イリアカーラー
忘れた頃にアマゾンで発注していたイリアカーラー演奏のブラームスのバイオリン協奏曲のCDがドイツから届いて、それを聴きながらこれを書いている。
国内盤がないと世界のどこからでも届けられる。送料は350円というからどうなってるんだろうと思ってしまう。国内盤を買うより安い。不思議な世の中になったものだがそれで成り立つものならば昔からそんなものだったのだろう、知らされなかっただけなのだろう。
こんなCDを買おうと思ったのは、もう2週間ほど前のことになるが、ベルリン交響楽団とイリアカーラーのコンサートが福岡のアクロスホールであってこれを聴きに出かけたその印象が良かったためだ。イリアカーラーというバイオリニスト名はよく知らず、コンサートが近づいてのにわか勉強で、これはかなりの人らしいということで期待していた。
最初はエルガーの「愛のあいさつ」から始まったが、なんだかバラバラでオーケストラ大丈夫かと思わせたものの、次のお目当のブラームスのバイオリン協奏曲ではオケも締まってきた、流石海外ツアーをやるプロだ。イリアカーラーのバイオリンは流れるように良くうたっている、期待通りだ。技術的にこれはかなりかなと思うところをサラサラと淀みない。ブラームスのちょっと重々しくなりがちな旋律が心
地よく響き続ける、何時までもこれが続いて欲しいと思ってしまう。
アンコールにバッハ無伴奏パルティータから2番サラバンドと3番ルーレの2曲も演じたがこの人のバッハをもっと聴きたくなる深みを感じる演奏だった。いい。
CDで聴きなおして2週間前の演奏の感触が蘇ってくる、これもいい買い物だった。
コンサートは次に「新世界」をオーケストラが奏でて終わりとなった。管楽器が時々音を外したりするが、それを押し流してしまうような何かの力が演奏にはある。これが指揮者が追っている音楽なのかなと思わせて、好演と感じた。こんな風に思わせるオーケストラ演奏も初めてだ。
音楽と技巧、技巧とは少し違うところにある音楽そのもの、そうなんだと改めて思わされたそれぞれの演奏だった。
時々でもこんな場に向かい合うことの重なりが結局は生きている実感なのかもしれない、そんな事を思っている。
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