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2016年3月31日 (木)

ギリシャを旅する4-----エーゲ海1日クルーズ

ツアーの中にエーゲ海1日クルーズというのが含まれていて少しはエーゲ海の雰囲気を味わえるかと期待Egeseaしていた。
エーゲ海といってもそのうちのサロニコス湾と呼ばれるペルポネス半島とアテネのあるギリシャ本土に囲まれ
た海域で、クレタ島などのある東地中海をさしてよく使われるエーゲ海という響きからはややずれることにはなる。

双胴船で安定が良い上に波がとりわけ静かで滑らかな航海が始まる。
アテネのピレウス港を出港するところから岬の上まで白い Egesea6a 箱型の家で埋まった景色が現れエーゲ海の雰囲気となる。カモメが近くに見えるが足が黄色いもののウミネコではない、日本に帰って調べるとYellow-legged gullというカモメのようだ。日本付近にはいない種類で、海もカ
モメも同じようだがちょっと違うところが地中海らしい。

アテネ港を出たあたりがサラミスの海戦があったところに近いは ずだが、なんでこんなところでペルシャ軍は海戦をするに至ったのだろうと思ってしまう。アテネ側がうまく仕掛けて海戦に引き込んで勝利に至ったのだろう。しかし静かな海だ。

イドラ島、ボロス島、エギナ島と順に回る。どれだったか、島に近づくと35ftから
Egesea240ftくらいのクルーザーが2隻のんびりでてくる。こんな海ならいかにも遊べる海だ。正直こEgesea4 んな海でヨットで遊んでみたい。
島の港は観光客相手でにぎわっている。 海の水は港近くで見ると透明でキラキラしているが航行中はサンゴ礁のような明るい海ではない、当たり前のことだが、海を見るだけなら宮Egesea5 古島の海がやはり綺麗だ。
Egesea3 食事が出たり踊りがあったりと前にハワイで乗ったホエールウオッチング&ディナークルーズに少しは似ているが、ツアーに完全に組み込まれていると何となく開放感が今一つの感じがしてしまう。そういうものなのだろう。何かを得ようとすれば何かを失う。ツアーで楽をしようとすると開放感が減ってくる、どうしようもないことだ。
エギナ島ではアフェア神殿を見に行く。パルテノンとポセイドンの両神殿と正三角形の位置にあり高さも同じに合わせていると船の中で説明される。本当だろうかと帰って検証してみる。9egesea 地図を見るとすぐわかるのだが明らかに正三角形ではない、しかしパルテノン=アフェアを底辺とする2等辺三角形ではあるようだ。少し大きな地図で見るとデルフィから南東に向かう大きな矢印となっているように見え、矢印の向かう先にはミノス文明よりさらに古いキクラデス文明(BC30世紀)を生んだキクラデス諸島が認められる。地球のへそといわれたデルフィとキクラデス文明をつなぐ何かを壮大に示し ているようで極めて興味深い。エーゲ海には人類文明の源が確かにあるような気がしてくる。

アフェア神殿はEgesea7小島の神殿とは思えない堂々とした作りだった。資材は本土から運び丘の上まで持ち上げて建造している、目にしている遺跡は紀元前5世紀で最初の神殿はもっと遡るのだろう。
エーゲ海クルーズは終盤となりギリシアダンスが始まる、喧騒から逃れて落ちゆく夕日をぼんやり眺めていた。
何も考えずに眼前の光景に向き合うとそこにはすべての 歴史が凝縮して流れていくようで、我々は古を繰り返しているだけではないのか、すべての答えがここにあるのでhないか、そんな
Egesea8_3気がしてきて時間の壁のない茫洋とした感じに浸るに至る、そんな感覚を味わうのにふさわしいのがエーゲ海の船旅かもしれない。

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2016年3月28日 (月)

