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2016年12月31日 (土)

2016年11,12月の福岡の野鳥

2016年11,12月の福岡の野鳥

冬鳥はゆっくりと渡来している。モズやマガモなども各公園にはしばらく滞在してどこかへ去っていく。今年は少しバラエティが不足しているようにも思える。見た種類数がそれほどでもない。12月は体調が悪くあまり出かけていないのもあるのかもしれない。

主な日の観察メモ
Mozux_2は下記

2016.11.7 9:00頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:ハクセキレイ1、シロハラ1、マガモ3、コサギ1、ヒヨドリ5、ウグイス1 新市楽池:バン2、マガモ6、ハシビロガモ3、オオバン1、ウグイス1
 鹿介池:モズ1、マガモ1、ヒヨドリ5、シロハラ1

2016.11.8 9:00頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:モズ1、メジロ1、カワラヒワ1、キジバト1、ハクセキレ
Hasibiroxイ1、マガモ3、シロハラ2、コサギ1、ヒヨドリ10、ウグイス1 新市楽池:バン2、マガモ4、ハシビロガモ6、オオバン1 鹿介池:ムクドリ4、バン1,ヒヨドリ5、シロハラ1、ウグイス1

2016.11.11 9:00頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:モズ1,ハシブト1,カワラヒワ3, ハクセキレイ1,シロハラ2,ヒヨドリ10+ 新市楽池:マガモ4、ハシビロガモ2、オオバン1、ハクセキレイ1 鹿介池:ムクドリ1,ジョウビタキ1,ヒヨドリ5+

2016.11.15 16:00頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:モズ1,ハシブト1,ドバト1,シジュウカラ1,シロハラ5,ヒヨドリ2+ 新市楽池:バン2,マガモ1,ハシビロガモ1,オオバン1 鹿介池:マガモ2,ヒヨドリ3+

Herasagi 2016.11.17  佐賀県佐賀市大授搦 ホウロクシギ、ダイシャクシギ、アオアシシギ、ヘラサギ、クロツラヘラサギ、シロチドリ、ハマシギ、オオソリハシシギ、トウネン、ツクシガモ、オバシギ、ズグロカモメ、アオサギ、ダイサギ、コサギ、ミサゴ 

2016.11.21 16:00頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:コサギ1,シロハラ2,ヒヨドリ5+  新市楽池:バン2,シジュウカラ1,ハシビロガモ3,オオバン1  鹿介池:モズ1,ヒヨドリ

Daijyu3
2016.11.29 13:00頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ    1,コサギ1,シロハラ2,ヒヨドリ10+ 新市楽池:バン1,ハシボソ  ,オオバン1  鹿介池:アオサギ1,バン1,ヒヨドリ10+

2016.11.30 16:00頃   福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:シロハラ2,ヒヨドリ10+ 新市楽池:ハクセキレイ2,ハシビ ロガモ2,オオバン1  鹿介池:マガモ2,バン1,ヒヨドリ

2016.12.01 16:30頃  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ    1,ウグイス1,カワセミ1 新市楽池:ハシビロガモ2,オオバン1  鹿介池:バン1,ヒヨドリ3

2016.12.02 15:00  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:シロハラ2,メジロ2,ヒヨドリ  鹿介池:マガモ2,バン    ,ヒヨドリ

Aosagix 2016.12.05 10:00  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:シロハラ5,メジロ5,ヒヨドリ10,マガモ1 新市楽池:ハシビロガモ2,オオバン1,バン2,メジロ3 鹿介池:ハシビロガモ2,オオバン1,バン2,メジロ3

2016.12.26 11:00  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:シロハラ2,ヒヨドリ8 新市楽池:ウグイス1,オオバン1,バン1,ハクセキレイ1 鹿介池:マガモ2,ツグミ2,ヒヨドリ10,シロハラ2,バン1

2016.12.28 16:00  福岡市南区長丘周辺の野鳥 中公園:マガモ2,ツグミ2,ヒヨドリ10,シロハラ2,バン1 新市楽池:シロハラ4,コサギ1,ヒヨドリ2,メジロ5 鹿介池:バン2,マガモ3,ヒヨドリ3,バン1

