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2015年8月31日 (月)

パプアでのATR42-300の墜落

もう2週間くらい前のことになるがニューギニア島の西半分のパプア(インドネシア領)で 満席のATR42-300が中央山岳地帯に墜落した。Atr42300フライトレコーダやボイスレコーダはいい状態で回収されたと伝えられるが一向に事故原因を示唆するような情報は流れてこない。

事故の状況は、ニューギニア島の真ん中辺の北部海岸の町ジャヤプラ(センタニ)空港から8月16日現地時間(日本標準時に同じ)14:21
Map0に南のオクシビルに向けて出発したトリガナ航空のターボプロップ機ATR42-300(48人乗)に満席で幼児2人を含むと49人となる乗客及び乗員5名を載せた機体が目的地オクシビル到着10分前に管制に降下開始を告げた直後行方不明となり、オクシビルから15km離れた山中に墜落したことが確認された、というも のだ。乗客乗員は全員死亡となった。
オクシビル空港は標
高1309mで、墜落地点の標高は2530mと報じられている。墜落地点付近にはニューギニアを東西に貫くマオケ山脈が走っており、4000m級の峰が連なるり近くにはマAirmap1ンダラ山(4760m)もある。
当日の天気は衛星写真で見る限り殆ど雲は無く、風も穏やかで事故につながる現象は見受けられないが、衛星写真は赤外映像なので薄い雲または霧が山岳部にかかっ ていた可能性は否定できない。当日のの気象予測計算では山岳部での小さな雲の発生が予測されている。
Oksibil空港は滑走路が11/29 で 3856 ft (1175 m) の長さと短い(それでも
Weather2以前の880mから近年延びたようだ)。ATR42-300の着陸必要滑走路長はカタログでは海面高度で864mであり標高が上がる分を補正するとほぼ1000m必要となる。ぎりぎりだが成り立っている。
フライトレコーダはいい状態で回収されて
いるので追って事故原因の推定は発表されるものと思われる、現状では 事故原因は何とも言い難いが多少の推定は出来る。
トリガナ航空というエアラインは他の多くのインドネシアのエアラインと並んでEUからブラックリスト指定(EU域飛行禁止)となっている、
最近の死亡事故は9年前の2006年で、運行するツインオッター機が山腹に衝突した事故により10名が亡くなっている。しかし難しい場所を貧弱な機材で飛んでいる割には死亡Winddata事故多発というわけでもない。整備に問題のあるエアラインと決め付けることは適当でもなさそうだ。
今回の墜落原因は未だ不明だが、パイロットからの何の緊急交信も無く突然墜落していること、JayapuraからOksibil NDBに向かう航路上で初めて遭遇する標高8000ftラインで墜落したと思われることから考えると、何らかの理由で(多分何らかの誤りで)巡航高度が低く山頂ぎりぎり位の高度(9000ft?)に設定されており、山域に霧がかかっていて視界の無いまま高度を下げたとたんに山腹に激突したのではないかとも考えられる。

この事故で気になるのは、便が目一杯の満席だったということだ。オクシビルへの交通手段は航空路しかないという状態で滑走路もやっと1000mを超えるまでになって街の生命線になっているこの48席クラスの機体が入ってこれるようになった、それが落ちた、そのぎりぎりの感じが伝わってくる。事故原因は解らないまま直ぐに便は再開されている。
便の出発地ジャヤプラはパプアの中心都市で先の大戦ではマッカーサーはここを占領することから反攻を初めフィリピンに移るしばらくの間はこの地に居を構えていたといわれる。海岸部は開けてきているようだが内陸部はそうはいかない。この地の歴史を調べてみると、石器時代から突然現代に引き込まれたパプア高地民族が多数を占めるこの地の未来はパプアに張られた貧弱かもしれない航空路にかかっているような気がしてくる。

こんな事故で調べ始めると知らなかったことに次々に出くわす。事故が小さな窓を開ける。こうやって世界は広くなっていくのだろうか。

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2015年8月28日 (金)

8月も過ぎていく

「火花」を読んだ
しつこいようなタッチで心理的な場面が繰り返される。
Hibana いかにも作者周辺にモデルが居そうな感じがしてくる。
この作家は自分を巡る世界を抜け出した作品を書けるのだろうか
そんなことも考えてしまう。ヘミングウエイだって身の回りの話ばかりを描いていた、それでもいいのだろう。
何か懐かしい小説らしい小説との雰囲気がする、そんなところが受賞した要因かもしれない。
どこでこんな描き方を体得したのだろうか