ギリシャに旅する3-----デルフィ、メテオラ

アテネから北へデルフィを経てメテオラにチャーターバスで向かう。両者とも当然のごとく世界遺産だ。北上する高速道路E75から南西に折れて山越えしながら次第に雪をParnasos 被ったパルナッソス山の山麓に接近する。最初にオシオスルカス修道院というところを見る。10世紀のギリシア正教の修道院でこれも世界遺産だ。ギリシャは古代遺跡のほかは中世のギリシャ正教遺跡に見るべきものが多いようだ。カソリックの教会と全く趣の異なる建築になっていて、ユダヤ教とイスラム教とキリスト教は同じ旧約聖書を信奉している根は同じ宗教だと実感する。晴れていい日だ。
テーバイとデルフィを結ぶ道に沿って西へ向かう。この道Osioscar に沿って進むと、オイデプスの悲劇でオイデプスがデルフィ神殿で神託を受けた帰りそれとは知らず実の父ライオスに遭遇して殺害してしまうボーキスの三叉路のあったあたりに差し掛かる。この地点という明瞭なマーキングは無い。ゼメノウ付近の山道がそうらしく、そのあたりを見上げるばかりだがどう三叉路なのかはよくわからない。もともとがギリシア神話でありアイスキュロスやソフォクレスがこれを題材にしてオイディプスの悲劇を描いたものだから、どこまで現実の世界とつながるのかはぼやけているが、Oideps デルフィもテーバイも残っておりそこが舞台なのは明らで邪馬台国の卑弥呼の話よりかなりリアルだ。山に囲まれた険しい街道という感じが伝わってくる。谷の道の三叉路としている解釈もあるようだが山道から突き落としたと考える方が舞台としてはありそうに思える。ゼメノウの直ぐ西のアラホバという小さな町で休憩する。貸スキーの看板も出ていて今はパルナッソス山でのスキー客をあてにしているような風情がある。ギリシャでスキーとは思わなかったが2500m近い山だから確かに冬はスキーができそうArahob だ。街そのものはデルフィとテーバイを結ぶ街道の宿場町の形で古い歴史がある。
デルフィが標高600m位有り、デルフィから高度をあまり落とさないように山腹に付けられた道でテーバイの間の峠を越えたのだろう、片側が崖のような道で馬車を突き落としたということはありそうな設定だとまた思う。三叉路そのものは大きな分かれ道というほどのことはなく枝道との分かれ道ということではないかと思う。
狭い山道で口論となり父親をはずみで殺してしまったというイメージが湧い
Derphiてくる。
2500年前の世界と今が普通につながっているのが感じられて日本のぼんやりした古代のイメージとはだいぶ違う。

デルフィの神殿は紀元前11世紀ころから神託の地とされていたようで、広い地域から捧げものを持って神託を得に多くの人々がやってきていたようだ。地球の中心のへその石もある。
デルフィ神殿は山の斜面が崩れて埋もれてしまっていたのを19 Derphi2世紀に発掘されたという。石に掘られた文字が数多く出 土しており当時の様子が具体的に解明されているようだ。現在使われているギリシャ文字とほぼ同じ文字で記述されている、文字の力は大きい。地下から湧いてくるガスを巫女が吸って朦朧となった状態になり神託を伝えるということが行われていたようだ。当時のギリシャ社会で非常に重要なポジションにデルフィは位置づけられていて、ペルシャの海軍を打ち破ったサラミスの海戦もデルフィの神託に従った結果とされているようだ。次々と学んでいく旅だ。

デルフィを後にHeigenして北のメテオラに向かう。ギリシア中部の平野部を横切るが、ほとんどが牧草地になっている。広い平原でいい畑になりそうな気がするが畑をシコシコ耕すというのはあまりギリシャ人の相に合わないのだろうか。ギリシャ料理ではどこか野菜が貧弱なような気がして少々合点が行かない。
デルフィを出て3時間くらいひたすら走って日が暮れた頃メテオラ近くのカランバカの宿に到着する。
メテオラは世俗を絶った修道士たちが14世紀頃から険しMeteora1 い岩山の上に篭りはじめ次第に修道院の形を成して現在に至っている。修道院を経済的に支えるためもあって観光客へ開かれた修道院が幾つかある。今回はメガロメテオラと聖ステファノの2つの修道院を訪れた。内部のイコンやどこか東照宮に通じる装飾も興味深いが何といっても岩山の上に造られたその景観が圧倒的だ。黒いコウノトリであるナベコウがゆったりと飛翔を見せてくれたりもする。絶景といってよい。
デルフィといいメテオラといい宗教の力を見せつけられる。テロに怯える今もそうなのだろうか。
旅は続く

Meteora2

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2016年3月26日 (土)

ギリシャに旅する2---アテネにて

アテネ空港にやっと到着したその足で即パルテノン神殿に向かう。旅行社のツアーは無駄がないというかなさすぎるというか、体力勝負のところがあるが、今回は腹具合のおかしいのを引きずっていてなおさら元気が出ない。とにかくスケジュールに従って動く。

