東京を見る(その2)
3月の終わりに東京に遊びに行った記憶が、ついこの前の出来事というのにたちまち彼方へ飛び去ってしまいそうな気がしている。記憶することが次第に面倒になってきて歳を取るとはこういうことかと思う。覚えるというある強迫観念から開放されているようでそれはそれで楽なのだが、社会的にはこんなのはネガティブなのだろう。記憶ができなければ記録するほか無い。
東京行きで面白いのは東京という街を少し離れたビューポイントから眺めるということにあるような気がしている。その分 2年前まで関東で暮らしていて身に絡まりついていたその関東の空気から抜け出してきているということにもなるのだろう。
東京という街には江戸時代から連綿と続く首都としての堂々たる姿がある、そこに改めて圧倒される。特にこの時期は文字通りの花のお江戸だ。街の姿なぞが気になるというのはどこか情けないが人生枯れてくるとそういうことかもしれない。
浜離宮を初めて歩いた、東京の真ん中にあるとは思えないほどの広さだ。外人が多い、外人観光客お気に入りの場所のようだ。今も、というべきか。
直ぐ先がお台場で逆を向けば真っ直ぐ北が江戸城となる。汐留のそそり立つビル群が無かった江戸時代には恐らくここから城が見えたのだろう。ベリー、ハリスは軍艦で攻め上ってくればこの辺から大砲を撃つ構えだったのかもしれない。江戸城にとっては確かに怖い。
井伊直弼があたふたと脅しに屈したのも解らなくもない。こんな庭園でのほほんと鴨猟などで遊んでいる時代が懐かしかったことだろう。
時々何が幸せで何が不幸かと思うことがある。先の大戦は 武士がトップに立つ時代が明治維新を超えて生き延び威張る軍人となり攘夷の心も消えず行き着く先のその総決算だったように思えている。もし第2次大戦前に日本がイギリス王室との同盟を保ち続けうまく立ち回って連合国側に回っていたらどうなっていただろうか。鎌倉時代から続く武人の威張りは更に続き歪んだ社会が連綿と続いていったことだろう、それは戦争に負け全てを失い武人の威張りが壊滅するより良かったのだろうか。戦争に大敗するのにもいいこともあると思えてくる。不幸の塊のような戦争にも僅かばかりの認めるべきところもある気がしている。
渋谷を見る。九州で流れてくる報道を見ていると渋谷駅回りが工事で大分変わったとの
印象を受けていた。実際に見てみたかった。品川からこの日の宿のある半蔵門まで行くにはどうせ渋谷で乗り換えなくてはならないし丁度いい。
降り立って南側のバス乗り場辺りを見てみるが以前の記憶とあまり変わらない、ごたごたしている。正面の東急プラザのビルが建て変わるらしいがまだ何の変化も無い。なーんだと思ってハチ公前側に来ると何だか少し変わったような気もする。しかし周りの建物は大して変わっていない。ハチ公前のスクランブル交差点には朝の故か大した人出もない。
ここもなーんだという感じで歩き回っていると山の手線の直ぐ内側が細長い公園だったこと
を思い出してそこを見てみる、ここは山の手線に乗るたびに電車から見てはいたが歩いたことは無い。高架と同じレベル位の高さに線路沿いに公園が続いている。格安の公営駐輪場の奥から階段を上がるとまずコンクリートで波打つ様に固めた公園が見える。児童公園かと思いきやスケートボードの練習場のようだ。公営らしい。オリンピック競技だから練習場を公が用意するのも当然といえばそうなのだが一生懸命まじめに遊んでいるようで何だか面白い。次はミニサッカー場で、すでにチームが入って練習を始めている。渋谷のど真ん中でサッカー練習かとこれも面白い。そうだ、これが東京の感触だったと思い起こす。どこかに関東らしい几帳面さがある、真面目さがある。田んぼを無駄なく開拓した二宮尊徳風のところがある。九州のアバウトさとは随分違う。
サッカー場の先に管理事務所があってここで公園全体の使用や道具の管理をしているようだ。きちんとした運動公園というわけだ。ふーんと思いながら階段を下りるとこの競技場に沿った細いスペースがバイクの駐車場になっていて、少し上の段の空きスペースに路上生活者がブルーテントを並べている。それなりに木枠を入れているようで少しはしっかりしているように見える。黙認なのかそれとも他の場所からは立ち退かせて目立たないこんなところへ誘導しているのだろうか。都も難しい課題を幾つも抱えて時代とともにすり抜けるように東京を維持管理していると思えてくる。街を見るとこんな雰囲気がわかるのが面白い。
書いているときりがない。
靖国神社を見る。ここが靖国かとちょっと身構える心の動きが面白い。気象庁が使っている桜の開花標準木は見なければ、と見る。それ程老木でもない、暫くはこの木を使い続けるのだろう。
遊就館を見る、悪名高い戦争博物館だと思って見始めるが極右というようなものでもな
い、淡々と歴史を記述している。時折引っかかる表現がなくもないがこれくらいは目くじらを立てるほどには思えない、表現の自由のある民主主義の国なら受容する範囲だ。
展示品もべつにどうということもない、各国の航空博物館などで見られる程度で普通だ、もっと昔の戦闘機などを集めたほうが見栄えがするのにと思うほどだ。
やはり靖国神社というのはその位置づけに引っかりを覚える。国家が運営していた官軍の戦死者を英霊として祀る神社で遺骨があるわけでも何でもない(千鳥ケ淵には遺骨があるが靖国には骨は勿論位牌のようなものも無い)。官軍として敵と戦って戦死したものが対象で、例えば吉田松陰は祀られているが西南の役で賊軍となった西郷隆盛は祀られていない、そんな論理を大日本帝国の陸海軍におしなべて適用している。戦犯が祀られているのも大日本帝国のために官軍の敵軍である連合国に対峙し討たれたということなのだろう、無謀な戦争で多くの人を死に追いやったことはさておきだ。これは現代では国民の共感を得られる論理ではないように思える。
あの戦争の責任は連合国からは裁かれても日本自身としては追求しなかった。独自に戦争責任追及の裁きの場を持ち得れば戦争に正面から向き合い未来に対してもっとポジティブな教訓を共有できたのではないか、そんな気がしている。
靖国の桜は8分位で普通に美しかった。桜が切れ切れに続く市ヶ谷駅への道を歩きながら今も続く歴史の街東京を感じていた。東京は日本で一番興味深い街だ。
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