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2016年4月30日 (土)

修学院離宮で感じる

4月の20日頃京都に遊びに行った小旅行が教訓が多くて忘れないように書き留めておかねばと思っている。
2日目の午前は修学院離宮に行った。修学院離宮と桂離宮を同じ日に訪れるように見学許可を得ることができてそのように日程を組んだのだが、許可が出て改めてその場所を確認してみると京都の右上と左やや下に位置していて結構離れている、そのうえにいずれも最寄りの公共交通機関からは10分以上くらいは歩かねばならない。
雨降りになるのが心配だ。
気象庁のGSM11日予測データを京都付近で切り出して毎日見ていた。8日前の時点では当日は低気圧が紀伊半島付近を通過し終日雨の予想でこれはどうしたものか案じていたが6日前の時点まで近づくと南の大気の張り出しが弱く低気圧は腰砕けで南の海上に押しやられてしまうという予想となり現実にその日がやってくると晴れ上がった好天となった。
南と北の大気が日本付近で入り乱れる春の天気は前もってはなかなか予想の精度が上がらない。悪い予想は大体当たるものだがそうならないこともある、天は公平だ。

ともかく当日は計画通り京都駅前から地下鉄で国際会館前まで行きバスで修学院離宮道まで戻ってそこから歩く。10分位のゆったりとした散歩のような歩みで入り口に到達する、のんびりしたところだ。久蔵の描いた桜図によく似た八重桜が丁度咲いているのを道すがら見たりもする。
修学院離宮は江戸時代、桂離宮より僅かに後の頃に後水尾天上皇により造られている。後水尾上皇は非常にこの離宮を好んで亡くなるまでに70数回も訪れたとされている。上皇は桂離宮にも訪れていて上皇を迎えるために新御殿が造られておりその意味Syugakuin2 では桂離宮の完成にも深く影響を与えたと言える、一つの文化的頂点を実現した人ともいえるだろう。徳川家康の圧力で後陽成天皇は(桂離宮を作った)弟の智仁親王に皇位を譲ることができず息子に譲りこれが後水尾天皇となった。皇室と徳川家がせめぎあっていた時期でもあったようで、自然あふれる修学院離宮に格別の愛着を持っていたのもそんな息苦しい時代背景
があったためかとも推察される。

修学院離宮は桂離宮のように巧みな技を方々に埋め込んだというようでもなく周囲の自然とのどかな農村風景をうまく取り込んだところが秀逸な印象を与える。
例えば途中の松並木は人工的に低く抑えられており辺りを見渡しながら歩ける、こんな松並木は世界的にも見たことがない。
結構な上り下りの見学
Syugakuin1路を歩いて行くが忙しいというほどでもない。桂離宮の見切れない感はここにはない

東の東照宮と京の修学院離宮・桂離宮は確かに当時の文化的先端の両面を具現していと思える。こうであったことが日本の文化に深みと立体感を与えられたのだろう、二つの軸を持つ歴史そのものが日本の文化的バックボーンであり続けたのだろう、今更ながらそんなことを考えてしまう。

京都は大分見たかな、と思うがそれでもまだまだ学ぶところが多いようだ。こんな学びは楽でいいなとも思うし、また来たくなるそんな所のようにも思ってしまう。

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2016年4月27日 (水)

桜図を智積院で見る

 6年位前に東京で長谷川等伯展を見た折に夭逝した息子の久蔵の桜図のことを知ったが残念ながらその時は展示されておらず見ることはできなかった。
今回の京都旅行では修学院離宮と桂離宮の見学予約はあったが他の予定はこれというものがなくて、丁度いい機会だ、これを見てみようという気になった。桜図は智積院に等伯の楓図とともに展示されているという。
別に大徳寺聚光院の狩野永徳の国宝襖絵の特別公開もありこれも見ることで予約して、国宝障壁画を見る京都の旅の様相も出てきた。京都は見るべきものが多い。