Athen1 アテネの街はどうなっているのだろうかと気にかけていたが拍子抜けくらいになんの危機感もない。エーゲ海を渡ってきた避難民の姿は全く見えないし、経済危機でホームレスが溢れるという風景も全くない。
バスの現地ガイド(日本人)の話では、経済危機でそれまで流れ込んでいたスリやこそ泥のような治安悪化の元となった人達がここはもう商売にならないとほかの国に移って行って、以前よりむしろ安全になったとさえ思えるという。その主張がそれらしく思える程に街はいたってノーマルだ。
Athen5 3日後のエーゲ海クルーズの時にも聞いたが日本人観光客が一時よりだいぶ減っているという、これは風評被害と思われる部類ではないかとの気がしてくる。マスコミはマスコミのストーリーに合わない状況はあえて報道しないようにしているのかとも思える。来てみないとわからない。

アクロポリスの丘に登ってパルテノン神殿を見る。紀元前5世紀にこの巨大建築をこの高台に、というところに素直に驚く。地震のある国でこんな建築をよくやる気になったParutenon と思う。とてもかなわないと思わせる力を見せつける建造物なのだろう。大理石が豊富にあるということも無論関係しているのだろうが。ピラミッドの超巨大建築の事を思えばこれくらいは驚くに当たらないというのが当時の感覚だったのかもしれない。
新アクロポリス博物館の3階には大英博物館に持ち去られた遺跡建造物を返してもらった時に入れ替える現物のレプリカが石膏で痛々しく展示してある。大英博物館で神殿の展示を以前見たことがあるが誰がどういってもこれAthen3 は英国による強奪だ。そんなこともあって英国はEUに居づらいのかもしれない。パルテノンのすぐ北にあってこの地に残されているエレクティオン神殿の少女の柱像などは建築の構造の一部として見事に彫刻を用いていて2500年前ということは関係なく時を越えて美しい。
とにかくギリシャにも随分言い分は有りそうだ。

自由時間がわずかに取れた日にトラムに乗って街の中心Athenx1 部のシンタグマ広場前まで出て国営公園からゼウス神殿辺りを散策してみた。トラムの切符は1.4ユーロで事前に停留所にある自動販売機で買えばいいのだが枚数などを順に選ばずに先にコインを入れると認識しなくてただ取りされてしまうとか紙幣を入れようとしても入らなくて苦戦していると見かねた人がお札はスタックしてAthen11 いて入らないと手ぶりを交えて教えてくれたりもして日本のようにやさしい機械にもなってもいない。オリンピックを機にしゃれた市電ができたが作法に従わないと戸惑う代物のようだ。でも乗ってしまえばどこで降りるか景色を見ながら決められて安心だ。

国会議事堂裏の国営庭園に入ると鳥が多い。ギリシアの野鳥図鑑は買えなかったがシジュウカラやクロウタドリやアトリの仲間が忙しく飛び交っては啼いている。都心で野Athen12 鳥を楽しめるいい場所のようだ。
Zappion(見本市会場)を抜けてゼウス神殿に至る。ここも巨大な柱が並ぶ。よく2500年も残ったと思う。周囲の石積も磨かれた大理石で最近作ったと言われてもそうかと思えるほどだ。時の流れをどこか超越している。
近くにある野口みずきがゴールした復活第1回のオリンピックスタディアムにも入ってみたりぶらぶらして宿に戻る。ぶらぶらできる所は沢山あって個人で来た方がやはり気楽だったかと思う、安全度合いがそう思わせるのだろう。
Athen13 楽な飛行機便さえあればまた来てもいいと思わせるちょといい街だ。

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2016年3月24日 (木)

ギリシャに旅行する1---アテネへ

ギリシャに遊びに行った。
ギリシャ経済危機やら難民が押し寄せている映像やら危なそうな印象が頭にあって、今回は個人旅行はやめてHISのツアーを利用した。
ヨーロッパ文明の源ギリシャはどんな姿であっても見るべきものがあるに違いないと思っていた。
久しぶりのヨーロッパで準備がぎこちない。気候不順で風邪が抜けきらない気もした、体調がいいとはとても言えない。でも出発した。
成田発のツアーを福岡から参加するのも初めてだ、成田線の737―800は満席だった。どうみても機体が小さい。13時過ぎのデパチャーだから食事をとカレーを空港で食べて成田へ向かうが体調が良くない時にカレーはまずかった、冷えた空調も効いて腹具合が不調になってくる。先が思いやられる。
成田で3時間ほど待ってやっと集合時間となる、13人+添乗員が揃って、見ると女性のひとり旅が半分を上回る、全部合わせても男性は2人しかいない。そんなツアーかと思う、危険な匂いのするところには男は行かないということか。久し振りの海外行きはアレッということが国内にいる所から次々に出てきて、やはり面白い。

