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2014年8月25日 (月)

平尾台で驚き

朝いつものように気象データをダウンロードして眺めているとどう見ても久し振りの晴れで野外に出かけるのには好適な天気のようだ。思いついたように平尾台に出かけた。
先週の週末はタモリカップヨットレースに参加して遊んでいた、ちょうどよい風が吹いてヨットには何よりではあったのだが、雨交じりの天気で一般にはあまりよい天気とはいえない。その後も雨模様が続き22日の明け方には激しい雷雨もあってこのところいささか気が晴れない思いがしていた。
Hiraod1 平尾台は北九州市小倉の南にある標高400mくらいのカルスト台地だ。幼い頃に学校からの遠足で1度訪れたように覚えているが記憶は相当に薄れている。山口の秋吉台よりは小規模で幼い頃はあまり大したところではないとの言葉が付きまとっていたようにも思う。
福岡に戻ってきて平尾台の広谷湿原が結構いいとの記事を新聞の片隅で読んで一度行って見なくてはと思っていた。福岡では湿原らしい湿原にお目にかかったことがない。
ネットで調べると福岡市の自宅からは九州道経由で行くのが最も簡単で1時間半もあれば到着できるはずだ。11年目の車検を通したばかりのクルマで調子を見ながら走っていく。
台地の上に上がりまずは平尾台の中心と思しき茶の床園地に向かう、ネットで見る限りここに駐車するのが広谷湿地には最も近い。到着する と駐車場は満杯近いが丁度空いたばかりのスペースに車を入れることができて園地のあずまやで早めの食事をとるとする。先客の初老の男性と話をしていると、那珂川町から朝早く来たといい広谷湿地のサギソウ自生地への行き方を教Hiraod9えてくれるがよく頭に入らない。何でも丁度サギソウが見頃ということらしい。よく話す。福岡ではよく話す人にしばしば出くわす、タクシーの運転手で福岡程よ く喋るところは他には知らない。
広谷湿原までは事前に入れてきたGPSのポイントに従って歩いていく、といっても舗装してある道で間違えようもない。うねっている草原に羊のような石灰石の岩が点在する広々とした景観が気持ちがいい。

程なく湿地に着く、思Hiraod3ったより大分小さい。こちらに来てそれなりの規模の湿地というと久住の長者原辺りの湿地くらいしか知らない、九州は高層湿地には恵まれないようだ。遊歩道があるが木道も無い。

ギボウシらしい花がたくさん咲いている、遊歩道脇の草刈をしていた男 性があれはイワギボウシです、サワギキョウが来週なら咲くでしょうといろいろ説明してくれる、サギソウ自生地をここでも教わりやっと具体的な行き方がわかる、それにしてもこの人もHiraod2Hiraod6よく話す。何はともあれ有難い。
サギソウ自生地へ行ってみると清楚な花が見頃に咲いている、野生のものは初めて見る、いかにもか弱く絶滅危惧種の雰囲気がある。
花はこの他九州以南に咲くノヒメユリが草原のあちこち咲きキキョウやサイヨウシャジン、オミナエシ、ツリフネソウ、ホザキ ノミミカキグサ他よく見る花も珍しい花もいろいろ見れる。なかなかいいところだ。蝶やトンボも面白そうでそHiraod5う広くもない範囲に多様な生き物や鉱物が分布している様がちょっとした驚きだ。
千仏鍾乳洞というところに回る。帰りがけの駄賃にと寄ったのだが、これがびっくり。まず駐車場から急な坂道を随分と下らなければならない、これは帰りは大変だと思えるが引き返すのも悔しい、やっと辿りつくと濡れてもいいようにビニール草履に履き替えて鍾乳洞に入るようになっている。なんだか大袈裟のように感じたが履き替えてともかく中に入る。大分来たなという所で狭くなって下が流水になる、かなり冷たい。直に終わる だろうとタカをくくっているとこれが終わらない、曲がりくねりながら狭い洞窟を先がどうなっているかわからないまま水に浸かって進むのはつらくなる。それに足も冷Hiraod7たい。観光用というには危ない感じがしてきて途中で引き返す。次から次へと見物客は進んできておりこれに逆らって戻るのも楽ではない、殆どが子 供連れかアベックだ。大丈夫だろうかとも思ってしまう。出口まで戻って一休みしてくだんの急坂を戻る、足が軽くなったようで帰りは思いのほか楽だ。
家に帰ってネットでこの鍾乳洞についての書き込みをいろいろ見てHiraod8みるとこのアドベンチャー風な洞窟が思ったより好評のようだ。多くの普通の人が一番奥の電灯がついてないルート(この日は水量が多くてクローズされていた)を滝のところまでヘッドランプを付けて入り込んでいるようで驚かされる、観光用とは思えない洞窟だ。それが好まれている。地震が起きたらどうなるんだろうとすぐに思うがこの地では地震は殆どない、そんな事情も背景にあるのだろう。

