井上孝治写真館
このところ九州国立博物館、福岡市美術館、井上孝治写真館、と、文化財や写真の展示を立て続けに見ている。それぞれに感じるところがあるが印象に残っているのは
やはり最後に見た井上孝治写真館だ。有名な歴史的名品を見るのも素晴らしいが、生身の人間を感じるもののほうが印象が強い。
井上孝治という写真家については全く知らなかったのだが、ネットで何かを調べていて
たまたま遭遇したのが糸島の井上孝治写真館から玄界灘を眺めた写真だった、こんなところがあるなら行ってみなければ、そう単純に思った。
最近は自分にしっくりする空間というか人というか、そんなものを見つける感覚が良くなっている気がしている。
井上孝治とはどんな写真家なのか、ネットで調べながら、とりあえず訪問を予約した。別荘地にある個人の住宅のようだが、だれでもホームページから予約さえすれば訪問できる。訪問記も幾つかネットに出ていてこれを読むと殆ど個人が個人をもてなす風の写真館のようだ。土日しかオープンしていない。
近くの城南図書館にあった氏による写真集「こどものいた街」を直ぐに借り出し眺めてみる。昭和30年代前半の福岡の普通の子供の姿をとにかく撮っている。自分の記憶が呼び覚まされてくるのを感じる。
泥んこ道、集まっては道や広場で遊ぶ、その頃の空気がそのまま感じられる。どこかに自分の姿が写っているのではないかと探してもみる。
確かにこんな写真集は見たことがない。最初に出した写真集「想い出の街」も総合図書館から借りてくる。同じようにやはりこどもが中心だ。
撮れそうで自分ではなかなか撮れないショットばかりだ。井上孝治はろうあ者だった、しかしそれを全く感じさせない写真だ、それどころか被写体となった子供たちと会話を楽しんでいるようにすら思える。
予約当日、住所をナビに入れて写真館に向かう。管理事務所で別荘地のゲートを開けてもらい場所を聞いてクルマで登っていくが行き止まりにはまったりしてたどり着けずまた事務所に戻って聞き直す。
やっとたどり着いて見晴らしの良いテラスから1Fの写真が展示してある部屋に通される。井上孝治さんのご子息で写真家の一さんが対応して頂ける。玄界灘に臨む眺めが
いい。と、鳥の群れが左手より現れる、マヒワのようだ。塊になってこんな風に飛び回るマヒワの群れは随分前に日光の別荘地で見た限りだ、それ以来だ。150羽位いるだろうか。一旦は遠ざかってまたうねるようにして近づいてくる。新たな訪問者を見定めるかのようだ、鳥はよくこんな風に人間に処するような気がする。
安心できる人間と見定められたのか ほど近い木の茂みに舞い降りて木の実をつつき始める。いい眺めだ。やはり来るべきところだった、そう思えた。
展示されている写真は井上孝治自身が1950年代にプリントした30点ばかりだ。写真集のものよりぶれもなくピントもいい、少しばかりよそいきの写真のようにも感じる。フォトコンテスト荒らしともいわれたコンテスト向け写真はまだ見てはいないが、いかにも、という写真も数多く撮られたのだろう。
こどもを中心にした街の風景は動きがあって生き生きしていて面白いが、コンテストにはそぐわないだろう、いい写真とは何なのか改めて考えさせられる。
2階でおいしいコーヒーとお菓子が出て、しばらくの間談笑する。さえぎるもののない眺めがあり、居心地がすこぶるいい。
風と鳥と海と写真と、思った通りの雰囲気だった、この雰囲気を最初に見たここからの眺めの写真で、察していた。
感じたままに、思ったままに動いていけば、これだというところに吸い寄せられていく、そうなんだろう、そんな歳になったのだろう、そんなことを考えながら小雨の降りだした別荘地を後にした。
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