Abudabi3

エティハド航空でアブダビ経由でアテネへ向かう。
まずはエアバスA340-600だ。A340は初めてで興味が沸いていたが、座席ピッチが国際線にしてはやや狭目かという気もする。まあこんなものだろう、満席だ。2-4-2の座席の窓側2
に座る、この配置はいい。

アメニティが色々ついていて耳栓もある、4発機の後部座席はやはりエンジン音がうるさくて、耳栓は有難い。Abudabi5

各座席にコンセントがついていてipadのバッテリー減りを気 にせず遊べるのはいい。いいところもあるがコンセントにはCプラグでないと旨くささらなかったし手探りでさすしかないのは不便だ。とにかく有るだけいい。

ヨーロッパ線で最後に乗ったのがA380だったのもあって初めて乗るA340だがトイレが少なかったりうるさかったり、印象がイマイチだ。やはりもう古い機体だ。エティハドはA350を大量発注しているので今後はそちらに期待したい。
Abudabi1 アブダビ到着は予定時間よりも1時間も早い、そういえば成田出発時間は直前で10分前倒しの時間がアナウンスされ、到着もこうだ。何か定時運航成績を良くするために小細工を弄している気がする、エアラインのランキングを上げようと必死のようだ。
アブダビで乗り換え時間を潰している時にブラジルに戻る途中だという中年の男性に出会った、40年ぶりの日本帰国を果たして戻るところだという。日本からは中東経由が南米には便利のようだ。エミレーツやエティハドの急拡大をAbudabi4 見ていると石油が枯れる日を見ながら中東諸国はその地理的位置という資源をビジネスに変えようと着々と投資を注いでいると思える。エミレーツのドバイの方がエティハドのアブダビより少し先へ行っていて空港としてモダーンなのは否めないのだが、アブダビも未だ空港整備の工事を続けており、早晩肩を並べるようになるのだろう。
アブダビからアテネはA320でこれも満席だ。イラク、シリア、イスラエル、レバノン といった危ない地域を通るのが直線ルートで、どいう風に飛ぶのか、と思っていたがアラビAbudabi2 ア湾をその形に沿って北上、雪山を見ながらイラク、シリアは避けてトルコに入りトルコの中央部を西へ抜けてギリシアへ至った。とにかく誤射でも撃ち落とされてはかなわない、相当にルートに気を使っているのが伺える、リアルな戦地だ。
とにかくやっとの思いでアテネ空港へ降り立った。家を出てから凡そ32時間後になる。長すぎる、成田ー福岡をほぼ往復するルートを取っていたり、いろいろ無駄が多く福岡アテネの直行便があれば半分位の時間でも行きそうだ。B787のようなハブ=アンド=スポークをバイパスするコンセプトの機体がやはり望まれているのを実感する。しかしともかくこれくらいかかると時差ボケも和らぐというものだ。

アテネは予想通り雨模様だ。大した雨でもなく翌日からは良くなるはずだから1日くらいはいいかと思う。疲れたが次々に思わぬことに出くわして、移動するだけでもやはり旅は面白い。

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2016年3月15日 (火)

Windows10のRuntime Brokerに驚く

Windows10をインストールしてもう6カ月になるが、また一つ頭を悩ませることが出てきた。Runtime Brokerである。
携帯用パソコンとして買ったLenovoFlex10の方の動きがおかしくなってきて、タスクマネジャーで調べるとRuntime BrokerというアプリのCPU負荷が異様に高い、70%近く出る。勿論このノートもWin10に変えてある。これは変だ、と調べ始める。
Runtime BrokerはWindowsストアアプリの挙動を監視するソフトで削除するのはとりあえずはやめた方がいいらしいのでそうではない対策を探す。
幾つかの書き込みを見ていくと、フォトというプリインストールされている写真閲覧アプリが怪しいようだ。フォトを開いて左下の歯車マークをクリックして設定ページを出し、ソースのところを見ると幾つかある参照フォルダがやけに重そうだ、これを片っ端からxをクリックして消していく。LANディスクの重い写真フォルダーが参照されていてこれをRuntime Brokerがいちいちチェックしていったのでは重くなって当然との気がしてくる。

