものがある。

帰りには荒尾干潟にまた寄った。またというのは行きに寄ってうまく鳥を見られなかったリベンジだ。
行きは、干潟訪問は旅のスケジュール設定の終わり頃に決めたこともあって干満のチャートでは潮のタイミングは必ずしも良くない。14時頃が満潮だ、それも小潮で大した満潮でもない。荒尾に行く前に寄っていくところもあって満潮の1時間前くらいにつけばいいかとのんびり出発する。八女の磐井の古墳(岩戸山古墳)見物に時間を使ってほぼ13時頃到着する、この古墳も随分と面白い。

ネットに出ていた南荒尾駅の南の踏切を渡って海岸の駐車場所に止めると、もう満潮の雰囲気で潮が満ち干潟は無く鳥は姿を殆ど見せない。僅かにヨシガモが10羽位浮いているだけだ。大授搦とは随分違う。海図の水深0mは大潮干潮時の海岸線、地形図の海岸線は満潮時の海岸線であることから干潟の大きさを読み取ることができるのだが、見てみると荒尾干潟も干潮時は2-3km海岸線が沖に出て干潟が広がるはずだ。小潮なら満潮頃でもそれなりの干潟が残って鳥が見やすいだろう(2月に訪れた大授搦はそうだった)と計Arao1 算してきたのだが見事に外れた。空振りかと空しくこの日は阿蘇へ向かう。翌日の帰り、潮は同じようなタイミングになるが場所を探せばどこかにはいるだろうとまた14時ごろ訪れた。予想通り前日と同じ風景が広がっていて何も居ない、直ぐに3km程北の水門付近に移動する。前日最初に間違えて迷い込んだところで鳥の声が聞こえていた場所だ。たどり着くと水門の向こうに砂州が少し残っているようでソリハシシギのようなシギの姿が見える。車を何とか脇に押し込んで堤防に上がると数百の群れが見えてくる。たまたま見ていた方に教Arao2 えていただいて堤防の海側ぎりぎりに出てみると良く見える。大授搦のスケールは望むべくも無いがコンパクトにまとまっていて面白い。オオソリハシシギ、ハマシギ、ダイゼン、ムナグロが多くズグロカモメも数羽いる。そのうちヒドリガモの群れも寄ってきてしだい賑やかになる。
干潟は干潟ごとに適切な見方があるようだ、荒尾干潟は満潮ではなく中くらいがいいように思える。この時期の干潟はともかく楽しい。

Arao3 鳥見の旅行でなく時々鳥を見ながら季節を楽しむ、こんな旅をこのところ毎月のようにしている、いい時が送れているように思えて少々贅沢すぎるか、と不安になることすらある。

春はきらめきをまして過ぎて行き、のびやかな皐月の空が近づいている、次はアケボノツツジを求めて山にでも登るか、そんなことも考えている。どうあれ今という時を楽しむ旅は当分止められそうにない。

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2014年4月 4日 (金)

クリミアを巡る外交ゲームにうんざりして

春本番となっている。天気はいつもの年のように変わりやすく桜はいつもの年のように散っていく。荒れ模様の天気は 春の嵐という言葉が春になれば毎年登場するくらいだからあたりまえのことのようで、いつもと少しばかり違うところを穿り出しては話題にする報道が見ていて付き合いきれなくなる。

