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2015年11月25日 (水)

軍艦島,心象

軍艦島は1974年の閉山の1年前までフル操業だった、それが急に終結を迎えた。島には豊かな生活があった。打ち捨てられたコンクリートの街は高い防波堤をも越えてくる荒波で壊され続けている。

崩れゆく
       軍艦島に波高し

トビ舞いて波砕け
  雨に風 朽ちゆく壁に音もなし

ビビビュー嵐廃墟の街を過ぎ

 違うんじゃないのと声有り軍艦島

子らの声空に響けむ

  時は去り 人夢ありし軍艦島 

雨けぶる軍艦島に秋深し

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2015年11月21日 (土)

嵐の中軍艦島に向かう

軍艦島のバスツアーの広告が目にとまった、いつかは行くべきかと思っていた場所だ。福岡から日帰りでホテル昼食がついて一人1万円弱だ。車を走らせて2人で行くとしたGunkan1 場合の一人当たり費用とほぼ同じくらいで、悪くない。申し込むと天気が悪そうでも事実上日が変えられないのが難点だが、楽な魅力には勝てずエイッと申し込んだ。

当日が近づくにつれ土砂降りの嵐との見通しが強くなる、軍艦島を低気圧の真ん中と前線が通過する、これは船が出ないかもしれない、出ても上陸できないかもしれない、どうしたものかと悩ましいが行くかキャンセルしか選択は残されていない。キャンセルはつまらないから最悪は荒れた長崎の観光でもと腹をくくって出かける。当日朝の軍艦島直近のMSM予測値では雨は出航直前には収まり何とかなるが風は6-8mで上陸条件(5m以下)のクリアはかなり疑わしい天候見込みだった。
雨支度を整えて集合場所に向かうバスから降りるといきなり土砂降りの雨が来る。予想外だ、集合場所近くのコンビニでコーヒーを飲みながらのんびり待つ、こんな時の100円コーヒーの有難さは代えがたい。
それらしいバスが現れて駆け込むように乗り込む。乗ってしまえば土砂降りでもなんでも構わないのが気楽だ。途中2か所で参加者をピックアップしてほぼ満席となる、平日だけに女性が多い。
長崎市内に入る頃には雨はほとんど上がって、カステラ屋と昼食場所のホテルを訪れる。天気は予想と大分違うが、悪くない。
さていよいよ乗船となる頃また小雨が降り出した、気温はまだ高いままで風も大したことなく前線が通過した気配はない、これから荒れてくるのかと気になるが、出航してしまえばあとは船長の腕ということになろう。船は伊王島を過ぎて湾外に出るが波は大したことはない、まだ前線通過ということではないようだ、高島を経由して軍艦島に近づくが桟橋に先行する船が停泊していて接岸待ちとなる、1隻しか接岸できずスケジュールを組んで各クルーズ船が調整して使っているようだが着岸はできるだけ早く離岸はできるだけ遅くと各船が粘るようで仕方のないことなのだろう。
岸壁は浮桟橋ではないので
潮位に応じて階段状になった高さの最も近いところに着けてタラップを渡す。入江になっているわけではないので確かに南東の風で海が荒れると着岸は難しい、というか危ない。着岸の頃には前線が通過しつつあったようで北西の方から波が寄せている、これなら大丈夫そうだ。
とにかく上陸できたがまた雨足がやや強くなる、カメラを構えて写真を何枚も撮るが水滴の映り込みやピント合わせはかなり疑わしい、落ち着いてみればすべて失敗ということもある。一応カメラ本体は防水仕様なのだがレンズにはそんな仕様は何もない、壊れてGunkan2 もいいかと雨に晒しながら写す。遊歩道コースから眺めるだけだが、思った以上に破壊が進んでいる、波の力がすごいようだ、立派な防波堤もこの前の台風で一部が壊されている。防波堤を越えて入ってくる波の破壊力で壊されていくという。人が住まなくなって40年以上経つ都市はこうなるのかとも思わせる。人類が何らかの理由で死に絶えたらこういう景観になっていくのだろう。
乗船はタラップも外されて岸壁に船を直接押し付けて一人ひとり助けられながら乗船する。このほうがまだ安定すGunkan3 るのだろう。
ともかくほぼ予定通り船は出航して長崎港に戻った。結構大変なツアーだ、長崎市がわざわざ条例で上陸条件を定めているのもうなずける気がする。
戻って予想した天気の推移がどう外れたか検証してみる。どうも低気圧の中心部が計算にはうまく乗っていないようで、台風に似て中心に大きな眼ができていたようだ、眼に相当する部分に入ると急に気圧が下がり雨が止んでいる。風もこの部分が通過する間はさほど上がっていなGunkantenki2 い、予想ではこの間が最も風が強くなるとしていた。低気圧の中心部での信頼性は今一つのようだ。現在の数値予報の限界を見た思いがしてそれはそれで貴重な体験ができたようでもある。(当日14時の実際の雨分布観測値(上)と数値予測(下))

