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2014年9月29日 (月)

風師山と旧伊藤伝右衛門邸に戦前の勢いを感じながら

9月がおわろうとしている、9月はなんだか短い、夏が終わったと思っているうちに9月はもう無くなってしまう。
九月のうちにやってしまおうと思っていたことを潰しにかかる。一つは鳥の渡りのポイントとしKazashi て是非訪れてみるべきだと佐世保の烏帽子岳で出会った人に勧められていた風師山に行ってみることだ。ハチクマをはじめとする秋の渡りルートの隘路が関門海峡でありここを見るに最もいい位置にあるのが風師山だ。この金曜日、晴れると思ってはいたが思った以上によく晴れた、こんな日には家に閉じこもっていることはないと出かけた。
門司港駅あたりから山登りの道に入る、急で広くない、離合は道幅のあるところでないとできない。不安な道を上り詰めると展望台のようなところに出て車が10台くらい駐められる、空いているところに停めて後は稜線歩きだ。しばらく行くと左-風師山・直進-展望広場の道標が現れる。もう十分な標高になっているので鷹見であれば展望広場かも知れないと直進する。正解だった。数分の短い登りでピークに到達、鷹の渡りウオッチングをしている人達が見えてくる。3角点はないが、風師山の山頂の標高より2m高い標高と風頭山の名とを記した杭が立っている。双耳峰のもうひとつのピークということらしい。
大型船の行き交う関門海峡を一望に出来、眼下に巌流島をKazasi3 望む。素晴らしくも眺めのいいところだ。鷹見のポイントとしては申し分ない、鷹が来なくても景色を眺めているだけで楽しい。時々ハチクマが現れる、あれっハチクマと違うと思う時は「チゴ!」との声が飛ぶ、ピンと尖った翼を伸ばしたチゴハヤブサも登場する。のんびり鷹を見るペースが丁度いい。登山家槙有恒もマナスルに初登頂した翌年にここを訪れたとの碑が建っている、アイガーの麓で見た槙が寄贈した山小屋を思い起こしたりもする、アイガー北東山稜は槙の初登頂だ。カナディアンロッキーのマウントアルバータも槙らが初登頂したとある、カナディアンロッキーを訪れた時この山は見えなかったが勢いのある人だと思ってしまう。戦前の勢いがどこか伝わる。目の前の景色と幾つかの時の流れが交錯していい感じだ。

もういいか、という頃合で辞してもう一つの九月中に回っておきたい所へ向かう。飯塚の旧伊藤伝右衛門邸だ、9月中というのは勿論「花子とアン」が終わる前にということだが、この8月末に訪れたものの定休日で残念な思いをしたリベンジを片付けてしまいたいという気持ちもあっItouden3 た。「花子とアン」の嘉納伝助のモデルが伊藤伝右衛門だ。
八幡インターで九州自動車道をおりて無料の高速道路のような国道200号線を南下すると程なく到着する。筑豊振興を目指したインフラ整備のこれもその一つだろうか、道はいい。
ウイークデイというのに入場者がひっきりなしで団体も次々に現れる。明治44年の白蓮との婚姻を機に整備された豪邸で庭は国の名勝にも指定されている。建物は大きく立派だがそれ程凝ったものでもないし庭もよく造られているが感動を与えるほどでもない。東京から遠く離れ今でも街外れのようなところItouden2 にあるこの屋敷に白蓮が次第に耐え切れなくなったのもどこか解る気がする。
伊藤家は伝右衛門一代にして財を成したが伝右衛門の死後、石炭産業の凋落とともに勢いを失っていった。
結局は繁栄の残滓を眺めているだけだが物語がこの屋敷を巡って幾つも繰り広げられていったと思うと村岡花子のいう想像の翼が拡がっていくようで面白い。

9月はこうして10月へと転んでいく。一月一月まとめきれないような意味を抱えて過ぎ去っていく時が惜しい様でもあり楽しItouden くもある。ともかくこんな好天が続く九月も珍しい。

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2014年9月23日 (火)

タカの渡りが今年は早い

今年のタカの渡りは少し早いような気がしている。
Akahara2    対馬のアカハラダカの渡りデータを見ると去年より1週間くらい早いようだ。

ハチクマの福岡・油山の渡りデータもそのような傾向がありそうだと調べてみる。
今年のここまでの渡り数の傾向は立ち上がりがかなり早いことに特徴がある。ピークはそれほど早いということもない。一体タカの渡りを支配しているのはなんなのか考える。

