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2014年10月29日 (水)

柳川に遊ぶ

晩秋らしく晴れて乾いた陽気が日々を支配している。3日前の朝、シロハラが自宅の玄関先で死んでいた、渡ってきたところで勝手がわからず軒先にでも激突したのだろうか、チェーホフのカモメを思い出す。何かを象徴的に表しているような気がしてくる。ノゴマが公園に現れたとの報すらあり鳥の動きも日を増して忙しくなる。
人も動きたくなるようにできているのかどこかと柳川の地へでも訪れてみたくなった。
柳川は幼い時に父に連れられて何度か訪れたことがある、その遠い記憶がどこかに刻み込まれているのだろうか。もう55年位前のことになる。
Yanagw1 お花という料亭のような所に行って仕切られた間で食事をする、それだけのことであったが随分と混んでいたようにも覚えている。
お花とは何であったのか、柳川とはどんな所であったのか、川下りがよく知られているようでこれもどんなものか、空いている平日に行けばのんびり出来るかもしれないとの気分もあった。
お花に川下りとウナギせいろ蒸しの予約をして出かける。お花とは柳川藩城主であった立花氏の別邸で明治時代の建物だ、明治には伯爵の地位にあって庭は国指定名勝となっている。この前筑豊で見た石炭王伊藤伝右衛門邸と比較してしまうがどうみてもこちらの方が立派に見える。伊藤伝右衛門はそれなりに優れた人物であったようだがやはり成金の影は消しがたいようにも思える。Tachibanake 戦前の世界、江戸時代の殿様がまだ幅を効かせていた時代のことを思ってしまう。

今という時代はどうなのだろうか、成金だらけになってしまったのだろうか。解り難い時代だ。ジャパニーズドリームの輪郭すら今やぼやけきっているようにも見える。
金があればそれでいいという訳でもない、権力があればそれでいいというわけでもない、価値観の多様化それが当然の時代になっている。最近亡くなった赤瀬川原平のような生き方がうらやましく見えてしまうそんな時代になっている。犯罪者でもない限りどのような人の生き方もネガティブに評することは出来ない時代になっているようにも思える。どこに流れ着くのだろうか、この時代は。
そんなことを考えて立花氏の資料館を見ていたら、江戸初期に当時の当主立花宗茂は東北の棚倉から移封されたとの説明が目に入る。棚倉といえば福島県だ、いわきと白河の中間くらいにある、そんな所と繋がっていたとはとやや驚いた。戻ってネットでもう少し調べていく。
立花宗茂はもともとは柳川の地にいた小大名であった。戰に長けており秀吉から西の立花Tachibn 宗茂か東の本多忠勝かといわれたという。更には本多忠勝よりもはるかに優れたこの国随一の武将とも言われたようだ(図はwikipediaより)。秀吉の評価が高く恩義になったこともあり関が原では西軍に組したため一時浪人となっていたが家康に認められ棚倉の地に3万石の大名として遇された。その後大阪冬の陣夏の陣で幕府側の参謀役として戦いその功績もあって旧領の柳川藩に移封された。戦国の世で誰もが認める実力の人だったようだ。そういう歴史を柳川という地は抱いていたのかと思う。
このような形で戦国の世は地方が流動し知恵が全国に広まって行ったのかと思いを致す。確かに奥州上杉藩を立て直したのは九州の小藩高鍋秋月藩藩主の次男松三郎―後の上杉鷹山であった、東北と九州の距離は今思うほど遠くは無かったようだ、実力の世には人の流動を時代が求めるのだろう。

Yanagw2 堀を巡る船遊びもベニスには比すべくも無いが船頭の歌がそれらしく、名物のウナギのせいろ蒸しも美味で、庭を見たり白秋の生家を巡ったり、面白くも疲れた。干潟もあるはずと有明海に向かうが柳川の南は堤防で囲まれて廃棄物処理場があるばかり、干潟を眺めることはかなわない。人の手があまねく入っている九州の自然をここでも感じる。そういうところなのだこの地は。

秋の日は麗らかに過ぎてまた少し解ったことが増えた。柳川というところは人の魅力だったようだ。たゆたう時間が面白い。九州は奥が深い。

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2014年10月20日 (月)

足に肉離れが起こって

9月末に水泳をしていて痛めた足がまだ治りきらない、もう3週間になる。

いつものようにプールで最後の25mを全力で平泳ぎしている最中に膝近くの腱のどこかが切れたように右足が動かせなくなった。なんとか左足だけの平泳ぎでプールの縁まで辿り着いて水から上がりクルマで家に戻るがアクセルを踏むのも痛い。
自宅でエアサロンパスや湿布を試みたが右足は殆ど動かせない状態は続く。歩くのもままならずとてもクルマの運転はできない有様となって 翌朝近くの整形外科に家人にクルマで運んでもらう。情けない姿だ。
肉離れのようなものだとの診断で湿布と痛み止めをくれて3週間くらいは治るのにかかる、とある。自然治癒に頼るほか無いようだ。
医者ではくれないのでキネシオテープをネットで買ってテーピングも施してみているがこれがなかなかいい。

