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2016年4月12日 (火)

テレビはつまらないと思っていたが

テレビはつまらない番組ばかりが目立って放送大学を始めてみた。大学院の一科目のみ履修という形だ。
テレビで授業が流されてくるのを見て送られてきたテキストを併用して勉強するのだが、1科目のみではどう考えても高い、入学料+1単位授業料で25000円もする。そもそも大学院なのだから研究テーマを決めて研究するのが本筋で授業のみ受けるというのはちょっと変なのだがどうしようもない。学部向けの放送よりはちょっと講師の偏見の色がついた掘り下げた内容になるのが面白いと言えばそうだ。

選択した講義とは別の講義も勿論みられるし、学生のみの権利として大学院の放送は開始と同時に15回分すべてを自由にネットで見ることができる。放送をいちいち録画しなくてもあるいは放送日まで待つこともなくどれでも見られるところはいい。
地球史というのが面白そうなのでこれを履修することにしたが他では脳の働きと芸術にかOngakuno かわる講義が面白くてどんどん見ていく。
人間に快感を与える音はどのように形成されるかのところで一つカチンと引っかかった。12音音楽は人間の生理学的に快感を与えないのですたれてしまった、という下りだ。そこまで言うかと思う、講師が高く評価するガムラン音楽が何故マイナーのままなのかも説明して欲しいものだ。どうも講師は12音音楽が好みでないようだ。

音階から離れて12音音階として自由に演奏してみると頗る心地がいい。他人の演奏を聞く分には快感がないのかもしれないが音階や約束ごとに全くとらわれず自分で気ままに引く分には気持ちが自由に解き放れて幾らでも弾ける。そんな音楽もあるのだろう。

確かにずっと昔来日したコルトレーンの演奏が前衛に走りすぎ全く伝わらなくて音楽的高揚も何もあったものではないと理解しがたい気持ちに襲われていたが、演奏家にとっては陶酔できる音楽だったのかもしれない。共感というところを捨てると音楽は全く機能が違ってくるように思える。
こんな風に講師の独善的なところが教育として放送されるところがまた面白い。

地球史の方ではCO2は今後減っていき生き物は衰退する(勿論億年単位での時間スケールだが)、人類の生み出した自己増殖する人工生命体が時空を超えて宇宙へ拡散し人類の役割は終わるだろうとの未来も予測している。
地球のCO2は地球誕生以来大気中からマントルに移送され固着されて減ってきたのが地球の歴史でこれが今後も続いて植物の生育に適さないレベルにまでCO2が減ってしまう未来があるというのだ。
根拠となる考え方の提示が十分とは思えず受け入れていいものかどうか判断がつかないが公共放送の教育として流されるところが頗る面白い。近年の人類活動由来のCO2増加による地球温暖化議論など完全に吹き飛んでしまう。

誰にでも受け入れられる口当たりのいい語り口ばかりではテレビも衰退するのかなとの予感がある。カチンと来ることを主張し始めて、初めて面白いテレビが蘇るのではないか、そんな風にも思っている。

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