ウクライナとロシアの間の揉め事に欧米が介入の姿勢を見せて冷戦復活のような雰囲気が流れている。しかしかっての時代とは大きく変わっている、ロシアとアメリカは簡単にはその関係をストップできない、無論欧州もだろう。航空宇宙の分野ではとりわけそれが目に付く。
スペースシャトルを引退させて、米国は宇宙ステーションを支えている有人ロケットの打ち上げを完全にロシアに頼っている。もし国家事業で米国がロシアと手を切るといえば宇宙ステーションに滞在しているクルーは地上に戻れないことになる、或いは宇宙ステーションは直ちに機能を停止することになる。更に米空軍の衛星打ち上げに使われるアトラスVのメインエンジンにはロシア製のRD180が使われている。当然ロシアのサポートが必要なロケットだ、軍事面でもあっさりロシアと交流を止めるわけにはいかない。民間旅客機でもボーイングはモスクワに民間機のデザインセンターを設けてロシアの航空技術者の力を利用している。政治の世界の衝突が冷戦時のような国と国との全面対決としてしまう訳にはいかない事情を抱えている、これが平和の維持というものだろう、ノーマルな関係というものだろう。
クリミア・ウクライナを巡る各国の動きは政治的な駆け引きに終始していて外交官ゲームの様相がある。こんなことでゲームをするより他にやるべきことは世界にはいくらでもある、いい加減にしろといいたくなる。
変動の激しい気候、動きの不安な政治、なんだかピリピリした雰囲気がいつも流れているように思えてくる。多分変化を拡大して伝えるマスコミの機能が世の中を少しばかり歪めて伝えていることにもその原因があるのだろう。必要な情報・判断は与えられるのではなく自ら探し考えていくほか無いのだろう。

春は晴れれば表を歩いて日差しの暖かさを満喫する、雨が降れば雨を楽しんだり絵や音楽を楽しむ、平和に生きていくにはこれしかないのかもしれない。

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2014年4月 3日 (木)

桜を口実に出歩くのが楽しくて

先週から今週にかけて福岡周辺の桜を見て回っている。晴れた日の平日に気楽に桜を見れるというのがなんとも贅沢だ。

先週は八女・黒木の枝垂桜、佐賀・神埼町の姫枝垂桜と山桜、伊万里の明星桜というエドヒガンザクラ、そして今週は久留米・浅井の一本桜と巡った。サクラの名木のほかソメイヨシノのサクラの名所も幾つか巡っていて、唐津城、福岡・西公園、秋月・杉の馬場の桜並木と回った。ソメイヨシノは近くの公園でも十分美しい。勿論庭にもささやかながら咲いている、いい季節だ。
Myojyozakura 九州の落葉樹はサクラが多いように思えている。そのためかこの時期歩けばサクラに当たるという風景が展開されて桜の密度は関東よりも多い気がしている。

伊万里の明星桜は幹周り11.7mという数字が環境庁の巨木調査にある、全国2位だ、九州ではお墨付きの巨木ということになる。現物を見ると地表に出たところから4つに分かれているので11.7mの幹に直接触れることはできない。しかし900年という樹齢にしては元気だ。うねうねと曲がりくねった太い枝が四方に伸びているさまは軟体動物のようでさえある。そして花も美しい。
Asaisakura1
浅井の一本桜はヤマザクラだがソメイヨシノと変わらぬ時期に咲く、ヤマザクラにも色々有るようだ。これはとりわけ枝振りがいい。きちんと手をかけて育てられた歴史を感じる。高台の池のヘリに立っている姿は植えられた時から計算された形かもしれないと思えてくる。平日でも混んでいる、土日では車ではとても近づけまい。大抵の名木には田舎道を辿っていって行き当たる、いかにも休日では車の大渋滞になりそうだ。仕事を離れた身でなければこんな風に気ままにサクラ見物はできない。

秋月の桜並木は秋田の角館の風景に似ている。こちらの方が道が細くて昔らしい風情があるとも思える。ここは平日でも混んでいる、町おこしがうまいのかもしれない。明治時代に藩の時代は杉並木だったのを伐採して桜並木としたという、郷愁を捨てて賑わいをはかったのだろう。秋月といえばあの上杉鷹山を生んだ高鍋秋月藩の先祖伝来の土地だ。こだわりを捨て現実的に暮らしを良くしようとする考え方Akiduki が今も連綿と伝わっているような気がしてくる。

サクラを見ながらサクラを見るという口実でここあそこと気の向くままに出歩く。
気持ちよく晴れた春の日はそんな気を呼び起こしてくれるのが楽しい。

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