エラ・フィッツジェラルドのAt The Opera Houseを聴いていたら
最近足を痛めて出かけることもままならず、音楽を聴いたりギターをつまびいたりして過ごしている。
聴くといってもCDを買うことは殆どなくてもっぱら図書館から借りてきたのを聞いていて、JAZZとクラッシックを1枚ずつそれにオペラのDVDを借りてきて2週間楽しむというのがルーチンになっている。
昔Jazzを聴き始めた頃渡辺通り3丁目にあったRKBの公開スタジオで無料のレコードコンサートが月1回位開かれていてた、近いこともあってそれをしばしば聴きに行っていた。もっとも衝撃的だったのはコルトレーンのマイフェバリットシングスがホールに響いた時だった。 ソプラノサックスの音色が新鮮で音の組み合わせの全てが新しく感じた。もはや50数年前の話だ。随分時が流れた。
この1週間ほどエラ・フィッツジェラルドのAt The Opera House を借りてきて聴いている、いわゆる名盤だがCDの解説を読んでみて少々驚いた。
At The Opera House はノーマングランツがプロデュースしたJATPツアーの一つなのはいいのだがAt The Opera Houseと銘打って最初に出されたモノラル盤はChicago Opera Houseではなく Los AngelesのShrine Auditoriumで録音されたものでその後に出されたstereo盤がChicago Opera Houseの録音とある。幾つかのサイトで調べてみてもこれは今や疑いようのない事実のようだ。
ところがCDに付いていたノーマングランツが最初のモノラル盤につけたライナーノートのコピーにはChicago Opera Houseの録音と書かれているからなんだかおかしい。CDには両方が収められている。殆ど同じ曲を歌っていて聴き比べるとモノラルで最初に出した曲の方が勢いがあって歯切れがよくていい。レコードのリリースはいずれも1958年でstereoがまだ珍しい頃ではあった、monoでまず出したあとstereoのほうが市場にインパクトがあるのでstereo録音したほうを慌てて出したのだろうか。音楽的にいい録音をまず出すのは当然のことでそうしたのだろうか、ノーマングランツは思い違いで最初のライナートーツを書いたのだろうか、その時に錯誤したのだろうか、それとも知りながらだったのだろうか。今となっては解らない、雨月物語ではないが事実とはこんなものなのだろう。それにしてもアバウト
な時代を感じる。
この演奏が行われたのは1957年秋でこの丁度3年後にはコルトレーンのマイフェバリットシングスが録音された、そんなに畳み込むように時代が進んでいたのかと驚く。JATPという響きには占領米軍のJAZZとの印象が重なっている。一時期の廃盤セールで駐留米軍から放出されたと思われる傷だらけの10インチのJATPレコードが大量に安値で売られていた記憶が強い。チャーリーパーカーの演奏している1枚だけをお小遣いで買ったのが手元に残っている。あのいかにも”戦後”の泥臭さのあるJATPのジャムセッションから瞬く間にモダーンなモード進行のジャズに移ってしまった。振り返ってみると不思議な気さえする。このあたりから時代が大きく変わってきた、そんな感じがしてくる。
コルトレーンはその後前へ前へと突き進み 聞くものとの距離を感じさせるアヴァンギャルドな演奏にのめり込み そしてそのまま亡くなって一つの時代が終わった。亡くなる前年に日本公演を行ったが、神戸でその演奏に直に接した時の距離感というか隔絶感を今も明瞭に覚えている。(写真はwikipediaより)。
JAZZを聴いていると取り留めもなく昔のことが湧いてくるように思い出される。自分の生きた時の流れにJAZZが深く絡んでいたようにも感じる。聴けば心が楽になる。
痛めた足はにわかには回復しないようだ。こんな風に時が過ごせるのもそれはそれで悪くもない。
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