梅林寺で梅見物
価格が世界の最安値に引きずられるグローバリゼーションやら原油価格の低迷やら中国の過剰投資のつけやらで世界的なデフレの雰囲気が流れている。こんな時に日銀のマイナス金利では銀行への信頼感がまた揺らぐことになってしまっていて先が見えない感が一層強まっている気がしている。黒田もこんな失敗をやってよく日銀総裁が務まるものだ。
難しい時代になった。呑気に日を送るしかないのかもしれない。
3月になる前にどこかで梅をとばかりに2月の終わりに福岡県の梅の名所の一つに挙げられる久留米の梅林寺を訪れた。このところ天気の動きが急でこれならいいという日を
待っていたら日が経ってしまったということもある。
ネットでは駐車場情報が頼りなかったが行ってみるとすぐ横の筑後川の河原に無料の臨時駐車場が設けられておりゆったりとめられる、なんとかなるものだ。
梅は500本ほどというが、手入れがいいようで綺麗に咲いている。
平日の午前ということもあって混んでもいない、のんびり梅を楽しめる。偕楽園の梅などよりも一本一本が美しく花をつけている、見栄えがいい、梅林は木の数が多ければいい
というわけでもない気がしてくる。
すぐそばの木立からはイカルの声がしたりアトリが現れたり、メジロが絵になる姿で梅の蜜を吸っていたり、ジョウビタキがのんびり現れたりツグミも遠くを眺めたり、とにかく鳥が生き生きと次々に出てくる、鳥が思いのほか多い、いい場所だ。
梅林寺は久留米藩主有馬氏の菩提寺となっていて立派な霊廟も残されている。
九州で有馬氏といえば島原の原城を築いた有馬氏の一族かと思うが調べると全く違っている。こちらは摂津の有馬から出たとされていて、あの有馬温泉の有馬ということのようだ。
関ケ原の合戦で東軍について手柄を上げ福知山の6万石を封じられ、更に大坂の陣での活躍があり21万石に加増されて久留米の大名に転封されている。この時に福知山にあった有馬氏ゆかりの瑞巌寺を久留米に移したのが梅林寺で梅林の名は初代藩主有馬豊氏の父則頼の法名の梅林院からとられたとされる。
現在の見事な梅は昭和33年に開山350年を記念して多数の梅が植えられ外苑として開放されたことによっており、昔から梅林があったわけではないようだ。名前がこの景観を生んだということになるのだろう。そんなこともある。
それにしても戦国時代は人の動きが激しい。福岡の黒田家も備前から移ってきていて更にそのもとは滋賀県あたりらしいという。佐賀の鍋島氏ももとは京都の南、山城国から16世紀初め下向したのがはじまりとされ、人が交じり合ったところに江戸時代という安定した時代を生む元があったようにも思えている。新しい時代は人の流動でもたらされるということなのだろう。
グローバリゼーションと難民の時代となった今の時代も、新しいものを生み出す過程であればいいがと思うばかりだ。
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