昼過ぎに新幹線で京都について荷物をホテルにおいてその足で智積院に回る。駅からはバスで10数分だ、近い。
国宝となっている長谷川等伯・久蔵親子の障壁画は秀吉の愛児鶴松の供養のため建立Chisyakuin2 された祥雲寺の客殿に飾られていたものだった。一方、智積院は元々紀州・根来山の真言宗の寺だったが秀吉と対立、焼き討ちにあって高野山に避難していたところ関ケ原の戦い後に勝利した家康から秀吉ゆかりの寺院の土地建物を譲られ現在の場所に再建された。その中に秀吉が鶴松の供養に建てた祥雲寺が含まれていたことから、これらの障壁画が智積院に伝わったという経緯がある。いかにも戦国の世を生き抜いてきた絵ということになる。昭和27年に国宝に指定されている。
智積院ではこれらの障壁画は智積院の大書院を飾っていたが現在は堅牢な収蔵庫に保管してあってこれを見る形となる。1682年と1947年の2度の火災を辛くも逃げ切った絵をもう焼くような恐れのあるところには置けないということだろう。大書院の配置と同じく等伯の楓図と久蔵の桜図が並べて展示してある。

等伯の松に草花図などをぐるリと見て、桜図に至る。柔らかい。花は八重桜でつぼみをSakurazu 持つ花の形がちょっとパターン化した感じのあるところがまだ若い気もする、桜の幹がいい、人間的で柔らかい。左に置かれた等伯の楓図の鋭さ突き刺さるような容赦のない勢いとはあまりの対照を見せる。久蔵が生き延びていればどんな絵が残されていっただろうか。(桜図は
「京都で遊ぼうART」より転載)。
智積院でもらった説明書きでは久蔵が亡くなったあと等伯はその死を悼む気持ちを込めて楓図を描いたとなっているが秀吉の命で桜図と楓図は同時期に描かれたはずで、やや合点が行かない。しかし楓図を見ているとその鋭さにどうしてもそう思いたくなるのは間違いない。もしかしたら
Chisyakuin事実はそうかもしれないとも思う。
桜図は思っていたよりずっと柔らかかった、優しい親子関係を見るようなこの一対の絵は思いを400年前の時空に走らせてくれるところがあって、それもこの絵の価値を高めているような気がしている。

  やっとひとつ宿題を果たしたように思いながら収蔵庫を後にして智積院の大書院を見て回る。利休好みの庭もいい感じでさすが京都の名刹だ。

1日おいて大徳寺聚光院で特別公開の狩野永徳の襖絵を見に行く。等伯・久蔵よりは僅Jyukoin かに前の時代を走って織田信長・秀吉の命で多くの仕事をなした。明らかに時代を代表する絵師だったが、等伯・久蔵の絵を見たあとではどうにも迫力に欠ける思いがする。生き生きしているが写実が今ひとつ不徹底の感がある、そうであってもよく描けた襖絵であることには違いない。(図は「京都春秋」のページより転載)。

Yaezakura それにしても京都には立派な障壁画が方々にある。乱世が終わり城郭や寺社の建築ラッシュの時期となって、襖絵の需要が一気に高まりあちこちの襖を高名な絵師が埋め続けた、そんな時代が切り取られて残されているようだ。絵師にはいい時代だったのではあるまいか。

今という時代はどうなのだろうか、何が切り取られ残されていっているのだろうか。

(修学院離宮近くの民家の八重桜、久蔵の絵に似ている)

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2016年4月25日 (月)