暫くは家の中で過ごすしかないと飲み会の予定や予報士会の会合出席を次々にキャンセルする。山歩きやヨットなどはここ当分出来そうにない。
退屈なので伸びきった松の剪定をしたり久し振りにギターを取り出して弾いたりしているとこれもやり過ぎになったのか右手が少しおかしくなってしまう、歳を取るとはこういうことかと今更ながら思わせられる。

10月の一つ目の台風が過ぎて短い散歩くらいなら動けるようになったこともありすぐ近くの中公園まで出かけてみる、最近またカワセミが現れるようになっていた。
ゆっくり林の中を歩いているとジョウビタキのようだがジョウビタキより大分綺麗な小鳥がひらひらと現れる。ムギマキのようだ、台風がもたらしてくれたのだろうか。この間強い西風の吹いた日にはカササギが2羽散歩コースに現れた、ここらでは初めてだ。強い風が吹いたあとの鳥は面白い。
そのうちカワセミも姿を見せる。どうもこの池の近くの斜面にでもネグラがあるようだ、夕方のほうがよく見かける。

10日くらい経ってクルマの運転も短い距離なら出来そうになってきて切符を買ってあったオペラ“ポッペーアの戴冠”をクルマで観にいく。恐る恐るだが少しずつ行動半径が広まるのがうれしい。
Daisyakusg 2日前は今津に鳥を見に行った。ダイシャクシギを見たりアオアシシギの声や姿を楽しんだりだいぶ動けるようになってきた、しかし山歩きはまだまだ無理な感触だ。今年の紅葉見物は耶馬溪のあたりを歩き回ってみたかったが近場の庭園くらいが関の山のようだ、残念だ。

もうずいぶん前から起こったことは何でも全て受け入れることにしている。足の肉離れも時間がゆっくり過ぎるようになって見えなかったものがほんの少し見えるようになったようにも思う、それはそれでいいこともなくはない。人間は緩急緩を繰り返すように仕向けられているのではないか、そうも思える、受け入れるべきことなのだろう。

朝は冷え込みが気になるようになり秋は深まりを見せている。この秋は思索の秋となりそうだ

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2014年10月15日 (水)

闇に入り込む月

闇に入り込む月

月はボールのようなその真の姿を
中空の朧な闇の中に
疑いようもなく晒してくる

宇宙を旅する地球という宇宙船を
その時我らは明瞭に感じることになる

薄い空気層の外の
永遠に向けてただただ広がる宇宙の只中に
確かに我らは浮かんでいるのだ

三千世界に本当に仏がいればどんなにか楽しかろう
50億のほか見渡す限りの宇宙には孤独が満ちている

それを見せてくれる
闇に入り込む月が美しい

Gessyoku

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2014年10月13日 (月)

ポッペーアの戴冠を観る

つい最近ポッペーアの戴冠というモンテベルディのオペラを観にいった。オペラは福岡でも年に数回本格的公演が催されるが大掛かりなこともあって大体がかなり高いし、今月末のアイーダでは東京公演の注目の主役が福岡へは来なかったりしてどうにも足を運ぶ気になれないでいた。Poppea このポッペーアの戴冠はコンサート形式のバロックオペラでこじんまりとしているが本格的というのが気に入った。演奏はラ・ヴェネクシアーナというイタリアで古典を専門とするチームで日本公演は福岡から始まるというのも何だかいい感じがして出かけた。コンサート形式だから舞台装置は全く無いものの衣装くらいはそれらしくするのかと思っていたが、実際に始まってみると歌い手には普段着のような服の人もいてテレビやDVDで観るオペラとはかなり雰囲気が違っている。勿論日本語訳のせりふは舞台両脇の大きな電光掲示板に表示されていて歌を聴きながらストーリーを追いかけていくことに支障は無い。
作者のモンテヴェルディは近代オペラを始めた人といわれ、18曲のオペラを書いたらしいが現在残っているものは3曲でそのうち最後に書いたこのポッペーアの戴冠が最高傑作とされる。
暴君ネローネ(つまり皇帝ネロ)が部下の将軍オットーネの美人妻ポッペーアと不倫し皇后オクタウィアを追放その後釜とする話だ、史実に基づいているらしい。
20分の休憩を挟んで正味2時間20分の間ひたすら演奏と歌が続く。ネローネ役は女性のメゾソプラノだ。他の演奏をyoutubeで見てもネローネは男性ではカウンターテナーが演じるようだからとにかく高い歌声を要求していて女性でもパートとしておかしくないのだが芝居としてはなんだか変だ。その代わりといっては何だが乳母役は男性のテノールが当てられる。男と女の役が逆でも劇の進行でその様なものだと思いこめば次第に慣れてはまりこんでくる。ポッペアとネローネの2重唱では女性2重唱となってきらきらと美しく響き、バロックオペラはこうでなくちゃと思わせるから不思議だ。モンテヴェルディはシェイクスピアの時代と重なる。その時代であればこんなこともおかしくはないのかもしれない。歌舞伎の女形とはまた違う世界だ。チェンバロの乾いた音に合うのは高い女性パートのようにも感じられる。
ともかくプッチーニやヴェルディのオペラとは全く異なるが歌を歌として聴きやすく話の展開も面白くて次第に引き込まれていく。台詞回しのレチタティーヴォのようなところは殆どなくて歌の連続に聞こえ、その波打つような寄せては返す歌のリズムが心地よい。
いい気分でコンサートは終わったが次の日13日は兵庫県西宮市の公演の予定となっている、台風19号の影響はどうなるのだろうか、うまく移動できるだろうか、中止ということもありうるのだろうか、ちょっとスリリングだ。ひらりひらりとかわしていくのかもしれない、ツアーそのもののそこにあるドラマも含めて、内容といい演じ方といい全体がすこぶる今日的な気がしてくる。