未だにこの九州という地を理解しきっていない、そう感じている。この先もずっとこの感じは拭えないのかもしれない、そうも予感している。しかし 突き放れたふるさと、その感触も悪くもない。

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2014年8月21日 (木)

広島の土砂災害が

中国大陸から優勢な積乱雲の帯が伸びてきて北部九州にかかり早朝から断続的に激しい雨が降る。積乱雲自体は短い時間で消えていくがそれを作った大気の構造はそのまま次々に新しい積乱雲を生み出しながら流れていく、壮大な流れだ。広島ではとんでもない土砂災害となった。ニュースを見ながら何故広島なのか考えていく。テレビの気象解説ではまったく踏み込みが浅い。

衛星画像を暫く動かしてみていると、上層大気の状態が現れやすい水蒸気画像が面白い。
目を引くのは本州の南はるか沖にある大きく低気圧様に左巻きする渦の存在だ、寒冷渦らしい。GSMの高層計算データも上空の大気温度の低い場所がその辺りにあることを示している。

衛星動画を見ていると、この渦の西端が中国大陸から伸びてくる積乱雲の流れとぶつかってこれを押しとどめている様が解る、ちょうど広島あたりだ。温湿な大気が寒冷渦とぶつかるのではそれだけで積乱雲の働きが活発となる、しかも動かなくなる、そんな仕組みになっていたのかと納得する。

広島の災害をテレビのニュースでみていると何でこんな山際に住宅が押し寄せるように建っているのか、建築規制が生ぬるいのではないかと感じてしまう。

もう少し位置関係を調べてみると崩れたのは広島の中心部に近いところだと解る、よく見れば広島の住宅地はこんなところを利用せざるを得ない地形になっている、平地が存外に少ない。土砂災害の起こったあたりに住宅を建てた人は(山崩れさえ無ければ)便利ないいところに住めたと思っただろう。試しに住宅価格を見てみると災害の起こった辺りでは30坪強の土地に建つ新築1戸建てが2900万円位で売られている、随分と土地の面積が狭い。土地の価格がかなり高いものになっているようだ、だから山際ぎりぎりのところまで開発してしまうし、公も強いことは言いにくい事情があると思えてくる。

この土砂災害はどの時点なら防止できたのだろうか。相当に根が深く、解決は簡単ではない、しかし考えねばならないだろう。

ここまできて そういえば長崎も随分と平地が少ない、と気づく。両市ともいわずと知れた原爆の被災地だ。何となく原爆を投下しようとする側の場所の選定の論理がわかるような気がしてくる、新しい爆弾による効果を確実なものとするためだだっ広い平野でなくて山地に囲まれた狭い地域に多くの人が生活している土地を狙う、そのように思えてくる。戦争は恐ろしい、こんなことまで考えるようになってしまうのか。

あの戦争は一体どこで止めることができたのだろうか。
頭の隅から時々頭を出すこの問いにそろそろ真面目に向き合わなければならない時が来ているようにも思っている。

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2014年8月15日 (金)