台風が来てひたすら篭っていた
福岡市のやや西を通ると思っていて南風の強風に備えていた、南向きのガラス戸が多い家だ。が、やや東側通過で北東風メインとなって大した被害も出なかった、家の北側には小山があってこれが風を和らげてくれる。
それでも台風らしく暴風雨がいっときあたりを制圧していたが8時少し前になると急に風が収まり雨も殆どやんできた。眼らしい。気象庁の発表では飯塚市付近に中心ということだが眼が大きいのだろうか、それとも気象庁の発表が少し東にずれているのだろうか。
キジバトがいつものように元気に鳴き始めた。
見ればアサガオも花開いている。生き物はAsagwo 天気の変化に敏感に反応する。

その内吹き返しが来るだろうと思っていた、しかし待てど大した風は吹いてこない、それではと台風対策で横倒しにしていた植木鉢を立て直したりする。

しかしやっぱり吹き返しは昼前頃にやってきて次第に激しくなる、眼の来る前より激しいくらいだ。植木鉢は恐れていた通り倒れてしまう、どうなっているのだろう、随分遅い吹き返しだ。

地形の影響を受けてこうなるのだろうか、台風は単純に熱上昇風の渦だから熱源が絶たれて積乱雲が弱まれば弱くなる、上陸して雨を降らせれば自ら大地を冷やして熱源を絶ってしまう、福岡市を北上し海上に出て海からのエネルギー補給を得てまた強まったのだろうか。海水温は台風来襲前で27度位はあった、十分だ。


8月もこんなふうにして終わろうとしている。時の過ぎるのがただただ面白い。

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2015年8月22日 (土)

土門拳の古寺巡礼をまじまじと見る

土門拳の没後25年を記念して古寺巡礼の写真展が筑後市の九州芸文館に巡回してきたのでこれは見ておかねばと出かけた。このところ古寺を巡る事が何とはなしに増えてDomonkn いて仏像の写真の撮り方が少しは気になっていた。
とはいっても大抵の寺院では仏像の写真は撮影禁止で撮れない。宗教的な理由があるのだろうが何となくもったいない。偶像崇拝だからこそなのだろう、時代を超えた人類の遺産とは見れないのか、宗教らしい凝り固まった視野がにじみ出ている気がする。

土門拳の仏像写真は他とは確かに違う。絞りに絞った上でフラッシュをいくつも焚いて影の線を消しているらしい、ライティングにはことのほか細かく全て自分でセットしたという。
土門はポートレート写真に惹かれていて著名な人物の肖像を多く撮っているがその人の底まであばく撮り方は執拗で、梅原龍三郎などは撮影が終わると怒って座っていた籐椅子を投げつけたと言われる。そんな撮り方の延長上に仏像写真があるように思える。
仏像の写真一つ一つに言いようの無い迫力がある。
仏像の視線とカメラを通じて見つめる視線がぶつかって火花を散らすその瞬間にシャッターを切る、そんな風に土門は表現している。解ったような解らないような話だが被写体に対する強い思い入れが沸かなければ撮らない、撮れないということだろうか。写そうとする仏像がそもそも何たるかを十分知っておく、それは撮影以前に当然のことだというようなことも述べている。宗教そのものに疑問を抱いている身ではまともな写真を撮れっこないといわれているような気がしてくる。
見ていくと戦時中に撮った仏像の細密な写真も素晴らしく、機材の進歩は写真を撮るという根本のところには殆ど影響を与えていないと感じる。時代は本当に前に進んでいるのだろうか、そんなことも考えさせられる。

やはり見るべき写真展だった。芸文館のカフェでスパゲティを食べながらそう思っていた。暑い夏の雨模様の日はこんな所が似つかわしい。

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2015年8月18日 (火)