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本もメディアも捨てて

もう今年も終わりとなっても、風邪が治りきらない。ほったらかしにしておいたことを順番に片づけている。

時間はいくらあっても持て余すということがない。

昨日は滞っていたホームページの更新をやっと果たした。半年以上たっている。もう20年近く維持しているホームページだが、最も簡単に写真だけ入れ増していけばいいというスタイルだったので今まで続いているような気がする。facebookやinsragramの原型のようなホームページでいまや両者と被っていて更新の動機が薄れてきているはどうしようもない。しかし出会った野鳥や生き物のの写真の時系列は維持できるのでそれなりに役割は果たしている。音楽のメディアがカセットやMDから移ろい映像もレーザーディスクやビデオカセットからDVDやBDに移ろってきたように個人の発信もホームページからブログやfacebook,twitter,instagram に移ろっていてこれもそう遠くない未来に消えてしまうだろうと思っている、結局は本が一番強いのだろうか。手つくりの本の作り方を調べてみたほうがいいような気がし始めている。

1週間ほど前、年末の第九コンサートというのに初めて行った。クルマで移動してマスクして座っているだけだから風邪がつらくても何とか聴ける。九州交響楽団と九響合唱団他で指揮は若い人だ。例によって放送大学の学割だから十分安い。11月に切符を取ろうとしたときはもう殆ど余席がなくて3階の最後部の席となった。当日は完売の張り紙が出ていた。暮れの楽しみとしては丁度いい感があるのだろう。観客もいつもの九響の定期演奏会より若干若いような感じもする、しかしやはり年寄りが多い。驚いたことに出演する合唱団にも年寄りの方がぱらぱらいて目立ってしまう。昔取った杵柄なのだろうか、年功序列ででてきているのだろうか、のどかな演奏会だ。

Dai9 3階の最後部ではな、と思っていたが座ってみると座席の頂上にいて全体を見下ろす感じとなり、オーケストラの全員の動きやソリスト・合唱団全員の有様がよく見れる、大人数のコンサートではなかなかの席に思える。音もよく聞こえる。(写真は3階最後部の座席から見た演奏前の風景。合唱団はオーケストラの背後に並ぶ)。
第九をコンサートで聞いたのはほとんど初めてのような気がする、まず感じたのがティンパニーが大活躍の曲だということだ。ほかに大太鼓とトライアングルもいるがこちらの出番はほんの僅かだ。ティンパニーが全体を制していてそのマレットから音階さえ聞こえる気がしてくる。
歌唱が入る最終楽章では、ソリストよりも厚みのある合唱が特に迫力があり、曲の重厚感が何とも言えない。放送やレコード・
CDでは幼いころから何回となく聞いてきた曲だがやはり生がいい、3階の奥でも生がいい。

発せられた響き・言葉はそのまま空中に消えるそれが自然で、美しい。
書いたものを本に残そうと努力する、メディアに乗せようとする、それよりも、瞬間瞬間を思いのままに生きる、それが基本なのだろう、そんな思いを抱きながら年の終わりを迎えている。

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2016年12月26日 (月)

ボブディランが

まだ安定した冬型にはまらずに周期的に暖かくなったり冬の嵐が来たりが繰り返される。やっぱり暖冬なのだろうか。


ボブディランがノーベル賞の文学賞をもらって、そういえば昔少しはのめりこんだ時があったがと手持ちのレコードやCDを聞き直したり、カセットテープを探したりしている。カセットBob テープはいくつかあったはずだが見つからない、引っ越しの時にカセットはだいぶ捨てたがこれに混じっていたのだろうか、確かに引っ越すときはもう過去の人だからという思いがあって引っ越して直ぐに福岡公演がたまたまあったのだが聴かずじまいとなってしまった記憶がある。

ノーベル文学賞とはまさかと思った、まさか、ということがよく起こる年だ。確かにターニングポイントの年かもしれない。

立て続けに放送されるボブディラン特集番組を見たり、こんな本があったのかと自伝を図書館から借りてきて読んでみたりもしている。
昔の印象は、ぶち壊れそうな言い回しと肺の奥のほうから出てくるような歌声、歌に意味なんかない、意味がないところがいいというものだった様に覚えている。
ノーベル賞だから選考委員会は大きな意味を認めたのだろうがそこのところが今一つ誤解があるのではないかとも感じている。時代に影響を与えた詩であり詩を響かせた歌であったことには違いないので確かに村上春樹がもらうよりは意義深い判断かなとも思うが、文学賞か、とはどうしても思ってしまう。。

