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2016年6月26日 (日)

多様な価値と変わらないものなどない世界

英国がEUから離脱することになって騒ぎのようだ、それでどうした、とも思う、英国の没落が決定的になっただけではないか、それを国民自らが選択しただけではないか。栄えたものは自律的に滅んでいくというしかるべき歴史の歯車が進んだだけのように思える。


6月の中旬に宮崎に日帰りで行ってきたのが幾つか感じさせるところがあって、書き残しておこうと思う。宮崎へ行ったのは高校の修学旅行以来だ。
今回の目的は、当日午後に催される気象のミーティングと見学会への出席だった。新田原基地の気象設備見学というのが目玉で滅多にない機会だからと出かけた。

集合場所は宮崎県庁前となっていた。福岡からどうやって行けばいいのかとネットで調べると、飛行機を使う、新幹線で八代まで行って駅前から高速バスに乗る、福岡から高速バスに乗る、の3つが出てくる。列車だけで福岡から宮崎まで行くというプランは高くて遅く選択肢には入ってこないようだ。九州の鉄道網はそんなものなんだと改めて思う。ななつ星プロジェクトが成功を収めているのは、遅くて高い鉄道を、開き直って更にその方向へ目一杯突き詰めたところに魅力的な世界があったということなのだろう。便利さとは違う価値を切り拓いたということなのだろう。
ともかく、それぞれの費用と時間が気になるところだが、航空機使用で(一番安いチケットを使ったとして)8:10頃自宅発11:51目的地着で約12000円、新幹線+高速バスで7:42発12:23着で9880円、高速バスのみで7:16発12:26着で3900円となる。バスは遅れを考えて1便前にすると6:44発として飛行機より1時間半早く出なければならない。が、1/3の費用となるバスは本数も多くて魅力的に思える。当然のようにバスを選択した。飛行機かバスかという選択が現実的に出てくるところも九州の面白さともいえる気がする。

Miyaz3 当日になって実際に宮崎行の高速バスに乗る、満席だ、しかし窮屈でもない。熊本地震の影響がまだあって、長く通行止めだった高速道路の熊本・益城近辺では今も片側1車線の対面交通で路面も波打っていて渋滞する。しかしその他は普通に走れる。

東北大震災のような津波で根こそぎやられた風景は無いが、屋根のブルーシートが続いて痛々しい。
全ての乗客が宮崎まで行くのではなく、えびの高原から東に曲がったところの小林やその先の都城で結構降りる。ここらは高速バスが主要な日常的交通機関になっているようだ。鉄道網の発達した関東や関西とちょっと違う感覚がここにはある。
時間を気にしながら予定より20分遅れで宮崎に到着した。集合時間のおよそ7-8分前には集合場所へたどり着けて丁度よく見学会に合流できたがヒヤヒヤものだ。バスならではだが見方を変えれば遅く高いところに別の価値が見いだされた鉄道のように
このヒヤヒヤ感にも価値があるのかもしれない。

Miyaz2 宮崎県庁の前は大きなクスノキが街路樹に用いられている楠通りで日差しが強くても気持ちのいい通りとなっている。南国らしい配慮なのだろう。県庁は1933年に建てられた戦前の建築がそのまま使われており県庁としては全国で4番目の古さという。なかなか趣がある。財政難で建て替えが難しいということのようだが観光都市としての得難い景観の価値は十分に発揮しているように思える。
微かに記憶にあったフェニックスの並ぶ通りも健在で街そのものが他とは違うところをいくつも抱えているようだ、また落ち着いてゆっくり来たい気がする。多様な価値の姿を宮崎への旅では感じてしまう。

Miyaz1a 17時過ぎに会合が終わって宮崎駅前から帰りの高速バスに乗る。今度はガラガラだ。土曜の夜便というとこうなのだろうか。
途中でまた熊本で地震があったとの知らせが運転手に入ったようで、運転手から新たな地震による交通への影響が出始める前に出来るだけ早く移動したく最後の休憩場所は直ぐの出発としたいとの説明有り、これに乗客は協力して帰路を急ぐ。
地震の終息がまだ見通せないうちは熊本地震の震源近くを通る高速バスの乗務員にはいつも緊張が強いられているようだ。地震国でインフラの維持を必死の思いで担っている人たちが居ればこそこの国は平静を装うことができているのだろう。いつかはこの努力が限界に来る日が来るに違いない、そうやってこの国は変わっていくのだろう。


そもそもこの国はいつまで形を保てるだろうか、時々そう思う、精神的な意味ばかりでなく物理的地形的な意味でもそう思う。一億年の人類の時代があるものならばそんなものは直ぐにくるに決まっていると思うことにしている。長いスパンで見ると変わらないものなどない。大陸は移動を続け次の超大陸が生まれる姿がすでに合理的に予測されている。そんなものなのだろう。変わらないものなどない。

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