Hachikumaw2 紅葉の見頃については推算式があり9月の平均気温に依存するという式が関東地方に当てはめられていて結構いい推算となっている。それを思えばタカの渡りタイミングは単純に8月の平均気温に依存しているのではないかと思ってしまう。渡り開始地として長野地方で代表させてもいいかも知れないと思って見始める。山地のデータがいいのだが気象庁のサイトにある長期間の月別平均気温は限られた都市しかデータがなく長野市でみてみるほかない。都市化の影響も含まれていそうだがしょうがない。

この3-4年の傾向は平均気温が下がる方向でこれと渡りピークの日がHachikumakion 早くなっている傾向は大体は合う。3.11の影響ももしかしたらどこかに潜んでいるのかもしれない、なにしろ福島あたりはハチクマが多数繁殖行動を行っている所だ、福岡を通過するハチクマも福島のものが多数いるに違いない。

ハチクマの渡りを支配するものもう一つは風かもしれないと思う。秋の渡りは五島列島から直接中国へ向かうルートで海上700kmを一気に飛ぶ。飛行には安定した東風が極めて望ましい。この時期東風は秋霖前線の北側で安定して吹くことになるがこの前線が丁度五島列島の南のいい位置に来る日取りを見計らって渡りを開14092108 始するのではないかと考えてみる、いかにもありそうだ。 前線の位置は気温で推し量ることができる。長野辺りの気温が急に下がり始めるころあいを見計らって出発すれば五島付近に着く頃には丁度いい位置に前線が引っかかりだすのかもしれない。今年であれば長野は9月7日に気温がすっと下がって北風が吹き込み始めている、去年は9月16日だ。4-5日遅れで福岡まで到達しているとするとおよそ符合する。この辺りが第1波の引き金なのだろう。

今年の五島からの渡りをみると21日が今のところ最多でこの時五島上空では1000mくらいまでが東風でやや低いが安定している。高度を上げすぎると定常的に吹く西風にひっかかる。1500mくらいが上限かもしれない。5-7mの風だから700kmを1日で飛びきることから逆算すると対気速度は12mくらいで飛行していると思われる。まあHachikuma140916 いい速度だ。この時期東シナ海の海水温は26度以上あって暖かい、海上の雲の吸い上げなども利用するのだろう。2013年で最大渡り数となった9月24日は福江ではほぼ北風だった。この日は台風が小笠原付近にあって東シナ海は安定した北東風になっている、これを読んで出たのかもしれない。悪くない判断だ。

アカハラダカは今年こそ見ようと9月12日に長崎・佐世保の烏帽子岳で出かけてみたが空振りだった、ここはタイミングが難しい。やはり対馬・内山峠まで行かないといけないのか。ハチクマは今年も近所の油山にちょくちょく出かけては見ていた、これは容易に楽しめる、低く飛んでくるのも時にはいて写真もまあ撮れる(添付)。しかし何となく鷹のほうも気楽で渡りの必死さがもう一つ伝わってこないような気もする、贅沢かもしれないが。

五島の大瀬でハチクマが海原に向けて決意を固めて出ていく姿を見てみたい。来年は忘れずに五島に渡ろう。それにしても秋は忙しい。先はまだまだ長いような気がしていて、のんびりとこの忙しさを味わっていくのもいい。

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2014年9月19日 (金)

リツ子その愛・リツ子その死

壇一雄のリツ子その愛・リツ子その死を暫く寝がけにに読んでいて1週間ほど前に読み終わった。
殆ど日記だ。佐藤春夫、芳賀檀との会話や太宰治等も実名で出てくる、勿論妻のリツ子、長男の太郎もそのままだ。その死ではその愛に書かれたことの細かいところに事実とは少し違っていたと訂正まで入れている。恐れ入る。
福岡の松崎の家に暫く居たようだが松崎とはどこだろうと調べると福岡県小郡市のことだった、久留米のすぐ北に位置する。
Kamome1 松崎から唐泊の小田というところに転居してここでリツ子は亡くなるのだが、確かに今も小田という地名を今津の北の地図に拾うことができる。無性に生々しい。
舞台となった2階屋はもうとうに取り壊されて跡形も無いらしい。ネットを手繰っていくとこの2階屋のおばさんの親戚という方の文まで出てくる。(東洋医学史研究家宇田明男氏の義父の叔母がこのおばさんという)。事実で埋められている小説だ。
壇一雄はリツ子その愛その死でその名をゆるぎないものとしたように思っているが、それが日記としか言いようがない文だった、作家とは恐ろしい稼業だ。生身を削らねば感動を与えられないのだろうか。