改めて聞き直し
Bob4aaて、詩の意味を追いかけてみても、この想いにそうは変わりはない。幾分わかりやすい歌もあるが Gates of Eden のように語呂はいいが細かく理解しようとしないほうがなんとなく雰囲気が分かるというものが多いような気がしている。ボブディラン研究などとはやめてほしいそんなものじゃない、自分も解っていない、本人も何度もそんな発言をしているようではある。その意味では変な受賞であることは間違いない気がする。
自伝にはプリンストンで名誉博士号を受けるくだりが出てくるがその式典の場違い感、それが今度の受賞の対応にまでつながっているように思えてくる。思い込みの世界に巻き 込まれたくないという気持ちがそこにはあるように思える。
自伝はよく書かれていてとてもポップスターの自伝とは思えない。情景のディテールまで書き込まれていて創作のようにも見えるが内容全体は、関係した人の証言がいろいろ出てくるスコセッシュの作ったドキュメンタリーと較べてみても本当のことをBlonde 描いているように思える、不思議な自伝だ、ここらあたりは文学賞らしいといえばそんな気がしなくもない。
テープに友人のレコードから録音しておいたはずの”追憶のハイウエイ61”は見つからないので、新たにCDを買いなおしたりついでにノーベル賞受賞決定会見でスエーデンアカデミーのSara Danius事務局長が説明してた(薦めていた)Blonde on Blonde のアルバムを買ってみたりしたがいずれもソニーの出している新品で音が良くて解説と訳詞もばっちり付いていて1000円なのには驚いた。随分なデフレだ。確かに時代は変わっている。歌の通りだ。

そういう風にとらえるのがディランにふさわしいように思える。

このところボブディランばかり部屋に流している。1960年代から1980年代の時代が思い出されてくるが振り返ることはあまり好きでもない。訳詞を見ながら でも分からない と思いながらそれでも伝わるものを受け取っている、その感じが何とはなしにいい。

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2016年12月17日 (土)

パキスタン国際航空の墜落事故

鹿島アントラーズがナシオナルを破ってクラブ対抗戦決勝に残ったとの報を見て、墜落事故で突然そのチャンスを奪われたシャペコエンセ相手だったらどうだったのだろうか、とつい思ってしまった。
亡くなった人々は戻らない、大きな空虚がそこにできる。


Pk661atr42500 パキスタンでまた航空機の墜落事故だ。搭乗者47名全員が死亡した。今度はパキスタン国際航空(PIA)のターボプロップ双発 ATR42-500で、12月7日現地時間16時10分頃(GMTで11時10分頃)、北部のチトラルからイスラマバードに向かっていた機体がイスラマバード北の山地にほぼ巡航高度の13,375ftから墜落した。PK661便という。
すぐにエンジンに問題のあるままPIAの運航部長の指示で無理に運航したとの報道が伝えられ、事故寸前の管制官へのパイロットの通報でも左エンジンに問題が起こったとしている。エンジントラブルに一因があったことは明らかなようだ。
現状では飛行経路や速度高度等レーダーで分かっている情報も公開されていないが、12月9日に現地の信頼できる英字紙であるDawn News がパキスタンの航空局(CAA)から入手した速報として、左エンジントラブル後数分間は比較的緩やかに
2000ft降下、その後自由落下のように急速に降下してレーダーから消えたと報じている。例え両方のエンジンが停止したとしても機体は15-25kmは滑空できる能力があることから、例えば左エンジンの爆発等致命的なことが起こって翼構造が大きく損傷し操縦不能となって墜落したのではないかと当局は推察しているようだとも伝えている(CAAは公式には速報の存在を否定しているが内容はそれらしくみえ、Dawnが入手したのはCAA内部の個人的レポートと推察される)。フライトレコーダやボイスレコーダーは回収されているので、じきに真相が判明しよう。ともかく1発のエンジンが止まっただけでは落ちることはないように双発旅客機はできている、エンジントラブルに続く何か致命的なことが引き起こされたのは明らかだ。事故後のPIA内部から出てきた声を見ると整備に十分手をかけていないエアラインのWeather16a ように見え、エンジン以外にも不具合箇所があったのではないかとも想像される。気象条件は問題ない。現状では整備に何か問題があったとみるのが妥当そうだ。

搭乗者はクルーは5名で全員パキスタン人、乗客はパキスタン人39名、オーストリア人1名、中国人1名、韓国人1名となっている。パキスタンのPOPスターも乗っていたり基本的に日常の足となっている国内線という姿が見えてくる。

これまでのところ、パキスタン最大の航空会社、フラッグキャリアのPIAが整備に問題があったと内部からの指摘が噴き出すあたりに今度の事故の特徴があるように思えている。パキスタンはまだこれ位の国なのかとも思えてしまう、そう思われてしまうところが航空機事故の厳しさなのだろう。

