« テレビはつまらないと思っていたが | トップページ | 桂離宮を見る »

2016年4月21日 (木)

地震から離れようと

昔、昭和37年か38年頃か、西露町に居た頃夜中に床上浸水する事態に見舞われたことがあった。数日間は水が引かず離れの2階の一部屋で家族が過ごした。その頃、西鉄急行電車はまだ高架になっておらず、土手のように地域を分けて走っていたのだが、その土手の向こう側には全く浸水がなく傘をさしてのんびり歩く人の姿が2階から見えた。ほんのすぐそばでも災害にあわねば深刻なことは一つもない、災害のその不思議をその時感じていた。災害にあってもできることならその場を少しの間離れてしまえば平穏な時間を過ごせる、そう思ってきた。
Kumamoto1 熊本の引き続く地震は福岡でも毎回確かな振動を感じていて熊本の不安が伝わってきていた。熊本にクルマで支援に行った後、思い直して以前から計画していた京都旅行にやはり出かけることにした。やれることはやったし少し離れて地震に負けないように日常を続けるのもいいのではないかとの気がしていた。 一度は見なくてはと思っていた修学院離宮と桂離宮の見学許可がうまく取れていたのもある。

2泊3日の予定で京都へ遊びに行った3日目、16時前の新幹線の出発まで市内で適宜観光することにしていて、まずは大徳寺が春の特別拝観Daitokuji で見どころが色々あるようなのでそれを見ることにして、あと時間が余れば適当に、と思っていた。
一通り大徳寺を見た午後1時ころ北大路ターミナルで食事を済ませ思いついたように京都国立博物館の常設展示でも見ようと206番のバスで南に向かった。
少々距離があるとは思っていたが40分位走るうちに観光客が次々に乗り込みバスはすし詰め状態になってきた。目的地の七條でかき分けるようにして降りようとすると携帯が出てこない。携帯のモバイルスイカでバス・電車にはすべて乗っていたのでこれはまずい、座席に座っていた間にポケットから滑り出たに違いないと思うがすし詰めで後へ戻れない。声をかけてさっきまで座っていた座席辺りを見てもらうが無いという。困っているとスマホを差し出してくれる人がいてこれで電話しろという、好意に感謝しつつ自分の携帯に電話するとややあって近くで呼び出し音がする。気が付けば胸のポケットだ。結構な時間バスを止めていた。どっと冷や汗が出るやら申し訳ないやらで礼もそこそこに慌てて携帯のモバイルスイカをピッとタッチしてバスを降りる。バスに長く乗りすぎて忘れてしまっていたようだ、地震の疲れがここまで残っていたのかもしれない。
なんという迷惑をあんなに大勢の人にかけてしまったのだろうか、と落ち込みながら博物館のゲートに差し掛かる。特別展の切符売り場しか見えないので通常展示の切符は、と尋ねると今は特別展のみしかやっておらず通常展はないとの返事が返ってくる。何ということだ。そもそも国立博物館に来ようとしたのが間違っていたのだ。
更に落ち込んで、もうどこへも行かずに京都駅の待合室で時を過ごそうとすごすごと引き上げる。
思えば通常展で展示している美術品をこの期間各寺社に戻しそれで各寺社の春の特別公開が成り立っているのだと気が付く。京都を見せるルールがきっちり出来ていてそれに乗せられて観光客は京都へ集まる、そうだったのかと思う。
50年前は関西に住んでいても今や全くのよそ者となってしまったなと、どこか疎外感がしてきて、どこへ行ってもよそ者かもしれないという気もしてくる。
ここまでは結構面白かったし刺激を受けた京都旅行も、グレーな気持ちになって九州へ引き上げる。これももしかしたら地震のなせる業なのだろうか、地球から見えない圧力を受けているのだろうか。そうかもしれない、簡単には見逃してくれない。そういう気にもなってくる。
こんなこともある。

|

« テレビはつまらないと思っていたが | トップページ | 桂離宮を見る »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 地震から離れようと:

« テレビはつまらないと思っていたが | トップページ | 桂離宮を見る »