101年目のロバートキャパ

101年目のロバートキャパと銘打ったキャパの写真展が九州芸文館で開かれているというので見に行った。矢部川に近い新幹線筑後船小屋駅前というのだが例によってクルマで出Capa かけた。八女市の南にあたる。帰省ラッシュがまだ続いていて道は結構混んでいる。
やっとの思いで辿り着くと面白い建物だ、昨年4月にオープンでまだ出来て日が浅い。隈研吾の作品という、ちょっと華奢だ。栃木では広重美術館が隈研吾だった、このところ人気のようだ。
さてキャパだ。戦場カメラマンの草分けとして認識しているがまとめてみたことは無い。最初がトロツキーの演説姿でネガのべた焼きも一緒に展示されている(トロツキー)。掲げた手が顔にかかっていて肖像写真としては不適だが言葉が飛び出してくるようだ、他にもいろいろあるカットの中でこの一コマを選ばせた感性が面白い、最終的に選んだのは編集者かもしれないがそうさせた元画像を提供できた腕を感じる。
スペイン戦争、イタリア戦線、ノルマンディー、パリ解放、エクソダス、延々と続く。戦争の時代だ。しかし戦場というのにカットが綺麗だ、余計なものが写っていない、綺麗過ぎる。ピントも良くあっていて、クールな視点が感じられQgeibunる。作為が感じられる写真も結構あるが戦争そのものを伝えようとするとある程度必要になることかもしれない と思えてくる。LIFEの表紙となる写真だ、写真としての出来の良さがどうしても求められるのだろう。戦場からは撮影済みフィルムをとにかく送り出し何人もの手を経てそのうちの数枚が誰かによって選ばれ雑誌に載ることになるのだろう、誰もが感じ取れるインパクトを説明なしで一枚一枚にこめるほか無い世界なのだろう。写真はアートの世界だ、美と技 両方の意味でアートの世界だ、そう感じてしまう。
モノクロの写真だからこその映像の切り取る力も感じる。カラーでは余計な情報が多すぎるのではなかろうか。
ズームレンズのデジカメでとにかく撮るという今の自分の撮影の情けなさも思ってしまう。

なかなかいい物を見たとの思いで外に出ると驟雨だ。むっとした湿気が空に満ちて耐え切れず落ちてきている。零れ落ちるような雨、あふれ出すような雨、キャパの印象とどこかオーバーラップしてくる。あふれだすようなアートの世界、かなわぬ望みだろうか。

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2014年8月12日 (火)

台風11号が

台風11号が北へ去った。当初の予想進路より少々東にずれた、太平洋の高気圧が僅かに弱かったようだ、高気圧の縁を丁寧に巡る台風の渦は一日見ていると飽きはしないが疲れる。(図は10日12時の衛星写真)。
1_20140810120000
予想外に東に行ったのに福岡の海岸の風は予想外に強かった。9日朝にリリースされたMSMデータ(気象庁の数値予報データ、このときはまだ豊後水道通過を予測)でも台風が離れていくのに従い博多湾の風速は昼頃には9m位に下がってくるというものだったが現実には海岸にあるヨットハーバーの計測で昼過ぎには11mと尻上がりに強くなっていた、台風を巡るスパイラルバンドと呼ばれる雲と同様風も筋状の渦巻きとなって離れていくのに強くなる(強い筋がかかってくる)ということもあるのだろうか、そこまでは予測計算が難しいのだ20140810yhtenki ろうか。陸上の風と違って海上の風は遮るものが無いだけに掛け値なしの強い風が離れていても吹いてくる。
10日に予定されていたタモリカップヨットレースも16日に日延べとなり雨模様ではひがら家の中にいることになって 気晴らしに散髪に出かけた。
このところカットオンリー1000円のチェーン店を利用しているが、店に入ると席が埋まっていて順番待ちとなる。この店では回転が速く待ったことなどあまりない。待っているとお客が次々に来て若い女性まで順番待ちに並んだ、カット屋だから女性客がいてもおかしくないのだろうか時代の移ろいを感じてしまう。安くて時間も短くそれなりの形に切ってくれる、それで十分ではないか、その価値は万人に共通であることに違いない。それにしても台風に降り込められると床屋へ行くくらいしか思いつかなくなるのも共通のようだ。