この他にもwindowsの設定から入ってシステムをクリックして出てくる「通知と操作」で通知のところにある表示をオフにしていくのも効くらしい、とあったのでこれもやる。
処置して様子を見てみると暫くたってRuntime BrokerのCPU負荷がゼロになり、パソコンの動きも心地よくなった。Flex10はCPUのキャパシティが小さいので手持ちのほかのパソコンよりいち早く症状が現れてきたようで他のも障害とまではいかないがRuntime Brokerの負荷は高かった、勿論他のも処置した。
ストアアプリという形でソフトを動かすのが多くなると中にはおかしなアプリも紛れ込んでしまい正常に動かなくなるかもしれないというのを防止しようとしてこんなRuntime Brokerのような監視ソフトが必要になったのだろうが、こんなことをやっているとハード仕様に対する要求は上がるばかりでパソコンの性能が年々上がっても実際の機能はあまり進歩しないということになりそうだ。複雑化の壁に行き当たっているような気がする。

マイクロソフトを責めるまでもなく、これは社会の複雑化に対する警鐘かもしれないと思いはじめる。少し違うが原発事故とその時の対処にも複雑なシステムの壁に当たった時のような印象を受けるし、テロ集団ISも国際政治状況の複雑さを突いて出てきたようにも感じて似たような感触を覚える。

もう単純で安全な世界には戻れないのだろうか。
そうかもしれない、しかし乗り越えられない壁はないと思いながら、その先の透明な世界に思いを馳せている。

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2016年3月11日 (金)

初御代桜

桜の季節がもうすぐそこまできて、早咲きの桜が映像で流れるようになってきた。あちこちのカワヅザクラHatumiyo1 がひとしきりテレビを賑わせた後、福岡市のすぐ南で初御代桜が見ごろになっているとの写真がfacebookに流れてきて、これは、と出かけた。
初御代桜(ハツミヨザクラ)とは初耳だったが、調べると寒緋桜と啓翁桜を掛け合わせてできた桜とある。啓翁桜は昭和5年に久留米でヒガンザクラからつくられた品種というから初御代桜は近年造られた比較的新しい品種の桜のようだ。カワヅザクラよりはやや遅い早咲きの桜ということらしい。
自宅から10kmほど南に行った那珂川町の山裾に咲いていHatumiyo2 るようで雨の止んでいるうちにと見に行った。
1800年位前に神功皇后が造ったとされる裂田の溝(さくたのうなで)の駐車場に車を置いて数分で初御代桜に至る。歴史的に深いものがある一帯だが途中の田んぼにはカワラヒワの50羽位の群れが飛び交っていて鳥も面白そうなところだ。
桜は遠くからでもそれと解る、上品な明るさが風景を魅力的にしている。けぶるようなピンクの感じがいい。近くによると個人の土地だがご自由にお入りくださいとの看板がある、作業している方に声をかけると40年くらいの桜だという。斜面をひHatumiyo3 な壇にして花がつながるように立体的に植えてある。ヒュウガミズキの黄緑の花が咲きつつあってこれもいい色のバランスを与えている。桜はもう散り始めていて盛りを少し過ぎた趣だが十分楽しめる。
ソメイヨシノばかりでなくこんな桜も増えてくれば桜も長い期間にわたって楽しめるのに、と思う。ソメイヨシノのピークはとがりすぎている、それがさっぱりしていいと好まれるのも解るが、のんびりとした春の楽しみ方があらまほしいと近頃は思っている。寒暖の波が激しさを増す温暖化する地球にはそHatumiyo4 んな優しい時間を人が作り出すようにしていかねばな、という気持ちがそんな思いに至らしめているような気もしている。春も間もなく本番だ。

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2016年3月 9日 (水)