桂離宮を見る

紅葉の桂離宮見学は抽選で負けて果たせなかったのもあり、空いてくる桜の季節の直後を狙って、修学院離宮と同日に両方を見学できる空きのある日を探して、やっとの思いで見学許可を取得した。色んなことがあって3カ月が過ぎその日がやってきて京都に出かけた。
1日に両方を見るのは効率いいと思っていたもののやはり疲れる。
修学院離宮見学の後、中間の四条の祇園辺りでランチを食べ多少散策して14時30分Katsurarky8 からの桂離宮の見学に向かった。
阪急の桂駅から歩くほかないのかとバス道に沿って歩き始めたところ目の前のバス停にバスがちょうど来て桂離宮口にもいくという。ほっとしてバスを利用する。Yahooの経路検索ではバス利用が出てこなかったので歩くほかないと思い込んでいた。広い無料駐車場があるのでクルマでこれればそれが一番のようだ。
4月から桂離宮の案内となったばかりという宮内庁の案内担当の方から説明を受けながら回る。とにかく忙しい。見るべきものがたくさんある、建物も石組も庭も歩を進めるごとに意匠が移ろっていく。見落とすまいと写真を撮っていると遅れて説明も聞けなくなる。客へKatsurarky3 の庭の見せ方がいちいち凝っている。例えば目隠しとなる生垣が上手く配置され視界を遮る松が植えられたりもして、開けてところに出た時の驚きを印象づけるようにしつらえてある。敷石が美しかったり、ツツジの配置が心地良かったりもする。

松琴亭というところに行く。デザイン的に目を引く襖、開け放てば柱だけのようにもなるスケスケの構造、はかなくも脆い。桂川のたび重なる氾濫にも耐えてよくここまで生き残ったと思う。
日光東照宮が作られたちょうど同じ時期に造られた、というがその粋さというか東照宮とは対局の軽妙さ、遊びがいちいち目を引く。
Katsurarky6 賞花亭という東屋ではすけている下地窓の棧の影が畳に落ちる様も面白い。ここまで仕組んだわけではないのかもしれないが、ほかではこんな様は見られない。
八条宮が細かく指示してこの離宮は造営されたと言われる。相当に思い入れがあったようだ。簡素なようで細部には異様ともいえる手のかけようがみられる。ひ弱な建築物だがいとおしさがある、壊してはならないという空気が取り巻いている。天皇家の雰囲気がある。

Katsurarky9 神社のような直線の美しさ清々しさと工芸の巧みを見事に取り混ぜて頗る頗る日本的な建造物だ。矢張り見るべき造形だった。

忙しい見学時間がたちまち過ぎ去り、駐車場辺りに待機していると教えられた客待ちのタクシーの姿ももうなく、とぼとぼと桂駅まで歩いて戻る。少々疲れた。印象が溢れていて纏まりがつかない、何回か訪れてみねば、とも思いながら歩く。しかしともかく九州からは遠い、それに体力もいる、もう多分来れないだろうな、見れただけでも上出来だな、そんな風にも思って桂駅を後にした。

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2016年4月21日 (木)

地震から離れようと

昔、昭和37年か38年頃か、西露町に居た頃夜中に床上浸水する事態に見舞われたことがあった。数日間は水が引かず離れの2階の一部屋で家族が過ごした。その頃、西鉄急行電車はまだ高架になっておらず、土手のように地域を分けて走っていたのだが、その土手の向こう側には全く浸水がなく傘をさしてのんびり歩く人の姿が2階から見えた。ほんのすぐそばでも災害にあわねば深刻なことは一つもない、災害のその不思議をその時感じていた。災害にあってもできることならその場を少しの間離れてしまえば平穏な時間を過ごせる、そう思ってきた。
Kumamoto1 熊本の引き続く地震は福岡でも毎回確かな振動を感じていて熊本の不安が伝わってきていた。熊本にクルマで支援に行った後、思い直して以前から計画していた京都旅行にやはり出かけることにした。やれることはやったし少し離れて地震に負けないように日常を続けるのもいいのではないかとの気がしていた。 一度は見なくてはと思っていた修学院離宮と桂離宮の見学許可がうまく取れていたのもある。