台風が過ぎて秋が深まっている、時々こんなコンサートに出会うのもいい。

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2014年10月 3日 (金)

エラ・フィッツジェラルドのAt The Opera Houseを聴いていたら

最近足を痛めて出かけることもままならず、音楽を聴いたりギターをつまびいたりして過ごしている。
聴くといってもCDを買うことは殆どなくてもっぱら図書館から借りてきたのを聞いていて、JAZZとクラッシックを1枚ずつそれにオペラのDVDを借りてきて2週間楽しむというのがルーチンになっている。

昔Jazzを聴き始めた頃渡辺通り3丁目にあったRKBの公開スタジオで無料のレコードコンサートが月1回位開かれていてた、近いこともあってそれをしばしば聴きに行っていた。もっとも衝撃的だったのはコルトレーンのマイフェバリットシングスがホールに響いた時だった。 ソプラノサックスの音色が新鮮で音の組み合わせの全てが新しく感じた。もはや50数年前の話だ。随分時が流れた。
この1週間ほどエラ・フィッツジェラルドのAt The Opera House を借りてきて聴いている、いわゆる名盤だがCDの解説を読んでみて少々驚いた。

At The Opera House はノーマングランツがプロデュースしたJATPツアーの一つなのはいいのだがAt The Opera  Houseと銘打って最初に出されたモノラル盤はChicago Opera Houseではなく Los AngelesのShrine Auditoriumで録音されたものでその後に出されたstereo盤がChicago Opera EllaHouseの録音とある。幾つかのサイトで調べてみてもこれは今や疑いようのない事実のようだ。

ところがCDに付いていたノーマングランツが最初のモノラル盤につけたライナーノートのコピーにはChicago Opera Houseの録音と書かれているからなんだかおかしい。CDには両方が収められている。殆ど同じ曲を歌っていて聴き比べるとモノラルで最初に出した曲の方が勢いがあって歯切れがよくていい。レコードのリリースはいずれも1958年でstereoがまだ珍しい頃ではあった、monoでまず出したあとstereoのほうが市場にインパクトがあるのでstereo録音したほうを慌てて出したのだろうか。音楽的にいい録音をまず出すのは当然のことでそうしたのだろうか、ノーマングランツは思い違いで最初のライナートーツを書いたのだろうか、その時に錯誤したのだろうか、それとも知りながらだったのだろうか。今となっては解らない、雨月物語ではないが事実とはこんなものなのだろう。それにしてもアバウト な時代を感じる。
Coltrane1 この演奏が行われたのは1957年秋でこの丁度3年後にはコルトレーンのマイフェバリットシングスが録音された、そんなに畳み込むように時代が進んでいたのかと驚く。JATPという響きには占領米軍のJAZZとの印象が重なっている。一時期の廃盤セールで駐留米軍から放出されたと思われる傷だらけの10インチのJATPレコードが大量に安値で売られていた記憶が強い。チャーリーパーカーの演奏している1枚だけをお小遣いで買ったのが手元に残っている。あのいかにも”戦後”の泥臭さのあるJATPのジャムセッションから瞬く間にモダーンなモード進行のジャズに移ってしまった。振り返ってみると不思議な気さえする。このあたりから時代が大きく変わってきた、そんな感じがしてくる。

コルトレーンはその後前へ前へと突き進み 聞くものとの距離を感じさせるアヴァンギャルドな演奏にのめり込み そしてそのまま亡くなって一つの時代が終わった。亡くなる前年に日本公演を行ったが、神戸でその演奏に直に接した時の距離感というか隔絶感を今も明瞭に覚えている。(写真はwikipediaより)。

JAZZを聴いていると取り留めもなく昔のことが湧いてくるように思い出される。自分の生きた時の流れにJAZZが深く絡んでいたようにも感じる。聴けば心が楽になる。

痛めた足はにわかには回復しないようだ。こんな風に時が過ごせるのもそれはそれで悪くもない。

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