写真は恐れたいたように半分以上が失敗だった。しかし雨が降っても嵐になっても旅は面白い。むしろ嵐こそといGunkanyosou1 うべきかもしれない。

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2015年11月19日 (木)

Lrs-Bの話

何気なく日経ビジネスをパソコンで読んでいたら「アメリカ空軍の次期長距離爆撃機をノースロップ・グラマンが受注した」との文字が目に入って、おや、と思ってしまった。仕事をしている頃なら何かと気になる話でとっくに知っていようものをこんなふうにのんびりと居間で読むことになるとは、というのが、おや、の感覚の出どころだが、やはり気になるものは気になる。

Uslongrangebomber Long Range Strike-Bomber (LRS-B)というのが正式の名称だが、どこの企業でこの機体が開発されるかで米国の軍需企業の今後のそれぞれの立ち位置が随分と違ってきただろう。なにしろ80B$のプログラムだ、およそ10兆円ということになる。 ノースロップグラマンはこれを取れなければ空軍の第一線機開発の仕事を当分できないことになり、技術の継続を保てなくなると危惧されるところだったはずだ。
対抗馬であるボーイング=ロッキードチームからはすかさず選定に異議ありとの申し出が出された。数年前の空中給油機の選定では同じようなパターンでボーイングの異議が通り選定がひっくり返った経緯があるが、選定した米国防省もそのときまず選ばれたノースロップグラマンも経験済みのことゆえ今回はそう簡単には行くまい。

そもそも長距離攻撃爆撃機とは何か、なぜ必要なのか。 非常に単純には現在のB-52をはじめとする爆撃機が旧式化し老朽化してくるためこれを置き換え軍事力の低下を防ぐために必要ということになろう。
何故戦略爆撃機が要るのかというのには幾つかの言い方があるように思うが、ICBMなどの核ミサイルが事実上使えない兵器になっていて、戦略的な攻撃を行うには爆撃機が必要というのが最もわかりやすい説明だ。
戦略兵器については新START条約で制限があり大型の核搭載爆撃機の数は規制されている。規制されない程度の航続能力の爆撃機を保有して将来起こるかもしれない事態にいかようにも対処できるようにしておきたい、というあたりが正直なところだろう。
要求性能等は一切公表されておらずすべてが憶測だが、コンバット半径は規制にかからない2500nm位ではないかと言われている、そんなあたりだろう。B-52より無論はるかに小さい。
1機当たりの量産価格が550m$以下というのが大きな縛りになっているようで、ノースロップグラマンが勝ったのは価格が低かったということらしい。巨額のプログラムだが普通の入札の感覚のようだ。 しかしこのすさまじい軍事費を払い続ける米国にはあきれるばかりだ。

米国の突出した軍事力プレゼンスの時代はいつまで続くのだろうか。すべてのことには終わりが来るものだがこの終わりには抑えられていたものが暴れ出す大混乱の未来があるのかもしれない。

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2015年11月12日 (木)

井上孝治写真館

このところ九州国立博物館、福岡市美術館、井上孝治写真館、と、文化財や写真の展示を立て続けに見ている。それぞれに感じるところがあるが印象に残っているのは

やはり最後に見た井上孝治写真館だ。有名な歴史的名品を見るのも素晴らしいが、生身の人間を感じるもののほうが印象が強い。

井上孝治という写真家については全く知らなかったのだが、ネットで何かを調べていてIk01 たまたま遭遇したのが糸島の井上孝治写真館から玄界灘を眺めた写真だった、こんなところがあるなら行ってみなければ、そう単純に思った。
最近は自分にしっくりする空間というか人というか、そんなものを見つける感覚が良くなっている気がしている。