さて事故の真相はうまく解明されるだろうか。

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2016年12月14日 (水)

遭難漂流記を読む

風邪をひくが治りが悪い。血痰が出る。感じ悪い。近くの医院から国立病院に回されて、胸輪切りのCTスキャン、レントゲン、血液検査、インフルエンザ、マイコプラズマと検査をいくつもされた、診察や投薬と合わせて2万円近い。結局大した問題はなさそうだがはっきりはわからなくて費用対効果がすこぶる悪い。
こんな医者かかりは仕事を離れた身ではやってはいけないことなのだろう。しかし、もろくなった体にどう付き合うべきか未だに分からない。


病でごろごろしているため本を読む時間も十分とれる。今は

Taka1 ヨットの遭難漂流の手記を2つ読んでいる。一つは佐野三治著「たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い」、もう一つはスティーヴ・キャラハン著「大西洋漂流76日間漂流」だ。


どこか似通っている。キャラハンは1982年2月の遭難、佐野三治は1991年末で10年近く開きがあるが同じような形の救命イカダ(ライフラフト)、同じようなイーパブ (EPIRB-緊急位置指示無線標識)を積んでいる。いずれの場合も結局EPIRBは役に立たなかった(たか号はバッテリーを持たせるために保護されていて電源がすぐに入らず、結局乗員が気が付かないうちにEPIRBを流してしまった)、役に立っていればこんなに苦しい漂流にはならなかったともいえる。
救命いかだはキャラハンは2名の使用を考えて6名
乗りを準備した。一度4名乗りに2名で乗って流されたことがあって非常に窮屈だったので6名用を準備したという。たか号Calahan では8名用ではじめ6名で流された。窮屈この上なかったようだ。キャラハンはチンしてまだ浮いているヨットからできるだけ必要なものをイカダに移すことに成功した。特にモリとなった水中銃は食料調達に有効だった。釣りではうまくいかないようだ。鳥を手づかみで捕まえることには2つのケースとも成功している。

真水の調達にはキャラハンは太陽熱利用の真水製造機を予備も含め2個用意していた、これが極めて有効だった。たか号では結局雨のほかは自分の尿を飲んでしのいだことになる。緊急事態に対する備えではキャラハンのほうがはるかに用意周到だった。キャラハンは外洋ヨットを設計製造していたため遭難・漂流に際してもあらゆるものを使ってそれなりに対処できイカダの修理や真水製造機の修理や水中銃の修理もうまくできたように思われる。たか号の準備はレース参加が間際で決まったこともあって手抜かりがありまた沈没時に救命いかだに備わった食料や水機材の多くを誤って流してしまったということもあった。
こんなこともあってたか号は最初の17日で6人中5人が亡くなった。キャラハンは最初から一人だった。食料も水もたか号は遥かに厳しい状況ににあったといえるだろう。読んでいくとサバイバルには結局水が大問題であるように思える。青い砂漠と表現している。

キャラハンの救命いかだに装備されていた太陽熱利用の真水製造機は現在でも


51c2lvlaeul Aquamate Solar Stillという商品名でamazon(米国)で250$くらいで販売されている。キャラハンの使ったものよりやや改良されているようではあるが基本同じだ。ライフラフトには今や必需品ではないかと思う。
EPIRBも輸入品ならGPS付きで5-6万円くらいで売られている、NOAAに住所氏名をnetから登録しておけば実運用上はいいようだ。キャラハンの時は航空機や船舶に通達する形式だったものが今は衛星で受信される形式で48時間くらい発信続ければほとんど必ず伝わることになっているようだ。これがあればこんな長い漂流は今はないと思っていいのだろう。国産品で国内登録・維持するにはかなりやっかいで数倍以上の金がかかるというから不思議だ、安全で金儲けする仕組みはいかがなものかと思う。TPPではないが厄介な仕組みはすっきりさせて米国等と同等の負担で個人が使えるようにするのがスジだろう。

2つの遭難記を読むとたか号の沈没は悪天候だがキャラハンはクジラに衝突したのではないかとしている、遭難というと荒れた海と思うがそうばかりではない、思いがけないことで死に直面するようだ。外洋に出ると何が起こってもおかしくない、よくヨットでの単独横断などと出かけるものだと思ってしまうがここまで考えが至ると、歳をとったなとも思ってしまう、そうなのだろう。もう心が老けてきたし体ももろくなっている、もはや出来ないことが次々に目の前にあらわになってくる、そんな
になってしまったと思い知らされる日々が過ぎていく。

