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2014年5月25日 (日)

マレーシア航空機事故が

マレーシア航空機事故がまだ解明されない。それどころか機体の破片1片すら発見されていない。一時フライトレコーダからの微弱な電波を捉えたとの報も流れたが誤りだった。オーストラリア西沖の海域が墜落現場と疑われているが捜索はすべて失敗に終わったこともあり各国の空からの捜索支援は引き上げている。フライトレコーダ、ボイスレコーダの回収はされたとしても随分先になるのだろう、当分事故原因は解りそうにない。
事故機は3月8日午前0時41分クアラルンプール空港を離陸後ベトナムの管制圏に入ったとKisyou1 ころで突如西に進路を変えそのまま軍事用レーダーからも機影が消えている。インマルサット衛星とのデータ交信のラインが生きておりその追跡ではオーストラリア西部海域に墜落と推定されている。墜落目撃証言等は得られていない。気象上は概ね好天で問題となるような現象は見当たらない、マレーシア航空の整備は信頼高いとされており機体の777も事故が極めて少ない機材と知られている。謎の巡航中の事故だ。
巡航中の事故は航空機事故では珍しい部類に入る。
最近の巡航中の墜落事故は昨年11月末にナミビアでモザンビーク航空のエンブラエル190が高度38000ftで巡航中に急降下に入ってそのまま地面に激突した事故があったが、これは事故後回収されたフライトレコーダ、ボイスレコーダの解析からコパイロットがトイレに出たタイミングで残ったパイロットがコクピット扉を内側からロックし自動操縦装置の目標高度を地面高度以下にセットして意図的に墜落させたと判明した。何故彼がそのような自殺行為に走ったのかは明らかにされていないが防ぐことの難しい事故だったようだ。

マレーシア航空の事故も似たような印象があってトラポンを切って連絡もなしに8時間近く飛び続けたとは意図的としか思えないところがある。誰からも監視されない空域を選んで飛び回ったのだろうか。
2人操縦でコクピットの扉が外からは開けられなくしている今の運行システムのいわばシステム・バグを突いたような事故とも思える。コクピットをフライト中に見せてもらえたおおらかな時代が懐かしくもかえって安全なようにも思えてくる。コクピット内の外部からの監視が義務付けられる流れになるのかもしれない。
今後世界の航空需要が増え続けるのは殆ど疑いようがない。パイロット不足も当分続くだろうし中にとんでもないパイロットが紛れ込むリスクも増えていくだろう。

Amazonで買い物をすることが多くなった。というか近くの量販店で売っていないものはAmazonで買うことになるし送料込みで量販店より安ければそれもAmazonで買ってしまう。 クリック一つで何でも届く、こんな生活に慣れていくと社会インフラが自動マシーンのような機械的な仕組みであるかのように知らず知らずのうちに夢想してしまう。

航空機は自動操縦で全て飛んでいる訳ではない、例えば完全自動着陸が可能なエアポートは日本でもほんの一握りしかなくてそれも滑走路の向きが限定されている、多くの着陸で最後はパイロットの目視と計器で手動で降りている、言い換えればパイロットは自分一人の手の中に乗客乗員全ての命を握っている、それが事実だ。こんな事件はまた起こりそうだ。

飛行機に乗れば何時かはこんな事件に巻き込まれて命を落とすことになるのかもしれない、船に乗れば沈没するかもしれない、そんなことを思い悩んでいるよりは何時かは必ず死ぬのだからそれも面白いと勝手気ままに遊びまわって暮らすほうがよほど性に合っている。近頃は何も怖いというものがなくなったなあ、そんなことにすら思い至る。
全てを受け入れると心に決めればこんな楽な世の中はないのかもしれない、こんな事故も考えようによってはたいしたことでもないと思えてくる。それより、もう梅雨だ。

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2014年5月16日 (金)

消費税が上がって高速代も上がって

消費税が5%から8%に上がって更に便乗値上げも幾つかあってどうなることかと思っていたがたいした事は起こらない。有田の陶器市に行っても特価100円の器は108円ではなくてやはり100円だ。ヨドバシカメラで買い物をしても表示価格より機械的に引いてくれる、なんだという感じだ。使いたいものを買うために支出するお金はさほど変わったようにも思えない。
それよりも原油価格の変動でガソリンの価格が上がったり高速道路の割引が大幅になくなってしまったことのインパクトのほうが強く感じる。でも出かけている。しょうがない。

