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2014年12月31日 (水)

Indonesia-AirAsia 8501便の事故

また巡航中の事故だ。今年は比較的珍しい巡航中の旅客機の墜落事故が4件も発生した。Indonesia-AirAsiaはマレーシアの格安航空エアアジアの子会社だから今年の4件中3件の巡航中 墜落事故がマレーシアに本拠を置く航空会社の機体の事故ということになる。奇妙な巡り会わせだ。急成長しているだけに運航の仕方にどこかリスクを背負い易いのかもしれない。 前の2つマレーシア航空の事故がパイロットによる意図的と思われる墜落と地対空ミサイルによる撃墜という特異な事故だったのに対し今度は気象条件の絡んだいわば普通の事故のようだ。

今回の事故機となったエアバスA320-200は4年前に新製機としてエアバスからエアアジMap11 アに引き渡された機体でまだ新しくこの11月に定期メンテナンスが終わったばかりだった。整備不良等による機体のトラブルの可能性は低いように思われる。
パイロットはチーフは空軍出身の2万時間のベテランだがコパイはフランス国籍の2300時間の42才パイロットで技術者からパイロットに転じた人らしい。巡航に入った後操縦するのはコパイである可能性が高いためこのコパイの判断がどうであったかが一つのキーであるような気2723 がする。
機体は現地時間12月28日午前5時35分(22:35 UTC/2014/12/27)にジャワ島のSurabaya-Juanda Airportを離陸しシンガポールの Singapore-Changi International Airport に向かっていた(コース図はBBCより転載)。現地時間5時54分に巡航高度32000ftに達している。現地時間6時12分に雲を避けるために左への変針と38000ftへの上昇を管制に求めたが多数の機体が空域にあるため却下され管制は34000ftへの上昇をリコメンドしたらしい。その直後の6時18分に管制のスクリーンで機体が認識できなくなっている。

気象条件はコース上に雲頂が50000ft位の活発な積乱雲が多数あって(2番目の図、気象庁のTSAS図を転載)、また同じ空域には確かに8機の機体があったが事故機の高度はこのグループの最低の高度を飛行していた(3番目の図、reuter-straitstimesより転載)。
38000ftには後続の機体が迫っておりこの高度までの上昇が認められる状況ではなかったことは間違いないようだ。上空の風は熱帯ではジェット気流のような強い風の流れは無く積乱雲の誘起する風が吹いていたと推測される。
GSMの計算ではこの付近は38000ft以上なら上Jikokuuiki 昇気流は比較的穏やかになると予想されるので38000ftまでの上昇をリクエストしたこ とも妥当のように見える。
拒絶されて止む無く機体は活発な積乱雲に近づいたが何故かこの時速度を落とした状態で雲に突っ込み失速・スピンに入って墜落したと予想される。地上からの観測では消失直前の対地速度がかなり遅かったとされている。

フライトレコーダが発見されればまた少し違ったシナリオもあろうがおよそはこのようなものであろう。

問題はこのようないつも活発な積乱雲が活動している空域に 14121803hikaku2 多くの機体を飛ばし続けることにあるのではないだろうか。地球全体の衛星写真を毎日のように眺めているが赤道付近の雲の活発さは格別だ(4番目の図は12月18日に初めて公開された次期ひまわりの雲画像、やはり優勢な積乱雲の塊がこの空域にある。その下の図は12月27日23時UTCの世界雨画像、JAXA/GSMAPのページより転載)。
2009年大西洋で墜落したエールフランスのエアバスA330も赤道付近の活発な積乱雲に突っ込んだことが直接的原因だった。 またエアバスというのも何か関係があるのかもしれない。
Gsmap_html_image201412272300勿論機体は世界標準である米連邦航空局(FAA)の基準(レギュレーション)に合致して設計製造,されているが、このような地域では機体システムや運航方法にレギュレーションを越えた安全性が必要かもしれないとの気もする。

