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2015年10月26日 (月)

万田坑へのアートな投影が何か深くて

世界遺産「明治の産業革命遺産」の構成資産の一つである荒尾の万田坑でデジタルアーツの投影があるというので見に行った。
「デジタル掛け軸」と名付けられているが要するに芸術視点のプロジェクションマッピングとDk1 思っていた。作者の長谷川章氏本人の説明もあったりして美しくも刺激的な催しだったのだが、呼称が少しばかり気になった。

戻ってネットで色々当たってみるとプロジェクションマッピングとデジタル掛け軸は別物との認識があるようで、デジタル掛け軸の説明にプロジェクションマッピングという言葉は一切使われていないようだ。しかしデジタル掛け軸といわれるといまだに何のことだろうと思ってしまう。あまりDk2 いいネーミングとは思えない。
既存の建造物の上にプロジェクターで大規模な画像を投影する手法そのものをプロジェクションマッピングと呼んで何が悪いのかよく解らない。何か決まりでもあるかのように分類することにはどうしても抵抗感がある。
最近ネーミングで気になる表現にドローンという言い方がある。遠隔操作無人機の総称として昔からドローンという表現は使われてきたが何故か最近になってドローンという呼称が4ローターの回転翼式の小型無人航空機に特Dk3 定されてきているように思える。
昔から無人機と付き合ってきた感覚ではどうにも気持ちが悪い。この呼び方は(理解が十分とも言えない)マスコミにより人為的便宜的に流されたもののようで、それもあって気持ち悪さが倍増しているようだ。無人機の分野ではローカルなマルチコプターといった名称のほうがまだすんなり入ってくるような気がする。
プロジェクションマッピングとデジタル掛け軸の関係とは少し違うような気もするが、事物の呼称の仕方を微妙に変えていくところを感じて何か似ている関係と思ってしまDk4 う。事物の呼称という殻と本質とのずれというかその感覚が、このデジタル掛け軸そのものにもつながっているような気もしている。

呼び方はどうあれ、万田坑のアートなプロジェクションマッピングは思った以上にインパクトが深かった。決められた順番に投影されるのではなく膨大なイメージがランダムに入れ替わっていくその感じがいい。プラトンの洞窟の比喩とイデア、そんなことも思ってしまう。ここでのイデアはコンピュータの中にあるということになる、アートはそのような方向にも向かっていくのだろうか。 ----美そのものがコンピュータで生み出される未来。
今は夜しかできないが昼間もできる工夫が出てくればものの見方、都市の見方が少し変わってくるかもしれない、そういう未来をも感じてしまう。 見え方と実態の果てしない乖離。

寒さを感じるようになったこともあり1時間ほど見て引き上げた。余韻が残っていて福岡の都市高速を走っているとすぐ頭上を飛び去る夜空に投影されたような旅客機の巨大な光も、いまだ続きを見せられているような気にすらなる。

これは何としても長生きしてこの世界がどうなっていくのかしっかり見なければならない、そんなことを考えていた。

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