2泊3日の予定で京都へ遊びに行った3日目、16時前の新幹線の出発まで市内で適宜観光することにしていて、まずは大徳寺が春の特別拝観Daitokuji で見どころが色々あるようなのでそれを見ることにして、あと時間が余れば適当に、と思っていた。
一通り大徳寺を見た午後1時ころ北大路ターミナルで食事を済ませ思いついたように京都国立博物館の常設展示でも見ようと206番のバスで南に向かった。
少々距離があるとは思っていたが40分位走るうちに観光客が次々に乗り込みバスはすし詰め状態になってきた。目的地の七條でかき分けるようにして降りようとすると携帯が出てこない。携帯のモバイルスイカでバス・電車にはすべて乗っていたのでこれはまずい、座席に座っていた間にポケットから滑り出たに違いないと思うがすし詰めで後へ戻れない。声をかけてさっきまで座っていた座席辺りを見てもらうが無いという。困っているとスマホを差し出してくれる人がいてこれで電話しろという、好意に感謝しつつ自分の携帯に電話するとややあって近くで呼び出し音がする。気が付けば胸のポケットだ。結構な時間バスを止めていた。どっと冷や汗が出るやら申し訳ないやらで礼もそこそこに慌てて携帯のモバイルスイカをピッとタッチしてバスを降りる。バスに長く乗りすぎて忘れてしまっていたようだ、地震の疲れがここまで残っていたのかもしれない。
なんという迷惑をあんなに大勢の人にかけてしまったのだろうか、と落ち込みながら博物館のゲートに差し掛かる。特別展の切符売り場しか見えないので通常展示の切符は、と尋ねると今は特別展のみしかやっておらず通常展はないとの返事が返ってくる。何ということだ。そもそも国立博物館に来ようとしたのが間違っていたのだ。
更に落ち込んで、もうどこへも行かずに京都駅の待合室で時を過ごそうとすごすごと引き上げる。
思えば通常展で展示している美術品をこの期間各寺社に戻しそれで各寺社の春の特別公開が成り立っているのだと気が付く。京都を見せるルールがきっちり出来ていてそれに乗せられて観光客は京都へ集まる、そうだったのかと思う。
50年前は関西に住んでいても今や全くのよそ者となってしまったなと、どこか疎外感がしてきて、どこへ行ってもよそ者かもしれないという気もしてくる。
ここまでは結構面白かったし刺激を受けた京都旅行も、グレーな気持ちになって九州へ引き上げる。これももしかしたら地震のなせる業なのだろうか、地球から見えない圧力を受けているのだろうか。そうかもしれない、簡単には見逃してくれない。そういう気にもなってくる。
こんなこともある。

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2016年4月12日 (火)

テレビはつまらないと思っていたが

テレビはつまらない番組ばかりが目立って放送大学を始めてみた。大学院の一科目のみ履修という形だ。
テレビで授業が流されてくるのを見て送られてきたテキストを併用して勉強するのだが、1科目のみではどう考えても高い、入学料+1単位授業料で25000円もする。そもそも大学院なのだから研究テーマを決めて研究するのが本筋で授業のみ受けるというのはちょっと変なのだがどうしようもない。学部向けの放送よりはちょっと講師の偏見の色がついた掘り下げた内容になるのが面白いと言えばそうだ。

選択した講義とは別の講義も勿論みられるし、学生のみの権利として大学院の放送は開始と同時に15回分すべてを自由にネットで見ることができる。放送をいちいち録画しなくてもあるいは放送日まで待つこともなくどれでも見られるところはいい。
地球史というのが面白そうなのでこれを履修することにしたが他では脳の働きと芸術にかOngakuno かわる講義が面白くてどんどん見ていく。
人間に快感を与える音はどのように形成されるかのところで一つカチンと引っかかった。12音音楽は人間の生理学的に快感を与えないのですたれてしまった、という下りだ。そこまで言うかと思う、講師が高く評価するガムラン音楽が何故マイナーのままなのかも説明して欲しいものだ。どうも講師は12音音楽が好みでないようだ。