どのような調査結果となるだろうか、どのように今後に反映されるだろうか、興味はつきない。

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カメラを買う

1年半使ったカメラを壊して新しいカメラを買った。コンパクトデジカメの更新ということになる。壊したのはニコンのcoolpixS31という防水バージョンのコンデジでヨットなんかの水遊びにも十分使えるものを、と買い求めたものだった。10日程前ヨットハーバーのコンクリート面に1mくらいから落としてレンズに大きなひび割れが入った、当たり所が悪かったようだ。撮影機能にとりあえず異常はなかったがこれでは水が入ってしまうし画像もよくは無い。
丁度散歩中に野鳥を撮る小型カメラがあればと思っていたこともあり、この際望遠のコンデジを買ってしまおうとネットで探し始めた。一眼レフを下げて近くの公園を散歩するのは大げさで場違いだが結構面白い鳥が出る、どうしたものかと思っていたところだった。
50倍の立派なコンデジが数社から出ているがいずれも一眼レフを小型にした塊のようなスタイルでとてもポケットには入らない、色も黒ばかりで気楽な散歩のお供には似つかわしくない。
Kamera_2 更に探していくと30倍の望遠でよければいかにもコンデジらしいハンディな機種があり色も好みの赤もある、これこれと早速ネットで発注した。CANON Powershot SX700HSという機種だ。2万3千円位でこれで30倍の望遠ならとにかく割安のような気がする。エイッと発注した翌日にもう手元に届いた。この暮れの忙しい中どうなっているのだろうか、奇妙な世の中になったものだ。人は余っているのか不足しているのか解りにくい。
届いてまだ4日目だが大体解ってきた。鳥を手軽に撮るのにはすこぶる便利だ。30倍というが実感は双眼鏡距離位がよく撮れる。失敗確率は明らかにデジ1眼より低い。手振れ補正が優秀なのか30倍でぶれながら撮っても一応見れる写真となる。
Ruribi2 いつも散歩している公園に思いがけずルリビタキがふっと現れてすかさず撮ってみたがそれなりに写っている。カワセミの姿も久し振りに出たがこちらはカメラを構え終わる前に飛び去ってしまった、無理なものはやはり無理だ。のんびりしているカモ類は勿論問題なく撮れる(下の写真は近くの新市楽池で撮ったオカヨシガモのメス)。
今度はどのくらい壊れずに持ちこたえられるだろうか、フィールドで乱暴に使うものだけに壊しやすい。しかし技術の進み方が小気味よくて壊れたらまた新しい更に進んだ性能のものが買えると思えば思い切ってばりばり使うのがいい気がしている。
Okayosimesu

いいような不思議なような時代に入ってきている。どこかに無理を強いているのではないか、資源を濫用しているのではないか、そう感じもする。さはいえど今となっては全てを受け入れ眺めていくほか無い。ともかく年が終わる。

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2014年12月26日 (金)

広島再訪その2

広島を訪れたのは3回目か4回目になるが宿泊したのは初めてだ。一泊すると暇な時間が少しは出来て街を歩き回ってみる。原爆の跡は普通に残っているのだろうか、その興味もあった。

Hiro0 宿泊したのは広島駅近くだったがあたりにその痕跡を求めてみるとそれと思われるものが幾つも見つかる。
広島は三角州の上に作られた街だけに橋が多い。駅前から歩いて橋を巡っていくとたいていの橋が戦前に建造されていて欄干の石には昭和2年といった建設年が彫られていて、建設当時の石が年月にも原爆にも耐えて残っているのが解る。補修はあるものの石橋の石は多くが日焼けしたような色合いになっている、原爆の痕跡を保っているようだ。川沿いの小さな神社の石組みの崩れもそれらしい。