20140810seatemp 台風が来ると時間の進み方が変わってくる、家での時間が長くなって時間がゆったりするかと思えばどこかあわただしい。ひっきりなしの台風中継のためだろうかそれともめまぐるしく変わる空のせいだろうか。

台風も過ぎて見直してみると西日本の南からフィリピン付近までの短冊のような海域の温度がこのところ下がってきている、一方でウェーキ島付近の海水温はいまだ高く太平洋高気20140811sstanomaly 圧は強いままだが東へ移動した形だ、これは涼しくなる、台風も暫くは日本に近づかないようにも見える。のんびり遊ぶ季節が戻ってきたようだ。
(図は8月10日の海水温、2度ピッチ、最高は30℃、下の図は平年と比べた海水温、フィリピン東の温度が低い)。

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2014年8月 9日 (土)

アルジェリア航空AH5017便の墜落

ウクライナの戦争はまだ終わりが見えない。ロシアが支えている限り戦争は続きそうに見える。不合理でも受け止めねばならない現実だ。
7月に続いた航空機墜落で気になっているのがアフリカ・マリの砂漠に墜落したアルジェリア航空AH5017便の事故だ。7月24日午前1時55分頃(UTC、現地時も同じ)にマリ南部の砂漠に墜落した。搭乗者116名は全員死亡、内フランス人が50人であったという、事故後フランス政府は喪に服しフランスの公共施設には半旗が掲げられた。
事故時機体は砂嵐の中にあったようで視界が得られないためコース変更の承認を求めてAh5017map いたといわれる。高度30000ft,約10000mで砂嵐に会うことなどあるのだろうか。遭遇したとしても視界だけの問題なら通常の雲中飛行と同じで普通に計器飛行できるはずだ。気象衛星データで見る限り、激しい嵐に遭遇していたことは事実のようだ(最初の添付図はBBCnewsより、その下はJAXAページより)。下層大気が強く熱せられて出来る積乱雲が主体の局地的現象のようでGSMの計算で は予測できていない。真夜中にこんな積乱雲ができるというのもすごい。
フライトレコーダは回収されて解析できているがボイスレコーダは読めないようだ。録音そのものに失敗しているようだとの説明がなされている。
フライトレコーダによる事故解析を行っているフランスの事故調(BEA)から8月7日に現在の解析状況が公表されたがそれによれば ブルキナファソのワガドゥグー空港を離陸した事故機は上昇を終了して2014072401ame31000ft,280ktの巡航状態を2分間安定して続けたあと速度が明瞭に下がり始めて160ktまで減速、その後左ロールを続けながら急降下し地面激突に至った、となっている。
要するに失速してスピンに入り墜落したということになる。
砂塵嵐により砂塵を吸い込んだエンジンの出力が低下しこれに対して高度維持すべくオートパイロットが(或いはパイロットが)引き舵をとったため(それと気がつかないうちに)失速速度まで減速してしまいスピンに入ったというシナリオが考えられる。失速を防止するスティックプッシャーは効かなかったことになるが力任せに舵を引けばオーバーライドできてしまったのかJikotenkiもしれない、なにしろ地面に突っ込んでいくのはかなりの恐怖だ。気象とパイロットミスの複合が原因ということになる。似たような事故は2005年ベネズエラのMD82にも起こっている。
墜落した機体の運航はアルジェリア航空だがフライトクルーも含めてスペインのスイフトエアからリースを受けてのお任せスタイルの運行で運行会社に安全に対する切迫感が今一つ欠けていたのではないかとの気もする。嵐の接近はどう見ても地上レーダーで離陸前にはわかっていたはずだ。スイフトエアは低賃金でパイロット組合から抗議が起こっていたとも伝えられる、パイロットが安全重視で運行できる体制にはなかったのかもしれない。運行体制も含めたインフラが需要についていっていなMd83 いところで起こった事故のように感じられる。

