「天才」を読む
石原慎太郎が田中角栄の生涯を一人称で書いた小説「天才」という本を友人が貸してく
れたので読んでみたが、読後感があまり良くない。
事実を寄せ集めただけに近いようで創作の香りが乏しく慎太郎らしくない印象をまず受ける。小説といえるのかと引っかかりを感じる書き物だ。慎太郎本人や複数の愛人も実名で登場するところなど、実名でこんな風に多くの人を書いていいのだろうかと思ってしまう。
「天才」というタイトルについてもしっくりこない、本文ではなく長い後書きからつけられたのだろうか、本文を読んだだけではどこが天才との感じがする。
読むこと自体が石原慎太郎の政治活動に付き合わされているだけではないか、との気もしてくる。折り重なるような感じの悪さが残ってしまう。
田中角栄がアメリカという国に潰されたのはだれの目にも明らかだ。それに手を貸した国内の共犯者をしっかりと慎太郎には追及してもらいたい気がする。マスコミが誰の意図でどのように誘導されたか、解きほぐす努力をしてもらわねばと思う。
今現在でも随分矮小化された形で舛添知事の追及が全マスコミを挙げて進んでいるように見える、誰の意図で誰が誘導してこんな事態が現出しているのか、手口が真似されているような気がしてならない。そこらあたりも、とも思う。
天才という小説はそんな思いを引き起こしてくれるだけでも、力を持っているといえるのかもしれない、そこが慎太郎の作品らしいと言えばそうかもしれない。政治的な本という意味なら確かに面白い本と言えるだろう。
5月もそろそろ終わり、時がごろりと動いていく感じがして、何かふさわしいものを読んだというような気持になっている。政治はいつも生臭い。
| 固定リンク
コメント