去年引っ越してきた家は古いところが目に付いて少しづつ手を入れているが慣れてきたのもあり次第に億劫になってきた。
これはいけないと思い直して、今月になって洗面所の壁のクロスを張り替えた。もとの壁は茶色系でやや薄暗いのもあり更にスイッチ周りなどに手垢がついて汚くなってきていた。
ホームセンターで見ると、「生のり」をうたった壁紙が幾つもある。近頃はこれがいいのかとアサヒペンの生のり壁紙10mを1本買ってきて早速張り替えにかかる。
表面を拭いて幅92cmの新しい壁紙を張っていくが、ドアや出入り口の切り欠きが幾つもありまた洗面台は動かすわけにも行かず見えるところだけを切り抜いて張るなど思ったほど簡単ではない。生のりだと1度失敗しても貼り直しが利くところがいいようだが何回も張り直しているとやはりのりが利かなくなる、へりをボンドで接着したりして苦闘することはやはり避けられない。
昼過ぎから始めてその日中には終わらず翌日の午前中まで食い込む。思ったよりも手がかかる、特に切り抜き作業がやっかいだ。しかしとにかく頑張って終了させる。
出来上がると随分と明るく綺麗になってやったかいがある。気になるのは匂いだ。生のりというだけあって乾きが遅く何日も化学糊の異臭が洗面所に漂う。居間のクロスも張り替えようと思っていたがこれではためらわれてしまう。
またその気になったらやるか。

Sichidanka 庭に知らない花が幾つか咲き出てくる。引っ越してきた家だからしようがないとその都度ネット で調べているが、今週シチダンカという花が現れた。シーボルトの報告にあったもののその後長い間見つかっていなかったが1959年に六甲山で再発見された花だ。その後園芸種に改変されたものが出回っているようでこの庭にあってもおかしくないのだがとにかく珍しい。

出かけなくとも自宅にやることや見るべきものがある。車で走るコストがもっともっと上がっていけばそれなりに自宅周りで日がら過ごせばいいじゃないか。こんな風に気になることがそのうち消えてしまう生活がいいようもなく楽で、何だか年に合っている気がしている。

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2014年5月15日 (木)

のどかな悩み

このところ鳥の動きがめまぐるしい。庭木にもコゲラが飛んできて驚かされる。

Hachikuma この日曜、油山片瀬展望台に行ってみるとハチクマの春の渡りが始まっている、勿論まだ数は少ないが時折3-4羽の鷹柱を油山山腹に形成している。もうそんな時期だ。尾根を登るとキビタキの声も力強く、美しい姿を木々の間から見せてくれる。いい季節だ。

近くの池のマガモのヒナは急に減って4羽になってしまった。おまけに2つがいのうちのひとつの姿が見えない、またどこかへ引っ越したのだろうか、歩くほかないが悲劇になっていなければと思うばかりだ。残ったつがいも12羽だったヒナが4羽になっている、カラスにでもやられたのだろうか、岸に上がったところを猫に襲われたのだろうか。ともかく胸が痛む。
池を暫く見ているとバンも子連れになって出てきた。相似形の小さいバン2羽が親のあとからついてくる、初めて見る光景だ。このヒナも無事に育てよと願っていたが2日後の今日見てみるとヒナは1羽だけになっている。生き残りは厳しいと聞かされてはいたがこうも次々と目の前から消えていくと本当に痛ましい。

近くの六助公園の葦の茂みからは2日前コヨシキリの陽気なさえずりが響いていた。初めは調子が乗らないオオヨシキリかと思っていたが鳴き方が複雑で暫く聞いているとこれはコヨシキリだと確信する。コヨシキリのこんなさえずりは北海道以来だ、通過するだけだからすぐにいなくなりそうで何とか録音せねばと今日行くともういない。ともかくこの時期は散歩中でも録音機を持ち運ぶべきのようだ。
全体に去年より随分と鳥がにぎやかでそろそろ福岡市の植物園にサンコウチョウが現れるかもしれない。
鳥を見なくてはと始終気になるがそうもいかずやることが多くて悩ましい。のどかな悩みだ。