海を測る話が興味深くて

1週間ほど前、海の科学講座という講演会が開かれるとあって聴きに行った。よく知らない分野の話は随分ためになることがあるし そうでなくとも仕事を離れると学ぶ機会が以前にも増して大切に思えている。
Umi1 場所は福岡市の九大西新プラザというところだが九大と名の付く施設が未だ六本松・西新地区に残っている、すっかり糸島に移転したとばかり思っていた。駐車場が殆どないとあるが歩くと暑いので車で行って敷地の空いたところへ押し込んだ、こんなことは出来る所のようだ。
200人くらい入るホールで海を測るというテーマで講演が3つあった、始めは地道に海にセンサーを入れて測る話、次は衛星のリモートセンシングの話、最後は生物を利用して測る話だ、地球環境の今を理解するには海のデータを見たいという気持もあってこんな講演会をのぞいてみたのだがそれなりにそれぞれに面白い。
講演の中で気象のsynopと同じように各国で手分けして計測した海のデータがアルゴデータという名でインターネット上で誰でも見ることが出来る、というので帰ってパソコンで見ようとするが、手ごわい。
JAMSTECのサイトからFNMOC ( アメリカ海軍気象海洋センター )へアクセスしてnetCDFで書かれたデータをダウンロードすればよいようだがダウンロードしても簡単にはデータが見れない。幾つかのサイトで調べていくとOcean Data Viewというソフトで見られそうなのでこれもダウンロードして動かしてみるが未だにデータを見るまでに至らない。気象と違って簡単には入っていけない印象がある。より限られた人しかタッチしない世界なのだろうか。時間ばかりが過ぎてしばらく放ってある。しかしともかく普通の人でも頑張れば深海までの現在の海洋のデータを生に見られる時代になっていることは確かなようだ。

最後にあった講演の、魚やウミガメなどにセンサーとメモリを付けてその生態と共に海洋データを取得するバイオロギングの話が面白い。実際にウミガメに取り付けたカメラで求愛行動が動画で写さていたが、見ていてすこぶる興味深い、こんなことがやられているのだと初めて知る。勿Biolog 論回収が結構大変で魚につけたりする場合は漁師さんに漁ってもらうことを期待するという。小型のデジタル機器が安価に手軽に入手できるようになってこんなことが出来るようになったようだ、取り付けている装置は殆ど自作のように見える。
海の中は一緒に深くまでもぐることは出来ないし、電波は使えず超音波でしか通信ができない、と鳥の観察や生態研究と同じようには全く行かない難しい世界だ。それが個人レベルのスキルで切り開けるようになってきている、面白い。

色んな所で感じることだが、専門家といわれる人しか見れなかったデータやとても手が届かなかった特殊な装置が自分で入手し自分で組み立てられるような時代になってきて何かが加速的に動き出している、それをここでも感じる。思いもよらぬ切り口から時代が変わってきて行く予感がする。
原発推進のロジックの破綻が3.11で明らかになったようにブラックボックス化して情報操作するというやり方はいつかは破綻する、そんなダークな面も含めて時代は透明化に向かっているしあらゆる人があらゆることに参加できる時代に向かっているように思える。核融合でさえ個人の手の中で行われてしまう可能性すらある。
先には何があるのだろうか、人間の本性が露骨に表れてくる世界だろうかそれとも深く理解しあえる世界だろうか、どのくらい時間が経てばそれを見えてくることなのだろうか。

50年だろうか、もっとだろうか、とてもそこまで見れないのが残念だ。

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2015年8月 9日 (日)

大英博物館展がいかにもイギリスらしくて

大英博物館展が開かれているというので暑い時は屋内かな、とでかけた。
Britishm 大英博物館はロンドン訪問の折に訪れたことがあり、無料というのが感動的だったが、今回は一般は1600円もする。運び賃がかかるとは思うがそれだけではあるまい、これは大英博物館の商売かなと思うと同時にイギリスの大英帝国外に対する見下ろすような目線を感じてしまう。
展示は「100のモノが語る世界の歴史」という副題になっている、英文ではA History of the World in 100 objectsだ。
このA History of the World in 100 objectsという表示はBBCとBritish Museumによって2010年に9ヶ月にわたって歴史的な100点を選びながら放送されたラジオ番組のタイトルであったという。あげられた100点はBritish Museumにマークされて展示されていたが、そのうち巡回可能な半数程度に同等なものを新たに撰び直して補って昨年から世界巡回の展示が始まった。アブダビ、台北と廻って次が日本の東京福岡神戸の3都市となった。勿論もともと撰ばれたもの全ては巡回されていないが、先の2国では持って行けなかったものが日本には来ている、例えば有名なウルのスタンダードだ。
スタンダードとは奇妙な名だが何に使われたものなのか未だUrustd に分っていないという。現物を眺めてみると国の姿またはあるべき姿を現しているようにも見える、片面は王が支配する平和な世の中で片面は(これをもたらす)戦いの有様が描かれている。思ったよりも古びてなくて綺麗だ、とてもバビロニアに先駆ける世界最初の都市国家の遺物とは思えない。人類の歴史は進んでは後退を繰り返してきたのではあるまいか、戦争があり平和がある、その振り子全体はどのくらい進歩したといえるのだろうか、考えさせられる。このところ少しばかり退歩の兆しがあるようなのは気になる状況ではある。
北斎漫画も撰ばれている、もともとは北斎の逆巻く波を描いた「神奈川沖浪裏」が撰ばれていたのがこれに変わっている。「神奈川沖浪裏」の浮世絵を持って来れないとは思えないのでより現代的視点で日本のマンガの原点とも言える北斎漫画を撰び直して持ってきたように思える。わざわざ差し替えていかにも視点を高くしたような雰囲気が英国らしいといえばそのようだ。ちょっと鼻につく。
確かにこの展示は展示品の一つ一つが貴重であり成程と思わせるが全体として英国人の世界観・歴史観を隠しようも無くにじませているところがすこぶる面白い。
こんなことができるのは世界ではBritish Museumしかない、そこを見せつけているような雰囲気がこの展示会ならではだ。