 井上孝治とはどんな写真家なのか、ネットで調べながら、とりあえず訪問を予約した。別荘地にある個人の住宅のようだが、だれでもホームページから予約さえすれば訪問できる。訪問記も幾つかネットに出ていてこれを読むと殆ど個人が個人をもてなす風の写真館のようだ。土日しかオープンしていない。

近くの城南図書館にあった氏による写真集「こどものいた街」を直ぐに借り出し眺めてみる。昭和30年代前半の福岡の普通の子供の姿をとにかく撮っている。自分の記憶が呼び覚まされてくるのを感じる。
泥んこ道、集まっては道や広場で遊ぶ、その頃の空気がそのまま感じられる。どこかに自分の姿が写っているのではないかと探してもみる。
確かにこんな写真集は見たことがない。最初に出した写真集「想い出の街」も総合図書館から借りてくる。同じようにやはりこどもが中心だ。
撮れそうで自分ではなかなか撮れないショットばかりだ。井上孝治はろうあ者だった、しかしそれを全く感じさせない写真だ、それどころか被写体となった子供たちと会話を楽しんでいるようにすら思える。


予約当日、住所をナビに入れて写真館に向かう。管理事務所で別荘地のゲートを開けてもらい場所を聞いてクルマで登っていくが行き止まりにはまったりしてたどり着けずまた事務所に戻って聞き直す。
やっとたどり着いて見晴らしの良いテラスから1Fの写真が展示してある部屋に通される。井上孝治さんのご子息で写真家の一さんが対応して頂ける。玄界灘に臨む眺めがIk02 いい。と、鳥の群れが左手より現れる、マヒワのようだ。塊になってこんな風に飛び回るマヒワの群れは随分前に日光の別荘地で見た限りだ、それ以来だ。150羽位いるだろうか。一旦は遠ざかってまたうねるようにして近づいてくる。新たな訪問者を見定めるかのようだ、鳥はよくこんな風に人間に処するような気がする。
安心できる人間と見定められたのか ほど近い木の茂みに舞い降りて木の実をつつき始める。いい眺めだ。やはり来るべきところだった、そう思えた。

Ik03 展示されている写真は井上孝治自身が1950年代にプリントした30点ばかりだ。写真集のものよりぶれもなくピントもいい、少しばかりよそいきの写真のようにも感じる。フォトコンテスト荒らしともいわれたコンテスト向け写真はまだ見てはいないが、いかにも、という写真も数多く撮られたのだろう。
こどもを中心にした街の風景は動きがあって生き生きしていて面白いが、コンテストにはそぐわないだろう、いい写真とは何なのか改めて考えさせられる。

2階でおいしいコーヒーとお菓子が出て、しばらくの間談笑する。さえぎるもののない眺めがあり、居心地がすこぶるいい。

風と鳥と海と写真と、思った通りの雰囲気だった、この雰囲気を最初に見たここからの眺めの写真で、察していた。
感じたままに、思ったままに動いていけば、これだというところに吸い寄せられていく、そうなんだろう、そんな歳になったのだろう、そんなことを考えながら小雨の降りだした別荘地を後にした。

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2015年11月 5日 (木)

日本シリーズの切符とノゴマと

ソフトバンクの優勝があっさり決まりなんとなく静かな日々に立ち戻った。
日本シリーズはヤクルトも結構強そうで もつれると踏んでいた、優勝決定に立ち会いたくて第7戦の内野ペアシートを買っていたのだがむなしくも払い戻しとなった。初めての体験だ。ネットのカード決済で買ってローソンで受け取った切符だったが払い戻しはローソンから現金が出てくる、決められた手続きだが何だかコンビニの人に申し訳ない気持ちがしてしまう。
後はサッカーのアビスパがJ1昇格を果たすかが興味の焦点だ。これは14日の最終戦或いはプレーオフまで持ち越されるかもしれない。ともかくもうすぐ結末に至る。
一方で、自宅近くには例年通り陸奥(みちのく)部屋のけいこ場もいつの間にか動き始めて散歩中に力士の姿を見かけるようになる、九州場所ももうすぐだ。ここまで過ぎると本当に静かになって後は正月を待つばかりとなる。

歳をとるとあっという間に時間が過ぎていくというが確かにそうだ、去年のことなど遥か昔のことのように思えてしまう。目の前の時間が次々と背後へ押しやられ猛スピードで去っていく、引き伸ばされながら速足で去っていく過去、不思議な感覚だ。

