コルトレーンも生誕90周年になる
やっと寒くなってきた、北極の寒気が樺太付近まで移動してきていて現在世界で最も寒い地帯が北海道の直ぐ西北にまで迫っている。冬型になると福岡の地は低い雲に次々に覆われて薄暗く寒い日々となる。本を読んだり音楽を聴いたりするのにちょうどいい。
「コルトレーン:至上の愛の真実」という本を読んでいる。2002年にアシュリーカーンによって書かれたジャズの歴史ドキュメンタリといえる本だ。思えば今年はコルトレーン生誕90周年の年になる。死の前の年に来日した演奏を神戸で目の当たりにした時の隔絶感というか手の届かない所に行ってしまったという切ない感じを今も時おり思い返す。何が起こっていたのだろうか、気になっていた。
驚くことにこの本の資料を著者アシュリーカーンに豊富に提供したのはコルトレーン研究家として世界一だと訳者もいう藤岡靖洋氏だったとあとがきの部分にある、勿論氏は和訳にも多大に協力しているようだ、大阪の呉服店店主というこの藤岡氏にも興味をそそられた。少し調べると1953年生まれの方でコルトレーンの来日コンサート時は中1だから直接本人の演奏を聴いてはいないかもしれない。翌年コルトレーンの亡くなった時のショックをどのくらい味わったのだろうか。同時代の研究家というより死んだ後の研究家ということなのだろう。少しクールに向き合えた分、研究家として色々よく見、調べることができたということかも知れない。でもそんな仕事ができた人が米国人ではなく日本の呉服店主だというところが愉快だ。
とにかく読み進むと知らなかった話に次々に出会う。1957年に止めるまでコルトレーンは麻薬の常習者でそれが故に最初のマイルスデイビスのグループをクビになったこと、1957年に麻薬を止めてから堰を切ったようにジャズを先へ先へと追求し続けて10年で亡くなってしまったこと、時間があれば常に練習し続けていたこと、これまでに作られた曲を全部覚えている4人の凄いジャズミュージシャンのうちの一人とされる程にあらゆる曲を構造的に理解した上で新しい道を追いかけていたこと、プレスティッジのジャムセッションのようなレコーディングの仕方、インパルスレコードの誕生の経緯、等々等々、いちいちそうだったのかと思いつつ、何とはなしにその頃の時代の雰囲気が蘇ってくる。
手持ちのコルトレーンのレコード(Ole coltrane,Coltrane(1962),他)やCD(Giant steps,My favorite things,Love Supreme,他)を聞きながら読んで行く。
Love Supremeの演奏では第4楽章にあたるPsalm(賛美)ではコルトレーンが自作の神を讃える詩の朗読をテナーサックスで吹いているのだが、ドラムのエルビンジョーンズはこの時演奏していてまさかサキソフォンで詩を朗読しているとは思わなかったと述べていて、そんなものかと思ってしまう。聴き直してみるとエルビンジョーンズはこの時ティンパニーを叩いているのだが、いかにも神への讃歌の伴奏のように荘厳さを醸し出していると聞こえるから不思議だ。ライナーノートの詩を目で追いながらコルトレーンのサキソフォン朗読を聴いてみるが言葉ではないのでどこを朗読しているのかぴったりは解らない、でも面白い。神の讃美そのものにはちょっと。。。と思ってしまうのだが。
それにしてもコルトレーンをかけると昔のジャズ喫茶の雰囲気がたちどころに居間に出現する、1960年代から現在に至る時間が一つになっているようでまるで時間がプールされているように感じるのが面白い。
天気がすぐれない日はこんな時間の過ごし方がいいようだ。
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