遺作となった「火宅の人」も実際の話に沿っているという心象が話に迫力を与えているように思う。
檀一雄という人の生涯そのものが作品のように思えてくる。

夜が長くなってくると小説でも読むかとの気分になる。人は季節の移ろいに絡み取られているような心地がして自然に身を任せるのがいいような気がしている。

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2014年9月15日 (月)

”ふるさと”が響く

中学の同窓会の後の2次会も9時過ぎには辞して中州から天神に向かってぶらりと歩いた。中Hinoteru 州ジャズフェステバルの2日目であちこちに野外ステージが立ちいい雰囲気だ。
人が多い。橋を一つ渡った公会堂のところが特ににぎわっているので舞台を見ると日野皓正だ、始まったばかりのようで何か喋っている。
隙間を見つけて立ち止まって見る。生で見るのは随分久し振りだ、学生の頃新宿のジャズ喫茶で見て以来だろうか、本当に長く頑張っている。NeverForget311という曲を始める。吹きっぷりは昔と大体同じだが無論昔の若さの輝きは無い。その代わりヴォーカルもやるし太鼓も叩くし勿論ラッパも吹く、楽しんでいる。だんだん乗ってきているのがわかる、いつ終わるとも知れず延々と続く、ゲストに呼ばれて舞台に立った女性プロボクサー世界チャンピオン(福岡の人です)もそれなりにマラカスを鳴らしたり手を打ったりして参加している。アンサンブルに戻ってやっと曲が終わる。もっと聞いていたいがあまり遅くなるのも明日が困る、また歩き始める。
そこへ日野皓正の”ふるさと”が響く、ビルの壁に反射しながら歩いても歩いてもすぐそこで演奏しているようによく響く、心にも響く、確かにここはふるさとだ、心安らぐふるさとだ。戻ってこれて良かった、いい街だ。

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2014年9月12日 (金)

滝川スカイパークが頭から消えてくれない

今月始めに北海道を旅したとき富良野から滝川周りで札幌へ向かった。占冠経由で高速を巡ろうかと当初考えていたのだが富良野が思ったよりも単調で富良野の延長を見てもしょうがないかと思ったこともある。それより滝川のグライダーポートをこの際一度見ておくのが魅力的に思えたのが大きい。最初の日に千歳から旭川に向かう高速道の途中で通過した滝川市の看板にグライダーがあしらってあって そうだ滝川といえばグライダーだと心に響くものを感じていた。
前の晩に泊まった富良野の宿でネットで少し調べてみると体験搭乗を受け付けるという記載に行き当たる、この際運がよければ飛べるかも知れないとの期待もある、何しろ最後にグライダーで空を飛んだのは身内の結婚式でハワイに行った時だ、その夫婦にも子供が2人生まれた、ずいぶん時が経っている。
Takikawa1
滝川スカイパークをナビに入れると滝川の鉄道の駅のそばで街の真ん中と出る、これはいい場所にある。富良野から滝川への道は北海道らしい走りやすい道で程なく到着する。

石狩川の河川敷に滑走路があって複座機が1機滑走路へ運び出そうと格納庫の外に出ている。立派なクラブハウスがあるがドアにクローズとの札がかかっている。仕方なく他の入口を探して回るとスカイミュージアム入口というのがありご自由にお入りくださいとある。入ると格納庫そのものだ。16-7機の機体がひしTakikawa2 めいている。歴史的な数機を除いてプラスチックグライダーばかりで多くがかなり新しい。殆どが単座機だ。夢のような環境だ。しばし見とれる。格納庫は2階建てだが土手の地形を利用して2階からも直接機体をそのまま出せるようになっている。1階には5-6機格納してありまだまだ格納庫の余裕はある。

ミュージアム側からクラブハウスに入れると解りそこにいる人に体験搭乗希望と声をかけてみるが今日は休みの日でできない、とあっさり断られる。パンフレットをよく見てみると水曜定休日となっており仕方がないようだ、しかし運が悪い。
Takikawa3 土手の上から滑走路の全体を眺めてみる。飛行機曳航用の800mの滑走路が1本とショルダーの芝地に1200mの長さをとってウインチ発行用のストリップが2本用意されている。草も綺麗に刈られて美しい滑空場だ。本当に夢のような場所だ。
立ち去り難くしばらく眺めていると黒い背広姿の3人が車で到着し、それと合わせるように曳航機がタワーの下にある別の格納庫から車にひかれて出てくる、複座のグライダーも滑走路端にセットされる。どうやら背広組のゲストフライトが行われるようだ。
Takikawa5 これだけの施設を市が運営していくには多くの人の理解と支えが必要なのだろう、その活動の一環なのだろう。これでは定休日にふらりときた観光客は断られるのが当然だ。
曳航機が一度単機でテスト飛行したあとグライダーを曳航して離陸する。それにしてもいい日だ、空には心地よさげな積雲が浮き風は穏やかでいかにもフライト日和だ。こんなことなら火曜日にここを訪れるようスケジュールを組むべきだったと悔やまれる。
グライダーが飛びたくてこの地に居を構える人が少なからずいるに違いない、またここに来れるだろうか、後髪を引かれる思いでスカイパークを去る。格納されたキラ星のような高性能単座機の群れが頭からなかなか消えてくれない。