近頃は昔読みそこなった本を拾うように読んでいる、今はツアラッツストラだ。はじめの数ページで昔あきらめてしまった思い出があるが今読み直すと普通のことが書いてあるだけだ。要は現実をそのまま受け止めよ、神も仏もない現実があるだけだといっているような気がする。表現が屈折していて難しく見えるだけのようだ。まだ読んでいる最中で最後まで行き着けるかは解らないのだけれども。

正面から見てみれば難しいことは滅多にない、位置の問題だったのかもしれない、近頃そんな気がしている。そればかりではなくて、感覚に尖ったところがなくなって余分なことを感じなくなってきたためのようにも思っている。 そんなことを思うのはのどかな悩みがある位で生活そのものに尖りがなくなっているためかもしれない。

詩は書けなくなったのかな、とりとめもなくそう思う。五月の日差しがきつい。

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2014年5月 9日 (金)

現実と夢の境目がゆっくりとぼやけてくるようで

いつも散歩している公園に今月はじめ突然マガモのヒナが出現した。公園のマガモがなかなか渡ろうとしないので訝っていたが成程そうだったのかと思ってしまう。雛をかえすとはマガモもずいぶんとこの地が気に入ったらしい。1週間ほど過ぎた今日また様子を見に行ってみるとなんとヒナを引き連れた別のマガモが現れる。全部で22羽のヒナがこの小さな池で育っていくことになる。見に来ていた人と話Magmhnをしていると すぐ近くの別の公園の葦の茂みで孵してここまで数十メートルを歩いて移動してきたという。こちらの公園ははすの葉は浮いているが土の岸辺がなくて、猫やいたちからヒナを守るにはこちらのほうが安全ということらしい。
福岡でマガモが繁殖しているとは思ってもみなかった。ネットでは北海道でヒナが孵ったとの書き込みは幾つも見つけるが九州でもあるのかと思ってしまう。九州まで来たマガモは遠くシベリヤまで帰るのが億劫になるということだろうか。思いもかけない光景だ。

 

昨日久しぶりにプールに行って300mばかり泳いだ、いつものように100mをゆっくり泳いだ後50mを全速力で泳ぐ、これをクロールと平泳ぎで行う。とにかく全力で泳いで終わるので上がる頃は朦朧とするほど疲れる。昨日はプールに行く前に梅の木の虫退治に殺虫剤をまいていてそれを吸い込んだ為かあるいは洗面所の壁紙を張り替えていて接着剤の出すガスにまかれた為か思いの外疲れていつもより更に朦朧としながら何故か忘れていた夢を次々に思い出した。こんなことは初めてだ。勿論また次々に忘れていくのだがその夢の湧き出してくる奇妙な感触だけは忘れない。

その前の日はずいぶんと久しぶりに小学校の同窓会が開かれた。まったく忘れていた記憶が途切れ途切れによみがえってそれがつながっていく。長い時間の経過が端と端ででつながって時間軸がむしろぼやけてくる感じさえする。

思いがけない体験が毎日のように起こる。現実と夢の間の壁はこのようにして少しづつ壊れていくのかもしれないという気がして、それがむしろ新鮮で、新しい時の流れが始まっているような感触が気持ちよく思えてくる。

年を取るということはこういうことだったのだろうか。

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2014年5月 2日 (金)

