平戸にてカクレキリシタンを感じる
平戸へ旅した。隠れキリシタンの痕跡か色濃く残っていた。書いてみると色濃くという言葉は正しくない気がする、透明な色濃さと言うべきなのだろう。
平戸島西岸と生月島の博物館で隠れキリシタンはカトリックに改宗しないものが数多くいたということを知った、明治以降もカクレキリシタンという宗教形式を維持し続けているらしい。勿論直接には見ることが出来ない。博物館の展示でその証拠を覗き見るだけだが、過去のものではなく現在にも続いているという、驚いた。
隠れキリシタンの中心地である生月島にはカトリックの教会が一つ建てられているだけだ、教会近傍の山田地区にカトリック教徒がいるらしいがあとはカクレキリシタンの風習をを続けているといわれる。同様に平戸島の西岸にも教会は少なくカクレキリシタンの集落と言われる春日集落には教会がない。こんな形のキリスト教信者というのは世界にもそうはいないのではなかろうか。
この地は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産登録申請中だが世界遺産となるキリスト教遺跡としてはやはり教会が中心となる。
教会めぐりをしているとキリスト教の平易さを感じてくる。幾つかの教会には聖書の言葉を記した記念のしおりが置かれていてこころざしを入れて持ち去れる。
1000歩を歩くことを強いられたならその人とともに2000歩歩きなさい という言葉が目に入る、マタイ伝よりとある。ストレートに入る言葉だ。
聖書は、いい悪いは別にして解りやすい。翻って仏教はと思うと教典は何なのか、お経の文句は普通の人には理解できない、つまるところ南無阿弥陀仏と念じよとなる、これでは人の心を支えることが出来ないように思える。イスラム教はどうなのだろうか、ネッ トで見るコーランをつまみ読みしても掟集のようで例えば「われの敵でありまたあなたがたの敵である者を友としてはならない」といった文字が目に入ってそうかな?という感じを拭えない、キリスト教は宗教としては明らかに力があるようにみえる。力がある故に恐れられ施政者より弾圧されたのも さもあらん と思えてくる。
重要文化財となった田平教会他長崎の多くのカトリック教会建物はドロ神父らに学んだ鉄川与助の設計によるものだが、いずれも周辺の農村とは場違いなほどに堂々とした重々しい建造物になっている。鉄川本人は生涯仏教徒であったとも言われる。クールな立場でその宗教の力を感じながら創っていったのだろうか。
平戸・生月島の小旅行から帰って数日がたったがまだ印象がまとまらない。一言で言えば、宗教この難解なもの、という言葉だろうか、それでは単純化しすぎのように思う。
日増しに日差しは強さを増し花が満ちてくる、春はどこを漂おうか。
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