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2014年8月15日 (金)

101年目のロバートキャパ

101年目のロバートキャパと銘打ったキャパの写真展が九州芸文館で開かれているというので見に行った。矢部川に近い新幹線筑後船小屋駅前というのだが例によってクルマで出Capa かけた。八女市の南にあたる。帰省ラッシュがまだ続いていて道は結構混んでいる。
やっとの思いで辿り着くと面白い建物だ、昨年4月にオープンでまだ出来て日が浅い。隈研吾の作品という、ちょっと華奢だ。栃木では広重美術館が隈研吾だった、このところ人気のようだ。
さてキャパだ。戦場カメラマンの草分けとして認識しているがまとめてみたことは無い。最初がトロツキーの演説姿でネガのべた焼きも一緒に展示されている(トロツキー)。掲げた手が顔にかかっていて肖像写真としては不適だが言葉が飛び出してくるようだ、他にもいろいろあるカットの中でこの一コマを選ばせた感性が面白い、最終的に選んだのは編集者かもしれないがそうさせた元画像を提供できた腕を感じる。
スペイン戦争、イタリア戦線、ノルマンディー、パリ解放、エクソダス、延々と続く。戦争の時代だ。しかし戦場というのにカットが綺麗だ、余計なものが写っていない、綺麗過ぎる。ピントも良くあっていて、クールな視点が感じられQgeibunる。作為が感じられる写真も結構あるが戦争そのものを伝えようとするとある程度必要になることかもしれない と思えてくる。LIFEの表紙となる写真だ、写真としての出来の良さがどうしても求められるのだろう。戦場からは撮影済みフィルムをとにかく送り出し何人もの手を経てそのうちの数枚が誰かによって選ばれ雑誌に載ることになるのだろう、誰もが感じ取れるインパクトを説明なしで一枚一枚にこめるほか無い世界なのだろう。写真はアートの世界だ、美と技 両方の意味でアートの世界だ、そう感じてしまう。
モノクロの写真だからこその映像の切り取る力も感じる。カラーでは余計な情報が多すぎるのではなかろうか。
ズームレンズのデジカメでとにかく撮るという今の自分の撮影の情けなさも思ってしまう。

なかなかいい物を見たとの思いで外に出ると驟雨だ。むっとした湿気が空に満ちて耐え切れず落ちてきている。零れ落ちるような雨、あふれ出すような雨、キャパの印象とどこかオーバーラップしてくる。あふれだすようなアートの世界、かなわぬ望みだろうか。

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