学ぶことが刺激的で
放送大学で半年ほど地球史を学んだが、下期はこれという興味を引く講義が大学院には見当たらず、そうかといってやめてしまうのもなんだかつまらなくて学部のjavaプログラミングの講義をとってみることにした。何かの役には立つかもしれないし放送大学でのプログラミングの講義とはどの程度のものか見てみたい気もした。
9月下旬に申し込んで払い込みは9月末日となったためIDが送られてくるまで時間が
少々かかる。丁度隙間ができたこともあり、8月頃から送られてきていたedXの隈研吾の建築の講義を集中的に見てみた。edXはMITが始めた無料の大学の講義でその後各国の大学も参加して世界的広がりを見せている。隈研吾の講義は日本語の映像なので、畑違いでも視聴に困難はない。英語訳が画面に出てshort testの設問も英語だが4択で難しくもない、しかし時々間違える。
Four Facets of Contemporary Japanese Architecture: Theory というのがタイトルで現代の日本の建築家の系譜を丹下健三以降の世代について解説してくれる。丹下健三を第一世代として隈研吾のいる第4世代までの建築家の考え方の変化を建築家にインタビューしながら明らかにしていくという組み立てだ。磯崎新や香山、藤森、大野、瀬島のインタビューなどもあって戦後の建築の考え方の流れがやっとわかった気がするところが面白い。
いくつも気になる言葉が出てくるが、中でも香山のインタビューで出てきた丹下健三から教わったものそれはnothingだった、というくだりが心に残る。学生の期待をよそに丹下は講義ではまともな建築の考え方は一つも教えてくれなかったというのだ。その時代がそうだったのかもしれない。丹下はリアルなプロジェクトに邁進していて教育には熱が入らなかったようだ。香山は東大を卒業後米国に留学してkahnの教えを受けた、これは日本の大学とは全く違い様式の歴史を背景にした理論で衝撃的なリアルな講義だったという。
nothingだったにもかかわらず丹下の仕事は続く世代に極めて大きな影響を与えた、それはインタビューされた建築家いずれもが認めている。教育とは結局そういうことかもしれない、事実で見せる、作品で見せる・考えさせる、nothing それはそれで意味があった、そんな風な言い方を香山もしている、そういうことなのだろう。
なかなか知的な刺激を受けるレクチャーだった。仕事という ねばならない連鎖から解き放たれた後は、やはり学び続けること、これが一番面白いのかもしれない。
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