日常の中にある被災の刻まれたものが却って戦争のむごたらしさを滲み出しているようにさえ思える。どの時点ならあの戦争は避けられたのだろうか。

Hiro1 広島を訪れることになってああこれは読まねばと柳田邦男の「空白の天気図」を読んでいたら幾つもの知らない話にぶつかる。
日本でも陸軍と海軍で原爆の研究は行われて国内はもとより米国でもこの戦争には原爆の完成は間に合わないだろうとの結論になっていた。ところが現実に落とされたらしいとなって陸軍の原爆研究をっていた理化学研究所の仁科博士が原爆投下の翌々日には飛行機で飛来して調査を始めた、海軍の原爆研究の中心だった京大もすぐに調査団を編成して現地へ赴いた。これらの調査Hiro2 から原爆に間違いないとの結論がすぐに出され、続けて長崎に落とされた後次は東京だろうとの噂が乱れ飛んでいたという。確かに戦争終結の決定打だったというのは言い過ぎではないようだ。
放射線による原爆症の知識は当時は広島には全く伝わっておらず、放射線によって内臓障害を起こし下痢が続くものが続出したがこれは赤痢だと現場の医者も判断し臨時伝染病院まで設置されたという。伝染病にかかったということを知られたくなくてそのような症状を隠したがる風潮もあったらしい。福島の事故でもみられたように雨で流れて放射線が特に強いホットスポットが出来ており、破壊を免れた家屋に寝起きしていた家族のうち黒い雨によるホットスポットに近いところで寝起きしていたものだけに原爆症の症状がでたということもあったようだ。そう思うと66年の時を経てフクシマの放射能への恐怖にも繋がっているように思える。

「ヒロシマはどう記録されたか」という別の本を読むと原爆直後の写真は中国新聞社のカメラマンによる僅か5枚の写真しかなかったとある。カメラマンは余りの惨状にシャッターをなかなか切れなかったと後に述懐している、プロでも写真に撮れないと言うことがあるのか、東日本大震災の跡を巡った時に写真を撮ろうとして似たような感覚に襲われたことを思い出す。

京大の調査団は宮島の対岸にあたる大野浦の陸軍病院に宿泊して活動していた。ここが被災から約1ヶ月後、巨大台風である枕崎台風に直撃された。土石流に深夜襲われ破壊され入院していた多数の原爆被害者とともに収集された貴重な資料と多くの科学者も失われている。2重3重に降りかかる厄災、容赦ない。

東日本の震災とフクシマの容赦ない有様がヒロシマとどうしても2重写しになる。
理化学研究所といえば最近のSTAP細胞騒動を想起もする。
今に生々しく繋がっている過去を感じてしまう。

我々はすべからく過去の土の上に立って生きている、当たり前のことを思う。靴裏につく砂粒の元素を辿っていけば何億年も前の世界にも行き着くだろう。
何を残せるだろうか、また考えてしまう。

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2014年12月22日 (月)

広島再訪

福岡から広島まで一泊で訪れてきた。気象予報士の集まりで広島の8月豪雨被害の現地見学会もあるというので泊りがけでも行ってみるべきかと出かけた。

21日は日曜ということもあって野鳥はボランティアをしている油山(あぶらやま)の野鳥行事とバッティングしているし勿論ヨットもパスしなくてはならない。平日は仕事に拘束されなくなったといっても世の中のイベントは土日に集中している。土日だけが忙しく平日はのんびりしているのがどうにもいまだにしっくりこない。
博多広島一泊往復をネットで調べると最安値で1万7千円台からの宿泊付きツアー料金が並ぶ、これは安い。試しにネットにあった旅行社に電話すると最安値はもうないが、といって2万円くらいのプランを勧められる。往復の新幹線自由席切符代だけでも17640円なのだからそれでも安いことは明らかだ、何社かに当たって結局19000円のツアー切符を申し込む。新幹線はのぞみ指定席で 乗遅れれば自由席に一応乗れるが”のぞみ”の切符で”さくら”の自由席にすんなり乗れるかどうかは駅員/乗務員によって判断が分かれると言っている旅行社もある、安い切符だけに細やかな限定が潜んでいるようだ。のぞみ運行はJR東海/ JR西日本でさくらはJR西日本/JR九州だ、運行母体が確かに違う。基本は混まない便の指定席の空席を安くしてでも埋めたいというJR側の都合に付け込んだビジネスモデルなのだろう。自由席に自由に乗られると目的が達せられないということになる。