ブルキナファソとは聞かない名前の国だが1960年にオートボルタとしてフランスから独立した国だ、建国以来クーデターでしか政権移行が行われていないが最後の1987年のクーデターで憲法改正し直接選挙の大統領制がしかれて安定してきている。北のマリではアルカイダ系イスラム過激派のAQIMが一時は国土の60%を支配、現在もフランス軍との戦闘が続いている。昨年1月にはマリの北のアルジェリアでAQIMが天然ガス施設を攻撃、日本商社も被害にあったことは記憶に新しい。法による秩序の維持が弱まっている地帯との感じがしている。

ともかくマレーシア航空機の撃墜、台湾でのATR72の墜落に続いての事故だ。世界の航空機運行で安全対策が講じられ続けて事故が減ってきていたのを一気に覆した感があってこぼれ落ちるようなところで事故が続いている。戦争があろうと手に負えない気象状況だろうと事業のためには飛ばしてしまう、これが本日現在の世界の実像なのだろう、受け入れねばならない現実なのだろう。

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2014年8月 3日 (日)

台風と花火大会と

また台風が来る。エルニーニョの始まりが遅れているせいがあるのだろう。
1_v20140801170000 酷暑と雨模様が交互に続いて閉じこもりがちになってしまう、福岡・大濠公園の花火大会が2日前にあってちょうどいいと見に出かけた。台風が近くて台風12号からの南よりの風が吹いて雨が時々ぱらぱらと降りかかるもののまだ大した雨でもない、予定通り決行された。。南風ではこの地は基本的に雨が降りにくい、南の山地に低い雲がさえぎられてしまうようだ。

大濠花火大会は去年も見に行ったが車を停める場所が無くてクルマからの花火見物だった、今年もそんなものだろうと降りて見るのは半ば諦めるような気持ちでクルマで家を出た。気象台の前を通って護国神社の西を抜けてゆっくり走る。時折渋滞するのでその時は落ち着いて見れるがともかく走りながらではみづらい。1周してまた護国神社のところに差し掛かると駐車場が空いているように見える。それっと入ると奇跡的に駐車が出来る、こんなこともあるものだ。まだ半分くらい進行したところだから祭りの雰囲気は十分味わえそうだ。宇都宮にいたときも鬼怒川にかかる橋の近くで行われた花火大会に毎年のように出かけていたが殆ど車に乗ったまま橋の上で渋滞しての見物だった、Hanabi2014 車から降りて花火を見るなどここ10年は経験したことが無い。
人ごみがすごい。整理の警察官が数多く出ている、花火大会では各地で事故が起こっていて警察にとっても気の抜けないイベントなのだろう。お濠端の人の隙間に入り込んで花火を見る。水際から5m位はそれぞれに持ちよった敷物で埋め尽くされている、場所取りに早くからの努力が見える思いだ。 上がる花火は高さが低い、街中の花火なのでそれはどうしようもないことなのだろう。殆ど休みなしに2ヶ所から次々に打ち上がる。鬼怒川の花火はもう少し間があったように思う、なんとなくせわしない、福岡らしいというべきか。
花火は幾つか見ていると似たような印象がしてくるためか2-30分もすると動き始める人が多い。案外動きながら見るという見方もおかしくも無いようだ。人が出て、出店が出て、しゃべりながら、歩きながら、光と音を仰ぎ見る、やわらかい風が流れる、振り返る、その記憶全体が夏らしくて得した気分で、また行きたくなるのだろう。
終了15分前くらいに引き上げる、45万人といわれるこれだけの人数が一斉に帰り始めると歩行者の横断待ちだけで大渋滞が起こる、それに危ない。
ねぶたや竿灯を見に行ったのも今頃だ、いずれも台風や雨がかすっていた、台風も雨も夏の祭りの一部かもしれない、いかにも非日常を演出してくれる、そんな風にも思えてきた。
しかし次の台風ももう直ぐだ。非日常とのんきなことをいっていられぬかも知れぬ、直撃は勘弁して欲しいとまじめに現実と向き合わなければならない、生きていることの縮図のようだ。夏は続く。

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