現実と夢の境目がゆっくりとぼやけてくるようで
いつも散歩している公園に今月はじめ突然マガモのヒナが出現した。公園のマガモがなかなか渡ろうとしないので訝っていたが成程そうだったのかと思ってしまう。雛をかえすとはマガモもずいぶんとこの地が気に入ったらしい。1週間ほど過ぎた今日また様子を見に行ってみるとなんとヒナを引き連れた別のマガモが現れる。全部で22羽のヒナがこの小さな池で育っていくことになる。見に来ていた人と話をしていると すぐ近くの別の公園の葦の茂みで孵してここまで数十メートルを歩いて移動してきたという。こちらの公園ははすの葉は浮いているが土の岸辺がなくて、猫やいたちからヒナを守るにはこちらのほうが安全ということらしい。
福岡でマガモが繁殖しているとは思ってもみなかった。ネットでは北海道でヒナが孵ったとの書き込みは幾つも見つけるが九州でもあるのかと思ってしまう。九州まで来たマガモは遠くシベリヤまで帰るのが億劫になるということだろうか。思いもかけない光景だ。
昨日久しぶりにプールに行って300mばかり泳いだ、いつものように100mをゆっくり泳いだ後50mを全速力で泳ぐ、これをクロールと平泳ぎで行う。とにかく全力で泳いで終わるので上がる頃は朦朧とするほど疲れる。昨日はプールに行く前に梅の木の虫退治に殺虫剤をまいていてそれを吸い込んだ為かあるいは洗面所の壁紙を張り替えていて接着剤の出すガスにまかれた為か思いの外疲れていつもより更に朦朧としながら何故か忘れていた夢を次々に思い出した。こんなことは初めてだ。勿論また次々に忘れていくのだがその夢の湧き出してくる奇妙な感触だけは忘れない。
その前の日はずいぶんと久しぶりに小学校の同窓会が開かれた。まったく忘れていた記憶が途切れ途切れによみがえってそれがつながっていく。長い時間の経過が端と端ででつながって時間軸がむしろぼやけてくる感じさえする。
思いがけない体験が毎日のように起こる。現実と夢の間の壁はこのようにして少しづつ壊れていくのかもしれないという気がして、それがむしろ新鮮で、新しい時の流れが始まっているような感触が気持ちよく思えてくる。
年を取るということはこういうことだったのだろうか。
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