のどかな悩み
このところ鳥の動きがめまぐるしい。庭木にもコゲラが飛んできて驚かされる。
この日曜、油山片瀬展望台に行ってみるとハチクマの春の渡りが始まっている、勿論まだ数は少ないが時折3-4羽の鷹柱を油山山腹に形成している。もうそんな時期だ。尾根を登るとキビタキの声も力強く、美しい姿を木々の間から見せてくれる。いい季節だ。
近くの池のマガモのヒナは急に減って4羽になってしまった。おまけに2つがいのうちのひとつの姿が見えない、またどこかへ引っ越したのだろうか、歩くほかないが悲劇になっていなければと思うばかりだ。残ったつがいも12羽だったヒナが4羽になっている、カラスにでもやられたのだろうか、岸に上がったところを猫に襲われたのだろうか。ともかく胸が痛む。
池を暫く見ているとバンも子連れになって出てきた。相似形の小さいバン2羽が親のあとからついてくる、初めて見る光景だ。このヒナも無事に育てよと願っていたが2日後の今日見てみるとヒナは1羽だけになっている。生き残りは厳しいと聞かされてはいたがこうも次々と目の前から消えていくと本当に痛ましい。
近くの六助公園の葦の茂みからは2日前コヨシキリの陽気なさえずりが響いていた。初めは調子が乗らないオオヨシキリかと思っていたが鳴き方が複雑で暫く聞いているとこれはコヨシキリだと確信する。コヨシキリのこんなさえずりは北海道以来だ、通過するだけだからすぐにいなくなりそうで何とか録音せねばと今日行くともういない。ともかくこの時期は散歩中でも録音機を持ち運ぶべきのようだ。
全体に去年より随分と鳥がにぎやかでそろそろ福岡市の植物園にサンコウチョウが現れるかもしれない。
鳥を見なくてはと始終気になるがそうもいかずやることが多くて悩ましい。のどかな悩みだ。
近頃は昔読みそこなった本を拾うように読んでいる、今はツアラッツストラだ。はじめの数ページで昔あきらめてしまった思い出があるが今読み直すと普通のことが書いてあるだけだ。要は現実をそのまま受け止めよ、神も仏もない現実があるだけだといっているような気がする。表現が屈折していて難しく見えるだけのようだ。まだ読んでいる最中で最後まで行き着けるかは解らないのだけれども。
正面から見てみれば難しいことは滅多にない、位置の問題だったのかもしれない、近頃そんな気がしている。そればかりではなくて、感覚に尖ったところがなくなって余分なことを感じなくなってきたためのようにも思っている。 そんなことを思うのはのどかな悩みがある位で生活そのものに尖りがなくなっているためかもしれない。
詩は書けなくなったのかな、とりとめもなくそう思う。五月の日差しがきつい。
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