メール連絡で支払いを済ませると切符と宿泊券が郵送されてきた、郵送料は特に請求されず簡単だ。

8月20日の豪雨の実態・原因について解っていることとまだ議論のあること等を詳しく聞いたり議論したりした後翌日現地見学会に臨んだ。

Hirosima1 12月初旬に内閣府から出されていた資料では復旧が相当進んでいる状況を示す写真が何枚も報告されていたが、現地を訪れるとそうではなかった。

災害直後の土砂に埋まったところは掘り起こされて見られる状態になってはいるが、破壊された家屋は東日本大震災のあと現地を回った時の雰囲気と大差なく無残な印象を与えた。

Ebayama 砂防ダムが新たに造られたわけでもない現場一帯には僅かな幸運で被害を免れた多くの人が危険を承知でまだ住み続けており、災害を防ぐ難しさを感じずにはいられない。 

現地見学会の後、柳田邦男の「空白の天気図」の舞台となった江波山(えばやま)気象館を訪れた、昭和62年まで広島気象台として機能していた建物だ。被爆後短い期間で江波山にあった広島気象台の手によって原爆投下後の旋風や黒い雨といった原爆特有の現象が多くの被災者の証言をもとに報告書にまとめられた、その報告書の現物も展示されていた。当時GHQが報告書の発行を禁じ破棄を命じた経緯のあるものだ。米国にとって実戦で兵器の能力を実証するというのが投下の大きな動機となっていたと推察されるだけにその効果の詳細な記述は当然秘密にしておきたかったのだEbayama2 ろう。

米国は戦争の勝者となり続けたことが米国としての戦争の悪を自らは晒す機会を失うことになり、結果として歪んだ考えや社会を正せずにいるのではないのだろうか、そんなことも感じてしまう。

こんなこともあって帰りは大幅に遅れ指定の列車には乗れず後のさくら自由席に乗ることとなったが、特に何と言うこともなく博多に帰り着いた。雨だった。少し暗い気分で駅を出ようとすると目の前が光の海だ、イルミネーションが路上の水にキラキラと反射して見た事も無く美しい情景を作り出している。こんなこともある、旅することも、生Hakataeki2きていることも、面白い。

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2014年12月14日 (日)

怠惰な時間が流れ

冬が来た。家の中でゴロゴロすることが多くなってこれではいけない、という観念も起きずに怠惰な心地に浸っている。
家にいてもやらなくてはと思うことが増えてきて困っている。引っ越した当初はやらなければいけないことを書き出して片っ端からつぶしていったがそれも近頃はやらなくなった。ルーチン化したことが増えたためだろうが抱え込んだいることが思いのほか多くなってきているためもあるのだろう。
最近時間を使っていManon1ることの一つがオペラのビデオ鑑賞だ。WOWOWの受信機器をテレビからビデオに変えてWOWOWのコンテンツが録画できるようになったこともあって、メトロポリタンオペラ(MET)のライブビューイングのプログラムを片っ端から録画しては眺めている。大体が3時間ものなので一気にみるのがしんどくて3-4回に分けて見ているがその分長く拘束されることになるような気がしている。図書館で借りてくるDVDより画面がいいし概ね歌手もいい、舞台装置もいい、贅沢だ。今はマスネのマノンを見ている。主演はアンナ・ネトレプコだ。なかなかいい。

相変わらず鳥も見ている。鳥の動きは日によって変わり追いかけるのは忙しいがゴロゴロしながら読物で鳥の知識を少しづつ増やすのも面白い。
1-2ヶ月前のバードリサーMagamomesチのレポートにびっくりする様な研究結果の概要が載せられていた。カルガモとマガモの遺伝的差異は0%という齋藤武馬氏(山階鳥類研究所)の研究成果だ。

DNAバーコーディング事業というDNAによる種の判別技術の確立のため野鳥のDNAを調べていて解ったのだという。

マガモとカルガモは模様の違うドバトほどの差しかないということになる。そういえば九州に来てドバトの模Dobato様のバラエティー豊かなのにも密かな驚きを感じていた、それを思えばマガモとカルガの違いが遺伝的に同じと言われてもそういうこともあるかと納得もする。
それにしても夏に居残りするマガモに微妙な違いがあることを見つけて”これはマガモとカルガモのあいのこのマルガモ”としたり顔で受けた説明は何だったのだろう。カルガモもマガモも等しくかわゆく思えてくる。