続けて廻った常設展のスーパーハイビジョンシアターでは居眠りから逃れられなかった。少々イギリス人の気迫に圧倒されて疲れたのだろうか。
しんどくても暑い夏は辛めの催しが刺激的で確かにいいようだ。

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2015年8月 7日 (金)

タモリカップ福岡で暑い夏を遊ぶ

暑い夏が続く。暑苦しくて睡眠が浅くなり活動が鈍くなる。暑い時期にめげず屋外で動き回っている遊びはこのところヨットくらいだ。

 

ついこの間、タモリカップというヨットレースにクルーの一員として出場した。昨年も参加したが、小ぶりの艇でレースそのものはパッとした成績は上げられなかった。今年は35ftの速そうなクルーザーで参加することになり慣熟のための練習も数回おこなった。確かに速い。ちょっと風があると7kt位は軽く出るようだ。
練習と言ってもとにかく走ってみて役割・手順を確認して少しでも手際よくするくらいだが、どちらかと言うと
Tamrcupzen1艇整備の意味あいもある、暫く係留されていた船のようであちこち傷んでいる。
洋上では海水温+αくらいの気温でもちろん風もあって猛暑というわけではないが何しろ日差しが強い。セールの影に入れば日影になるがそう都合よくは行かず、大体は照らされっぱなしだ、終わる頃になると頭がトローンとしてくる。
準備のほうは、強
力な助っ人が搭乗することになり、優勝を狙える可能性も出てきた。
ハーバーに各地から参戦する艇も集まって次第に盛り上がってきて前夜祭を迎える。夜が進むにつれオルケスタ・デ・ラ・ルスのサルサが白熱してくるが余り遅くまでいられない。バスで帰るしかなく、花火大会の日でもあって早目に引き上げる。翌日聞けばこの後井上陽水が飛び入りで2曲歌
Tmrcup3ったという、聞き逃してしまった、陽水を生で聞いたことがなかった様に思う、惜しいことをした。
タモリカップは前夜祭ばかりでレースができない気象条件が数回続いた歴史もあり前夜祭にレースと同等くらい力が入っているような気がしている。いかにもお祭りだ。

 

今回は晴れて適当な風が吹く、気象条件は絶好だ。
前夜祭も当日のパレードもそして115艇一斉スタートによるレース自体もつつがなく終了し、結局搭乗した艇はクラス優勝を果たした。

 

ヨットのレースはタイムに艇毎に決められているハンディキャップの係数(TCF)を掛けて決められ、着順のまま順位が決まるわけではないが、このレースではTCFの値が結果発表リストにも記載さ150802startれておらず、どうやって決めたのだろう、と何だか霧がかかったようだ。しかしクラス別の着順では搭乗艇はダントツだったのでクラス優勝は間違いない。少しばかり怪し げな雰囲気が漂うところがタモリカップらしいといえばそうかもしれない。何しろ優勝することがえらい訳でもないというのがタモリ会長の大会趣旨となっている。
でも優勝したほうが随分と楽しい。

 

温暖化してもそんなものには負けるもんかと日差しを怖がらずに海で遊ぶ、夏はやはりこれだ。

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