感動を失いつつある日々と
福岡マラソンというのが11月13日にあってこれに5.2kmのファンランで参加することにした。5kmならこれは走れるだろう、街中を走るのは面白いかもしれない、そもそも市民マラソンの雰囲気とはどんなものだろうか等々が興味の焦点だが、とにかくやれるうちにやれることはやってみよう、くらいの感じだ。
次第に日が近づいてくると本当に走れるだろうかと気になりだしてトレーニングとして近くの公園を周回して5kmを走っている。基本的に心拍数をモニターしながら走るのが自分のやり方なので当面心拍数130となるように走っている。
走ってみると大体分速100m位となって50分くらいで走れる。ゲートが閉まるギリギリのスピードだがとにかく走れるので一安心だ。ラップを見ると自分では気が付かないがラップを重ねるごとにゆっくり速度が落ちてくる。運動不足なのだろう、まったく体が鍛えられてない感じがする。
当日はどんな感じになるだろうか。気象庁の1か月数値予報では高気圧が張り出し始めて一応晴れそうだが、どうなるか。雨なら棄権かとも。弱気なところはなかなか去ってくれない。
10日ほど前、新福岡古典音楽祭の催しの一つストラディヴァリア・ナント・バロック・ア
ンサンブル のコンサートを聴きに行った。
福岡で毎年開かれている音楽祭だが、ヨーロッパの古典音楽は端正でちょっと面白い気がしている。
今年はフランスバロックがテーマのようだ。
ストラディヴァリアの名前からストラディヴァリウスを並べるのかとも思ったが楽器の説明など一切ない、いい音色だがストラディヴァリウスかどうかはよくわからない。ネットで調べても判然としない。想像にお任せしますといった風情がフランスらしいといえばそうでもある。
いかにも宮廷音楽の響きがある、眠くなる。ジャン=フェリ・ルベルのバレエ音楽「四大元素」が演目にあり、不協和音で始まることで知られているようだがこれも心地よく聞けてしまう、こういう雰囲気だったのだフランス革命前のフランスはと思う。モーツアルトがフィガロの結婚を書くほんの10年位前の曲だ、こんな世界は長くはもたない、そんな気もする、虚飾に満ちたとまではいかないまでもどこか空々しいきらめきがある。音楽は正直だ。
なんとはなしに感動がない。
先週、鳥獣戯画展が国立博物館で開かれているというので見に行った。
平日だが人が多い。
列が長くじりじりと進んでいく有様なのですいているところから飛ばしてみて、列が動かないところは2列目からとやや離れてみる。
国宝だが有名なウサギのところはふーんというくらいで全く感動がない。確かに漫画的に生き生きしているがこれ位なら絵師なら描いて当然くらいに思ってしまう。絵の内容そのものに大した興味がわかないということもあるのだろう。
坊主が修行しているさまを茶化したように書いているあたりは人間的で面白い。新聞に使われる政治漫画そのもののような気がする、人のやることは大して進化していない、そういう意味ではすごいというべきなのだろう。
それにしても近頃は感動するということが少なくなったように思う。先月の現代俳句の選句では1000句くらいある投句に1句も感じるものはなく選句できなかったということがあった、なんだか感じなくなってきている。
以前のように知らず知らずのうちにまた時間追われている生活なってきたからではないか、手で物を作ることをしなくなったためではないか、やはり歳のせいだろうか、いろいろ考える。暫く中断していた梅の絵を仕上げることから始めてみよう、そんなことを思っているが、どうなるか。
福岡マラソンですこしでも感動があればよいのだが。そんな風にも期待して時々走っている。
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