トランプ旋風と文化遺産と
トランプ旋風が吹き止まない。これまでのアメリカが持っていた、善意を押し付けるようにして力を振りまくその姿を捨て去ろうとしているようだ。
メキシコ、カナダを従えた北米の王者がメキシコ、カナダに怯えて壁を作り自由貿易をやめるという、縮こまろうとしている。そんなに情けない国になることをアメリカ国民が選択したのだからしょうがないといえばそうだ。これまでの姿が保てなくなったら捨て去るほかないということだろう。そうするにふさわしい田舎者を選んだのだろう。
先日、筑後川中流の原鶴温泉を訪れたついでに浮羽付近の文化財は、と少し回って
みた。古い街だ。
浮羽の地名の由来は日本書紀に記されていて、この地への第12代景行天皇巡幸の折の逸話に基づくとされている。恐ろしく古い。少なくとも日本書紀がまとめられた8世紀以前に街が形成されていたのは明らかなようだ。
江戸時代、天領日田と久留米を結ぶ街道が筑後街道と称され筑後吉井や浮羽を通っていた。日田から更に東へは中津に抜ける日田往還で瀬戸内に出ている。
日本書紀にうきはの名が出てくることから考えて
も、ずっと昔から有明海沿岸地方と近畿を結ぶにはこのルートが用いられていたと考えることができそうだ。
筑後吉井には街道沿いの塗家造の街並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
塗家造とは蔵屋敷ほど壁は厚くないが外壁を土塗りの白漆喰仕上げとして木部を覆い耐火的といわれる町屋建築で近世初頭から用いられた様式という。
訪れると、想像した以上に白壁の建物が続く。関東では栃木の街の白壁の景観が知られているが、ここはそれよりはるかに白壁の家の数が多い。
明治初期の大火で街が焼けそのあと塗家造りの丈夫な家立てられるようになって白壁の街が形成されることになったとの説明がある。通りはいまだに主要な道になっているの
でクルマの交通量が多く、立派な街並みだがゆっくり散策という風情でもない。ちょっとおしい。
公開されている2つの屋敷の内部も見て回る。鏡田屋敷といわれる江戸末期から明治にかけてつくられた屋敷では、よく見る旧家の形だが2階から見える入り組んだ屋根瓦の景観が重層的でいい。
確かに木造の並ぶ日本の街道の風景は、150年くらいもてば立派でそれ以上は火事で焼けたり朽ち果てたりで、石造りのヨーロッパの古い町並み景観のようにはどうしてもいかない。しかし今残せるようにしておけば100年後200年後には重々しく歴史を伝える景観となるのだろう。そう思えば進行形の歴史保存を眺めるというのも意味があるような気がする。
もう一つ近くに国指定重要伝統的建造物群保存地区とし新川田篭(たごもり)が指定
されているのでこちらにも足を延ばす。こちらは筑後街道から南にそれた筑後川支流隈上川沿いに展開している。
クルマで走っていくと途中に説明板があってそれとわかるが普通の山村・農村風景のように見える。棚田が石造りなのは立派だが、どこが国指定の建造物群かと思ってしまう。更に走ると三連の茅葺農家が現れこれがこの建物群の中で重文指定となっている平川家住宅のようだ。立派な造りでこれは確かに重要文化財という気がする。室内照明が落とされていて引き戸を閉めると暗く
てよく見えないが、そもそもがこんな明かりの家だったのだろう、かえって雰囲気が出る。古代より人は長く薄暗がりの中で生き延びてきたという歴史を感じる。
それにしても平川住宅よりほかは印象に薄い建物群だ。白壁通りとは好対照だ。
棚田のつづく山間の普通の集落が貴重な文化遺産として保護される、そんな時代になったのだ、そう思う。普通のように見える景色が次々と時の流れで消されてい
く、そんな時代への危機感がこの集落の文化財指定を生んだのだろう。
何を残して何を捨て去るか、どこへ行ってもいつになっても、その決断から人は逃れられないのかもしれない。そんなことばかりを心に刻む日々が過ぎる。
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