歳を経てまた昔やっていたことに回帰したくなる、もう無理だと思っていたことにもまた火をつけたくなる。そういうものだろうか。九州の地で何とかまた飛んでみたい、そんな風に思い始めている。

旅すると思いがけないことに遭遇する、それがよくて動き回るのを止められないのだろう。旅は続く。

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2014年9月 6日 (土)

9月はじめの北海道を巡る

久し振りの北海道に旅した、疲れを覚えている。旭岳の他は富良野や札幌、小樽の観光地と呼ばれるところを巡った、ひたすら観光の旅はもうきつい気がしている。

Asahidk2 大雪山旭岳で日本で一番早いといわれる紅葉を眺めた。標高1600m辺りでは地べたに這うチングルマが赤く色を染めている。クロウスゴも紅葉してブルーベリーとそっくりな実をつけている。草紅葉もいい。天気は予定通りの晴れだ。
Asahidk ヒグマは7月に西側の散策路で度々見られていたようだが大雪山旭岳のロープーウエーで上がった姿見コースには全く無いときいて安心して歩いた。確かにヒグマが出るような雰囲気ではない。人が多くて避けているのだろうか。

北海道へ旅行しようと思い立ってヒグマ出没が気になっていた。旅行に出るChingurum ひと月ほど前、吉村昭の「羆嵐」を読んでクマの恐ろしさが身に染み渡っていたのかもしれない、大正時代に苫前の集落が大きな1頭のヒグマの襲撃にあい7人が食い殺された実話だ。冬になっても体が大きすぎて冬眠の穴が見つ からず暴れグマとなったという。
札幌の野鳥の会のサイトではヒグマ出没のため9月の西岡水源池観察会が中止となったとのお知らせが目に入る。札幌市内でこのところ結構ヒグマが出没しているようだ。そう思って旭岳山麓の旭岳温泉の宿でテレビを見ていると釧路Kurousug 空港敷地内でヒグマが出た、フェンスを破って外へ出たとのニュースが流れている、しばらく空港敷地内にいたようだ。宿でも7月下旬に旭岳山麓で熊が目撃されたとの注意書きの説明を受ける、宿周辺では勿論安全ですとも。翌日旭岳ロープーウエーを上がったところに熊出没情報が出ている、これを見るとロープーウエーを上った中腹では7月に目撃されているものの8月以降は目撃がないとなっている、要するに冬に備えてヒグマは餌を求めて山を降りているとみえる。
低い高度では秋から冬にかけてがどうにもクマは危ない時期のようだ。出会った時の対策というとカラシスプレーで戦うしかない。数年前に訪れたカナディアンロッキーではガイドはいつもクマとカラシスプレーで戦う態勢にあった。鈴をつけるのはむしろ熊が寄ってくるので外すようにとも言われた。国内のクマ対策ページでも人を襲うクマは鈴の音を聞くとむしろエサが来たと寄ってくる可能性があると警告している。火を燃やしても防御効果がないとされておりカラシスプレー以外の対処は事実上ないといってもいいようだ。北海道の山野は怖いところがある。

ともかく熊は大丈夫とAsahi3いわれたコースなら久し振りの北海道のフィールド歩きは楽しい。

ミヤマリンドウ他花や紅葉がよくてそれに天気もよく遠くトムラウシも望めて十分満足した心地になる。

期待していたホシガラスやギンザンマシコは全くかすりもしない。夏鳥が静かになり秋の渡りが始まる前のこの時期はどこへ行っても鳥は少ない、が、そんなものなのだろう、鳥を見るなら時期をきっちり見定めて計画すべきなのだろう。

九州に住み着くと北の雰囲気に時々浸りたくなる。九州はどこへ行っても歴史的な手垢に染まっている気がしている、人の手人の考えが染み渡っていると感じさせる。
次はいつ北海道にいけるだろうか、またマイルが貯まったら考えることにしよう。今度はもう少し日を選ぼう、なんともなくそう思っている。次の旅に思いが走る感触も生き続けている実感があっていい。

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