アレッポ石鹸を使う

あのシリアの激戦地アレッポで作られている石鹸の紹介がテレビで流されていて、オリーブオイルと月桂樹で古くからの製法で作られ続けている石鹸とあって、これは良さそうだと早速ネットで取り寄せた。
Sekken あの混乱のシリアで生活している人に何か少しでも役立てればとの気持ちが当然そこにはある。
1個300円位で、それほど高いものでもない。 使い始めてみるとオリーブオイルの感じがいい。
洗髪もこれで行けると紹介されていたのでしばらく頭も洗ってみた。オリーブオイルのつるつるする感じが良くて、体も頭も顔も同じ石鹸で洗えるというのも簡単で、好印象だったのだが、しばらくするとフケが出てくるようになり心なしか抜け毛も増えたようで、自分の髪にはこれは合わないかと洗髪に使うのはやめた。体や顔を洗うには感じがいいのはそのままだ。
随分背の高い石鹸で使いでがあると思っていたら減り方も早く、背が高くても普通の石鹸と同じくらいの期間で使い切ってしまうようだ。エキスがたくさん出てくるということだろうか。

毎日使ってシリアを毎日思い起こすのも大事なことと感じる。
それにしてもシリアの混乱は恐ろしいばかりだ。政治はこれほどまでに人を不幸にしうるのかと思う。国民を途方もない不幸に陥れてまで守るべきことがあるのだろうか、政治家のやることなのだろうか。
石鹸をアレッポの街中の製造所で作り続けている映像を見た。シンプルな作り方でそこには政治に振られない連綿と続く日常がある。人類もまだまだやれる、そう思わせてくれる。 歴史をこういうふうに感じて日々を過ごすのも悪くない。

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2016年3月 3日 (木)

梅林寺で梅見物

価格が世界の最安値に引きずられるグローバリゼーションやら原油価格の低迷やら中国の過剰投資のつけやらで世界的なデフレの雰囲気が流れている。こんな時に日銀のマイナス金利では銀行への信頼感がまた揺らぐことになってしまっていて先が見えない感が一層強まっている気がしている。黒田もこんな失敗をやってよく日銀総裁が務まるものだ。
難しい時代になった。呑気に日を送るしかないのかもしれない。


3月になる前にどこかで梅をとばかりに2月の終わりに福岡県の梅の名所の一つに挙げられる久留米の梅林寺を訪れた。このところ天気の動きが急でこれならいいという日をUmemi2 待っていたら日が経ってしまったということもある。
ネットでは駐車場情報が頼りなかったが行ってみるとすぐ横の筑後川の河原に無料の臨時駐車場が設けられておりゆったりとめられる、なんとかなるものだ。
梅は500本ほどというが、手入れがいいようで綺麗に咲いている。
平日の午前ということもあって混んでもいない、のんびり梅を楽しめる。偕楽園の梅などよりも一本一本が美しく花をつけている、見栄えがいい、梅林は木の数が多ければいいUmemi というわけでもない気がしてくる。
すぐそばの木立からはイカルの声がしたりアトリが現れたり、メジロが絵になる姿で梅の蜜を吸っていたり、ジョウビタキがのんびり現れたりツグミも遠くを眺めたり、とにかく鳥が生き生きと次々に出てくる、
鳥が思いのほか多い、いい場所だ。


梅林寺は久留米藩主有馬氏の菩提寺となっていて立派な霊廟も残されている。
九州で有馬氏といえば島原の原城を築いた有馬氏の一族かと思うが調べると全く違っている。こちらは摂津の有馬から出たとされていて、あの有馬温泉の有馬ということのようだ。
関ケ原の合戦で東軍について手柄を上げ福知山の6万石を封じられ、更に大坂の陣での活躍があり21万石に加増されて久留米の大名に転封されている。この時に福知山にあった有馬氏ゆかりの瑞巌寺を久留米に移したのが梅林寺で梅林の名は初代藩主有馬豊氏の父則頼の法名の梅林院からとられたとされる。
現在の見事な梅は昭和33年に開山350年を記念して多数の梅が植えられ外苑として開放されたことによっており、昔から梅林があったわけではないようだ。名前がこの景観を生んだということになるのだろう。そんなこともある。

それにしても戦国時代は人の動きが激しい。福岡の黒田家も備前から移ってきていて更にそのもとは滋賀県あたりらしいという。佐賀の鍋島氏ももとは京都の南、山城国から16世紀初め下向したのがはじまりとされ、人が交じり合ったところに江戸時代という安定した時代を生む元があったようにも思えている。新しい時代は人の流動でもたらされるということなのだろう。

グローバリゼーションと難民の時代となった今の時代も、新しいものを生み出す過程であればいいがと思うばかりだ。

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