もう一つ最近少しHiyodori驚いた鳥の話もある。雑誌バーダーの夏頃の号に日本固有種の特集があって、ヒヨドリも殆ど日本固有種といっていいほど世界的に珍しく海外からのバーダーもヒヨドリには注目しているらしいとあった。えっあのヒヨドリがと思う。
しかし そうと知るとヒヨドリを見ても”何だヒヨドリか”という気持ちから”頑張れよ”という気持ちに変わってくる、面白い。

ヒヨドリは国内で季節の変わり目に群れを作って移動してい るのもそういえば気になる、どこからどこへ向かっているのだろう。

新潟の粟島では5月はじめに島の北端に数百とも思われるヒヨドリが集結して海を渡る準備をしていた、国内の移動にそんなに必死になることがあるのだろうか、鳥には鳥の理由があるのだろう、それは何だろう、食べ物だろうか、それともリーダーに従う一族意識でもあるのだろうか、考えていくとこれも面白い。

怠惰な時間が過ぎていくのも悪くない。薄い空気層の下で生きていくことそのものが何しろ宇宙の厳しい環境を思えば奇跡のようなことなのだから。ただただ生きる、それだけで十分だ。

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2014年12月 5日 (金)

RAWをRawTherapeeで現像する

なんだか寒くなってきた。去年の気温と比べてみると少なくとも11月は今年の方が総じて暖かい。ここ数日でぐっと寒くなっただけのようだ。暖かい晩秋にこのところ慣れてきたのが少しばかり外れると余計に厳しく感じるということらしい。


寒い時は寒さを楽しむのが一番なのだが出かけるのも億劫で近くを散歩するくらいで過ごしている。 今日は西風が強くて寒い日だったが新市楽池に回っていくとハシビロガモやバンが相変わらず忙しく水面を動き回っている。

隣の市楽池の周りではシロハラが数を増して目につくようになっているしアオジの5羽位の群れも小道に出てきたり、冬が来たのだなとしみじみ感じる。

寒くなって外出が減ったこともありこのところ写真をRAWで撮るようにしてパソコンで時間をかけて焼き出しているがこれに少々手こずっている。

焼き出しソフトにはペンタックK5についてきたPentax Digital Camera Utility4を使っていたが処理が重くて苦労する割りにjpg出力を加工するのに対して大した優位性が感じられずに困惑していた。

何とかせねばとnetでfreeのRAW処理ソフトを探していたところRawTherapeeというソフトに行き当った、それなりの評判だ。とにかくダウンロードする、lightroomの評判が高いのは解っているが無料で済めばそれに越したことはない。 使い方がすぐには飲み込めず丁寧な日本語Imgp7903y 訳マニュアルもダウンロードして暫く試していてようやく少しはわかってきた。

確かにトーンを 自由に変えられるしノイズ削減やシャープの機能もいくつもあって”現像”ソフトとしてはそれなりの使いでがある。でも自由度が大きいだけに自分の思うトーンに落とし込むのには結構手間がかかるしファイルの操作もRAWファイルが大きく処理がどうしても遅くなる。jpgの加工で済むくらいの写真は出来るだけカメラ出しのjpgを加工するとし RAWから焼くのは限定するようにして何とか収まってきた。

Imgp7903xxx しかしみるからにピンボケの写真を救うことはやはり無理で、結局は撮る質を上げるのが手間を減らす早道のようにも思えている。

こんなことが出来るようになったのもSDカー ドの32GBが随分安くなったことや何のかんのいってもパソコンの性能が上がってきたことに大きく拠っているように思う。

しかし時々アナログのフィルムから進歩しているのだろうかと思う。

昔の写真家の撮ったような写真は機器が幾ら進んでもデジカメをいじくりまわしているだけの素人には撮れない。

そうはいってもいつかは新しい地平を切り開けるのではないだろうか、それをほのかに期待しながらまた写真を撮っている。少しずつでも自分を巡る何かは変わっていくかもしれない、それで十分だ。

(添付は上がカメラのjpg出力をXnViewでシャープ加工したもの、下がRAW出力をRawTherapeeでシャープ加工したもの、下のほうがやや細かい陰影がはっきりしてくる)

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