音階から離れて12音音階として自由に演奏してみると頗る心地がいい。他人の演奏を聞く分には快感がないのかもしれないが音階や約束ごとに全くとらわれず自分で気ままに引く分には気持ちが自由に解き放れて幾らでも弾ける。そんな音楽もあるのだろう。

確かにずっと昔来日したコルトレーンの演奏が前衛に走りすぎ全く伝わらなくて音楽的高揚も何もあったものではないと理解しがたい気持ちに襲われていたが、演奏家にとっては陶酔できる音楽だったのかもしれない。共感というところを捨てると音楽は全く機能が違ってくるように思える。
こんな風に講師の独善的なところが教育として放送されるところがまた面白い。

地球史の方ではCO2は今後減っていき生き物は衰退する(勿論億年単位での時間スケールだが)、人類の生み出した自己増殖する人工生命体が時空を超えて宇宙へ拡散し人類の役割は終わるだろうとの未来も予測している。
地球のCO2は地球誕生以来大気中からマントルに移送され固着されて減ってきたのが地球の歴史でこれが今後も続いて植物の生育に適さないレベルにまでCO2が減ってしまう未来があるというのだ。
根拠となる考え方の提示が十分とは思えず受け入れていいものかどうか判断がつかないが公共放送の教育として流されるところが頗る面白い。近年の人類活動由来のCO2増加による地球温暖化議論など完全に吹き飛んでしまう。

誰にでも受け入れられる口当たりのいい語り口ばかりではテレビも衰退するのかなとの予感がある。カチンと来ることを主張し始めて、初めて面白いテレビが蘇るのではないか、そんな風にも思っている。

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2016年4月 8日 (金)

ウイーンの響きが贅沢で

花見の季節は嵐で突然のように終わった。
Wien 季節は落ち着いて少しばかり先へ進みこれに合わせるように、トヨタ・マスター・プレイヤーズ,ウィーンというクラシックの演奏会が今年もアクロス福岡に回ってきて、逃さず聴きに行った。2年前にも聴きに行ったことがありいい印象を持っていたが去年は予定に紛れてしまい外してしまって残念な思いがあった、今年は抜かりなく手配をしておいた。(写真はパンフレットより)。

ウイーンフィルとウイーン歌劇場楽団のメンバーを中心に臨時編成された管弦楽団だが個人技のレベルがどうしようもなくと言ってもいい程に高い。
よくこのチケット代で済むものかと思う。ほぼ満席だ。 ソリストとして参加している日本の演奏者もレベルが高い。 チケット代の割には全てが高度で、一種のデフレかもしれないとも思ってしまう。

指揮者なしの楽団だが曲の盛り上がりや緩急を自然に息を合わせて流し出してくる、マジックのようだ。

以前に東京地方の交響楽団が創立xx周年記念ということで回ってきたので聴きに行ったことがあったが、ミスが目立って不揃いで散々の出来だった。こんな交響楽団はもう立ち行かないのではなかろうか。
地元の九州交響楽団はかなりレベルが高い。よそから呼んでくる交響楽団は九響並みであってほしいとは常々思っていたが今回のこの演奏会はそのレベルをはるかに上回っている。聴かねば損と素直に思える。

バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 やドニゼッティのクラリネット小協奏曲、モーツアルトのピアノ協奏曲 第21番もそれぞれに感じるところが色々あったが最後のベートーベン第6田園を久しぶりに聞いてこれが良かった。
一つ一つの楽器がクリアに聞き分けられるような気がするほどによく音が出ていてそれでいて調和が崩れない。こんな演奏は聞いたことがないようにも思った。
アンコールにはシュトラウスⅡのウイーン気質をやってくれてウイーンの雰囲気に浸った心地がした、これは一度はちゃんとウイーンに行かねばならないとも思えてきた。

いい演奏会だった。こんな風にいつまで呑気に時を過ごせるのだろうかと時々思う。先のことは考えずに今だけを生きればそれでもう十分だ、と思うことにしている、全てのことには終わりが来る、それが当たり前のことだから。

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