昨日は久しぶりに春日公園まで散歩に出かけた。いかにも秋晴れという日は外を歩きたくなる。
駐車場に車を置いて池のほうへ向かう、何かいるみたいと家人の声がして指し示す方向を見ると鳥を追っている風情のカメラをかかえた十人ほどが茂みに視線を集めている。
Nogoma 近づいて中の一人にそっと尋ねるとノゴマだという。あの夏の北海道でしか見たことのないノゴマがと一瞬まさかと思うが、南に渡っていくからには今頃九州を通過していても確かにおかしくはない。
今は見えなくなったが茂みに出たり入ったりしているのでじきにまた出てきますよ、との言葉に従って暫く眺めていると、植え込みの暗がりから姿を現した。確かにノゴマだ。さえずりは一切しない。シャッターのバシバシ落ちる音がして右手に去っていくが驚いた風でもなく何かのんびりしている。渡りの途中で一休みというところだろうか。
植え込みで薄暗いこともあってぶれやピンボケで写真は出来が悪い、しかししっかり見た。九州でノゴマは初めてだ。東南アジアで冬を過ごすと言われているのでこの小さいノゴマも宮古島も通って更に南に行くことになろうが、見ていて何か信じられない思いがする。どこにその元気があるのだろうか。

初めての経験を次々に残しながら時は前へ前へと進んでいく。流れに浸りながら、目の前の今が大事だ今見たいものを見 したいことを直ぐやらねば との感覚に押される、時間に押される。
押してくる時間、本当はそんなものはどこにもなくてあるのは透明な時間だけなのだが、そんなことは勿論解っているのだが。


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2015年11月 3日 (火)

シナイ半島で墜落したロシアのA321事故原因推定が一筋縄ではいかず

また巡航中の旅客機墜落事故だ。
2015.10.31,6:13現地時間(4:13 世界標準時)、ロシアのメトロジェットが運航するエアバスA321-231がエジプト・シナイ半島で巡航約30000ftの高度から一気に墜落した。
乗客はロシア人209名、ウクライナ4名、ベラルーシュ1名とほとんどがロシアからシナイ半島のリゾートに遊びに来た客だ。
機体は1997年製で18年使われておりリース会社からリースを受けている、エンジンも18年たったIAEのV2533-A5でこれも古い。
事故機はエジプト第一のリゾート都市でシナイ半島南端にあるシャルム・エル・シェイクを飛び立ちサンクトペテルスブルグに向かっていた。エジプトはシャルム・エル・シェイクの治安にはことのほか力を注いでおり数少ない安全な都市としてヨーロッパ・ロシアからの観光客を多く引き付けていた。
  事故後シナイ半島北部で戦闘しているISシナイ州と名乗るテロ集団が撃ち落としたと声明を出しているが30000ftを飛行する航空機を打ち落とすミサイルを所持しているとは到底考えられず、はったりと思われている、多分そうだろう。
機内で爆弾を爆発させた可能性は完全には否定できないが、シャルム・エル・シェイクの治安にはことのほか力が入っていることから、可能性は高くはないと思われる。
気象条件は特に問題となるようなものはない。
Flightradar24機体のフライトレコーダ、ボイスレコーダは回収されエジプト当局により解析が始まっておりこのデータが極めて注目されるが、まだ暫くは時間がかかるだろう。
現在得られているデータはADS-Bの出力としてFlightradar24が公表している高度・速度のモニターデータがあるだけだが、これを見ると墜落直前に急に高度を3000ft上げているところが目に付く。
速度は維持したままなのでエンジンを急激にスプールアップしたことになる。このような操縦は通常とは思えず、エンジン制御あるいはエンジンそのものに何らかの異常が起こったことを示しているようにも思える。
何らかの不具合でエンジン制御が暴走しタービン破裂にまで至った、これが機体に致命的な損傷を与えて墜落に至ったというシナリオが考えられなくもない。
多くの国が関わっており今後事態は どのように展開していくだろうか。事故原因の解明は難しいものがあるように予感させられる。観光産業に深刻なダメージを受けるエジプトは大丈夫だろうか。

それにしても、難民問題や、ギリシャ不安や、テロや、航空機事故と海外に遊びに行く気がしないことばかり次々に起こってくる、こんな時はおとなしくしているのがよさそうだ。こうやって世界経済は縮んで行くのかもしれないのだが。

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