山で生きていく話

アケボノツツジを見に行ったついでに通潤橋によって更についでに五家荘に寄った。予備知識はほとんどない。平家の落人村があるのだろうといった程度だ。

御船町から南に曲がり国道445号線を走る。山に差し掛かると普通の2級国道が急に離合困難な両側あわせて1車線の山道に変じる。おまけに崖っぷちを曲がりくねって延々と登りが続く。一瞬も気が休まる時Map がない。時折前から車が来る。急ブレーキで離合できるところに下がって切り抜ける。こんな道は走ったことがない。国道とはまったく思えない。しかし苦しい道にも終わりは来る。突然二本杉峠という広い所に出る。標高1100mだから九州の峠としてはかなり高い。ここから暫くは国道らしいゆったりした片側1車線の下り道に変わる。しかし楽な道にもやはり終わりが来る。10km位でまた曲がりくねった両側で1車線の道に戻る。なんということだ。そのうちT字路になり左平家の里との手書きの道標が現れるが左はもっと怪しげな道に見える。ナビでは右と出て右へ行く。取りあえずは五家荘の観光案内所が目標地としてある。
やや暫くあってナビに従って左に曲がる、やはり同じような細い山道だ。こんな所に人が住めるのだろうかと思っている頃人家が現れる、人がいる。何をして生活しているのだろうか。更に暫く進むと目的地のあたりに到達する。観光案内所はあるにはあるが休みのようだ。手前に1軒お食事どころの看板があるのでちょうど昼だと覗いてみる。こちらも人気がない。お願いします、と声をかけてみると横から年配の女性がゆったりと現れて、食事はできるという。蕎麦を頼んで待つ。どこかで作っているようだ。出てきた蕎麦はいかにも手打ちのぶつぎれで上に肉の揚げたのが載っている、獣くさい。食べてみると鹿か猪だ、お店で売っている肉とは思えない、ここらで取れるものばかりで作っているようだ。確かにここは秘境だ。
Goka 奥深い山地に点々と在る人家というのが五家荘の実態のようだ。

観光用の作り物のの平家の里も見てみる、こんな所にこんなものをどうやって作ったのだろうと思うほどだ、しかし何の感慨も沸かない。
戻ってここは何なのだろうかと調べてみてやっと解ってくる。
五家荘には平家の落人の末裔という一族が緒方氏として残っておりこれとは別に菅原道真の末裔という一族が左座(ぞうざ)氏として残っているという、1000年もの間ということになる。俗世との行き来をなるべく絶って住み続けてきたようだ、確かにその雰囲気はあの蕎麦にあった。
しかしなんだか腑に落ちない、菅原道真の子息が落ちのびなけねばならぬほどだったのだろうか。
平家の隠れ里の言い伝えには色んな綾があるようだ。柳田國男は木地師集団が山に篭って生き続けていた、この集団は作り話がうまくて平家の落人の話も各所で作り話を伝えていたらしい、とも述べているようだ。確かに前の晩に泊まった五ヶ瀬の宿は木地屋との屋号だったし、ネットで調べても五ヶ瀬には明らかに木地師がいたらしい。木地師は山に住んで木のお椀などを作って里人に売って僅かな収入を得たという、学もあった。時折着るものを買う程の僅かな収入があれば山中で生きながらえることは十分可能のようだ。

柳田國男の著作の中には山に迷い込んで山で生き続けた人の話がいくつも出てくる。何年も過ごしていると着るものは殆ど(損耗して)なくなるが食べていくには困らないようだ。こんな人たちが山には何人もいて里人が山に入ると時々遭遇した話がいくらもあったようだ。工事の人夫として雇ったなどという話もある。もちろん女性もいる。山で追いはぎにあうなどという話も着るものを手に入れるため行われた行為だったのかもしれない。

そんなんだから山には山の別の世界があり続けた、これが明治頃までの日本の姿だったようだ。

勿論五家荘は本当に平家の落人だったのかもしれない、言い伝えには真実味がある、しかし今となっては作られた話も本当の話も区別がつかない。歴史とはそのようなものなのだろう、存在が確認されることの意義は気休めでしかない、本当の歴史は次第にその存在の意味を失っていくのではなかろうか。今そう思えばそれが真実なのだろう。

また知らない世界に遭遇したようだ、生きていく限りこうなのだろう。

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2014年5月 1日 (木)

5月になって

5月になって

生ぬるい空気が漂って、
どこか違うような気がしている
思わぬ強風に転じたヨットレースの腕のつりが残り、
5月の光はまだ届かない

国道445線
五家荘を走った
歴史の残像は作り物にはなく
山奥の食堂の蕎麦にある
言葉にある
走り回っても過去が見えるだけで
生み出す未来が霞む

明日はどこにいるのだろうか

5月の風がそ知らぬ顔で忍び寄る
Momiki

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