土門拳の古寺巡礼をまじまじと見る
土門拳の没後25年を記念して古寺巡礼の写真展が筑後市の九州芸文館に巡回してきたのでこれは見ておかねばと出かけた。このところ古寺を巡る事が何とはなしに増えて
いて仏像の写真の撮り方が少しは気になっていた。
とはいっても大抵の寺院では仏像の写真は撮影禁止で撮れない。宗教的な理由があるのだろうが何となくもったいない。偶像崇拝だからこそなのだろう、時代を超えた人類の遺産とは見れないのか、宗教らしい凝り固まった視野がにじみ出ている気がする。
土門拳の仏像写真は他とは確かに違う。絞りに絞った上でフラッシュをいくつも焚いて影の線を消しているらしい、ライティングにはことのほか細かく全て自分でセットしたという。
土門はポートレート写真に惹かれていて著名な人物の肖像を多く撮っているがその人の底まであばく撮り方は執拗で、梅原龍三郎などは撮影が終わると怒って座っていた籐椅子を投げつけたと言われる。そんな撮り方の延長上に仏像写真があるように思える。
仏像の写真一つ一つに言いようの無い迫力がある。
仏像の視線とカメラを通じて見つめる視線がぶつかって火花を散らすその瞬間にシャッターを切る、そんな風に土門は表現している。解ったような解らないような話だが被写体に対する強い思い入れが沸かなければ撮らない、撮れないということだろうか。写そうとする仏像がそもそも何たるかを十分知っておく、それは撮影以前に当然のことだというようなことも述べている。宗教そのものに疑問を抱いている身ではまともな写真を撮れっこないといわれているような気がしてくる。
見ていくと戦時中に撮った仏像の細密な写真も素晴らしく、機材の進歩は写真を撮るという根本のところには殆ど影響を与えていないと感じる。時代は本当に前に進んでいるのだろうか、そんなことも考えさせられる。
やはり見るべき写真展だった。芸文館のカフェでスパゲティを食べながらそう思っていた。暑い夏の雨模様の日はこんな所が似つかわしい。
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