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2016年12月 7日 (水)

クルマの複雑化は


最近、乗っているクルマのトラブルが増えてきた。勿論愛車が17万キロ近くを走行しており古くなってきたということが原因のほとんどだが、クルマの面倒を手をかけて見なくなったということもあるような気がする、そこまで気が回らなくなってきたということだろうか、1日にやれることの数が減ってきたということだろうか。クルマが単純でなくなったということもある。

今回のトラブルは全く突然に訪れた。
ヨット遊びから帰ってきて自宅車庫に入れようと手前で止めていったんエンジンを切り車庫の扉を開けてエンジンをかけると変だ。アクセルペダルを緩めるとアイドルにならず一気に回転が0まで下がってエンジンが止まる。少し冷えてからとか何回も試すが現象は同じだ。これではギアも入れられない。クルマが動かせない。思い余ってJAFを呼ぶ。1時間ほどしてレッカーで現れるがスバルの整備に入れるにはもう時間が遅い。とりあえずは車庫に入れてもらうが車に慣れたJAFの担当者でもなかなか思うように動かせなくてエンストを繰り返しながらとりあえず車庫のシャッターから少し頭を出したところまで動かして翌日スバルの整備に運ぶことにする。翌日またJAFを呼んで運んでもらう、4WD車のレッカーは後輪にも台車をかませて全輪を浮かせて運ぶことになる、言われてみれば4WDのレッカーはちょっと厄介だ。
整備は混んでいて一先ずクルマを預けて連絡を待つ。翌日とりあえず直ったとの連絡あり出かけていくとスロットルセンサーにカーボンが詰まっていてこれを掃除したら機能が回復したという。電子制御スロットルの要の部品のはずだ、汚れには敏感で経年劣化も覚悟しなくてはならないところのようだ。電子制御スロットルユニットを新品に変えればいいのだが結構な額になるらしいのでここら辺が怪しくなってきたら新車に乗り換えるべきなのだろう。
電子制御になると昔のように簡単な部品を磨けばいつまでも使えるというわけにはいかない。

このところクルマの暴走事故が多発している。年寄りの操作ミスとして片づけられることが多い気がしていたがつい最近起こった博多の病院にタクシーが突っ込んだ事件では突然ブレーキが効かなくなったとして車両側に何らかの問題が生じたことをドライバーは感じていたようだ。
そう思ってこのところ続く突っ込み事故の車種は何かと調べてみるとプリウスやアクアというハイブリッド車が目に付く。博多の病院突っ込み事故はプリウス、11月の立川暴走事故はアクア、5月の大森駅付近暴走事故はプリウス、2月の大阪梅田暴走事故はプリウス、15年11月の東大阪市暴走事故はプリウスといった塩梅だ。勿論ほかの車種の暴走事故もある(5月の錦糸町暴走事故はカローラ、同じく三ノ宮駅付近暴走事故はマークX 、15年10月の宮崎の暴走事故はダイハツテリオスキッド(軽自動車))、しかしプリウス・アクアが目立つ。。
プリウスやアクアのブレーキ系は回生ブレーキと従来の油圧ブレーキを併用しており、かなり複雑な電子制御システムとなっているようで時折リコール改修がある。どのくらいフェールセーフシステムが組まれているのだろうか、航空機のフライバワイヤの場合は最低でもパラレル3重系統の安全確保がとられている。コンピュータ、電源、電子システムが独立に3系統以上準備される。故障確率の計算では電子部品の故障ゼロというのはあり得ない。確率として事故は必ず発生する。問題は数値だ。特にブレーキ系統の電子制御についてはどこまでの安全性が確保されているのかもっと具体的に公表されてしかるべきのような気がする。
回生ブレーキのモーターが暴走して逆に加速側に働いたそんなことが万に一つでもあるとするなら今回のようなことが起こるような気もする。ドライバーの感じた異常がどうすれば起こりうるのか警察でなく航空機の事故調のような独立した専門機関で調べる必要がありそうだ。

電子制御になってクルマは恐ろしい乗り物になってしまったのかもしれないという懸念がどこかにある。昔のアクセルペダル直結のスロットル、単純なディストリビュータと点火プラグ、油圧ブレーキ、こんな世界にはもう戻れないのだろうか。

多分人類は前に進み続けるだろう、この複雑化の壁を乗り越えた100年先か1000年先の透明な未来に思いをはせている。

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