リツ子その愛・リツ子その死
壇一雄のリツ子その愛・リツ子その死を暫く寝がけにに読んでいて1週間ほど前に読み終わった。
殆ど日記だ。佐藤春夫、芳賀檀との会話や太宰治等も実名で出てくる、勿論妻のリツ子、長男の太郎もそのままだ。その死ではその愛に書かれたことの細かいところに事実とは少し違っていたと訂正まで入れている。恐れ入る。
福岡の松崎の家に暫く居たようだが松崎とはどこだろうと調べると福岡県小郡市のことだった、久留米のすぐ北に位置する。
松崎から唐泊の小田というところに転居してここでリツ子は亡くなるのだが、確かに今も小田という地名を今津の北の地図に拾うことができる。無性に生々しい。
舞台となった2階屋はもうとうに取り壊されて跡形も無いらしい。ネットを手繰っていくとこの2階屋のおばさんの親戚という方の文まで出てくる。(東洋医学史研究家宇田明男氏の義父の叔母がこのおばさんという)。事実で埋められている小説だ。
壇一雄はリツ子その愛その死でその名をゆるぎないものとしたように思っているが、それが日記としか言いようがない文だった、作家とは恐ろしい稼業だ。生身を削らねば感動を与えられないのだろうか。
遺作となった「火宅の人」も実際の話に沿っているという心象が話に迫力を与えているように思う。
檀一雄という人の生涯そのものが作品のように思えてくる。
夜が長くなってくると小説でも読むかとの気分になる。人は季節の移ろいに絡み取られているような心地がして自然に身を任せるのがいいような気がしている。
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