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2015年1月14日 (水)

フクシマノート

何かこのところ荒れた天気が続くような気がしている。雨は降らなくても風が強い。この日曜日(11日)は本来は冬型が緩むはずが富山沖の低気圧が発達し引き込まれるように福岡は風が強くなった。というか上層と下層の大気の流れが一致して、上層の優勢な低気圧の縁をKaze150111 巡るジェット気流の下端が地面に及んだ形と見るほうが解りやすい(添付はこの日の午前9時の東経130度線で切った大気の断面図、太い破線の等高線は風速を示すが福岡の真上辺りにジェット気流の中心がある)。昔 渡良瀬遊水地で強い風にさらされた時のような感じを思い起こす、高層の大気パターンが吹きすさぶ強風をもたらしている。

 

この日は博多湾上でセーリングを始めたが10mをやや越える西風となり早々に引き上げとなった。西風では湾外からのうねりの侵入は無く波の高さは湾内で形成されるだけのさほど高くない波で済むものの強風が突風状に吹くのがつらい。

 

荒れた天気は辿っていけば赤道付近の大気が温暖化していることに原因があることには違いないと思えるが更にその原因を全てCO2の増加に押し付けてしまおうとする説には到底納得できない思いがする。余りに単純すぎてそこには幾つもの思惑や欲望が渦巻いているように思えている。勿論原発推進も深く関わっているような気がしている。

 

ともかくハーバーからの早帰りとなって暇が出来る。このところ荒れた天気が多いせいか暇な時間が増えて本を読んだり音楽を聴いたり録りためた映像を見たりすることに多くの時間を使っている。時間の流れが更に遅くなっている気がする。

 

今はフクシマノートという本を読んでいる。著者はミカエル・フェリエという日本在住の現在47才位のフランス人だ。読んでいくとあの東北大震災の記憶がまざまざとよみがえってくる。

 

ひっFukushimanote きりなしの余震、空になったスーパーの棚、ガソリンスタンドの長蛇の列、そして原発の暴走、計画停電という名の突然の停電、信号機が消える・電車が殆ど走らない、テレビ各局は似たような番組ばかり流してコマーシャルもAC機構の暗いものだけが流れる戒厳令のような雰囲気、懐中電灯を照らしながらの暗い食事。東京を訪れても暗い東京は暫く続いていた。とても被災地に支援に行こうとの気持ちまでに切り替わらなかった日々があった、昨日の事のように思い起こされてくる。
著者のフェリエは地震1ヵ月後に被災地を小型トラックで回る。気仙沼の先の避難所まで行ってできる支援を行った後フクシマに向かう。飯館村にも行き、立ち入り禁止の20kmラインぎりぎりを巡る。全てが生々しく、的確なそれでいて文学的な表現でつづられる。東京に戻った後もフクシマ原発の現場で働く人にインタビューも行い独自に本当の姿を求めてこの時起こっていたことをリアルに立体的に文学的に記述し続ける。こんな風にあの震災と原発事故を書いた文を見たことがない。読んでいて自分も現場を見にいくべきだったと思えてくる、フクシマ原発からは100kmも離れていないところで生活していたのだから。
しかしこんなことは自分ではとても出来なかった、少しは落ち着いた震災4ヵ月後に東北を日帰りで回るのが関の山だった、フクシマの現場に近づこうという気にはなれなかった。怖かったというか近づいてはならないと思う気持ちがあった。

 

あの時の恐れは薄れはせよ消し去ることは出来ない。
川内原発は本当に再稼動するのだろうか。これほどまでのリスクに本当に見合うものなのだろうか。

 

核エネルギーの利用は核融合技術の確立まで待つべきなのではないだろうか。核エネルギーは人類が宇宙で永続的に利用できるエネルギー源として唯一のものなのだろうが現在の原発のような核分裂エネルギーの利用の仕方は稚拙な未熟な技術なのではないのだろうか,こんな形態はもう止めるべきなのではなかろうか。最近そういう風に思い始めている。

 

ゆったりとした時間の中で色々なことが少しづつ見え始めてくる感触が心地よくて 幾らでも時間に遊べるような気がしている。荒れた天気も悪くない。

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