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2015年10月10日 (土)

宮古島で気になったもの

宮古島で気になったもの、それは幾らもあるようだが、まずはいかに日本国が先島諸島に冷淡であったかという事実だ。少々驚いた。

宮古島を巡っていて鳥を見に大野山林をのぞいたついでに近くにある宮古島市総合博物館に寄った。天気が悪ければ行くとしていた候補の筆頭なのだが天気は晴れが続き後回しになっていた。
Miyakomus 歴史的な遺物の展示があり、次に動植物などの展示がある、普通の博物館だ。展示品の写真撮影は残念ながら不可とされた、この中に閉じ込めておくのはちょっともったいない気がする。
まずは歴史から見だしていく、弥生期とは書かず新石器時代として土器の展示がいくつかある。本土とは時代区分も違うのかもしれない。
文書ではっきりした年代のわかる歴史は14-5世紀以降のようだ。

見ていくと明治維新後の展示にエッという文字が現れる、清への割譲案だ。
琉球は清国とも冊封関係(さつほう......封建体制の関係とほぼ同義とされる)にあり、明治新政府は一方的に廃藩置県を推し進めるわけにはいかず清国との間で琉球の扱いについてもめていた。
この時たまたま東洋を巡っていた米国の前大統領のグラントが清と日本の間に入り仲裁という形で、奄美は日本へ沖縄は独立そして(宮古・石垣などの)先島は清へとの提案を日本にしてきた。日本側はこれを受けて沖縄は日本に先島は清にそして最恵国待遇条約の追加という少し日本に有利にした案で清に提案した。この案でまとまりかけたが結局清内部で異論がMiyakomapx 出て最終合意に至らず棚上げ状態になって日清戦争に突入したというものだ。
要するに宮古島や石垣・西表はすんでのことで最恵国待遇と引き換えに清に割譲されるところだったというのだ。なんという冷淡さなのだろうか。出来たばかりの明治政府は先島の防衛までは手が回らないと感じていたのかもしれないが、それにしてもだ。

宮古島の歴史は当然のことだが、内地のどの地方とも全く違っている。
博物館には展示が見つからなかったが宮古島上野のピンザアブ洞穴からは25000年前の人骨が出土しているはずだ、これは沖縄本島で発見された港川人より更にいくらか古く、日本最古クラスの人骨ということになる。遺物は国立科学博物館にすべて移されているようだ。
島つたいに北上していく日本人の原型の一つがここにあったに違いない。南方系の縄文人とMiyakoumi なり日本の文化の源流を形作っていったのだろう。南の島に遊びに行くとなにやら楽な気持ちになるのはそうした歴史がDNAのどこかに刻印されているからかもしれない。

サンゴ礁の海を見その音を聞きながら木漏れ日の中でゆるい風に当たっているともう何もいらないと思えてくる。何やら学ぶことの多い島だ。

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